第8話:対峙
これは新宿歌舞伎町で、好きでもないオトコたちに身体を売る、交縁少女たちのリアルな物語…
新宿百人町にある駆琉が住むマンション前の路地で、酩酊している少女を見かけた五十嵐だが…
――…あっ?!
異変を感じて五十嵐が駆け出すと同時に、長い黒髪をなびかせて少女が倒れかかってしまう。
間一髪のところで抱きかかえられ、どうにか少女は路上へ倒れ込まずに済んだ。
少女は、10代半ばぐらいに見受けられる。ノーメイクの表情は眼が虚ろで、半開きの口からは涎が垂れている…
――これは…、OD?
少女からは、ほのかに汗と体液が入り混じったような臭いがする。
性行為をしたあとの、独特の臭いに似ている…
顔をしかめた五十嵐が少女の左腕を抱え、肩へ担ごうとした時――
「よぉ、聖志ぃ!」
五十嵐が顔を向けると、とっぷり日が暮れた街灯だけが照らす薄暗い路地に、小柄の男がニヤニヤして立っている。
ホストクラブ『得夢』で、駆琉と会っていた藤井だ。
「――伸か…」
静かに睨み合う二人の横を、通行人たちが足早に通り過ぎている…
★
「おまえ…、芹澤に何の用だ?」
「――何のことだ?」
藤井の突っ込みを、サラリとかわす五十嵐。
莉央から手を引くように、告げに来たとは言えない…
「とぼけんじゃねぇよ。そこは、芹澤のヤサ(住居)じゃねぇか」
藤井が指差す先、五十嵐の背後50Mほどの所には、駆琉の部屋がある10階建てマンションのエントランスが見える。
「――俺たちのシノギを邪魔しやがったら…」
強烈なメンチを切らせ肩を怒らせながら、五十嵐の許へと藤井が歩み寄った。
「容赦しねぇからな…」
下から見上げるようにして睨みつける藤井を、五十嵐が仏頂面で見下ろしている…
「――やってみろよ…」
五十嵐が毅然と、言い返した。
「おまえらヤクザが堅気へ手を出したら、どうなるか分かってんだろ?」
言われても、表情を変えずに睨み続ける藤井。
「皇龍一家を、壊滅させたいのか?」
「――…変わったな、おまえ」
表情を緩めて呟く藤井へ、
「変わったのは、おまえだろ?」
仏頂面の五十嵐が言い放つ。
「この娘を、ボロ雑巾のように弄びやがって…」
ぐったりとした少女の顔を見て、怒り口調で話す五十嵐。
「おおかた、ODでこの娘をラリさせて、芹澤が散々犯しまくったんだろ?」
両手をスゥエットのポケットへ突っ込み、フンと鼻を鳴らせている藤井だが…
「あげくに、この娘を部屋の外へ放り出したままにしやがって…」
語気を荒げる五十嵐。
「まぁ、おまえらにとって、この娘は商品でしかないんだろうがな」
無言のまま、不敵な笑みを浮かべている藤井。
「こうやって散々クスリ漬けにしてから、風俗へ売り飛ばして、そのアガリで皇龍一家は潤っているんだろ?」
「何のことやらぁ~…」
ニヤニヤして、とぼけている藤井。
「おおかた、芹澤がやり過ぎてないか心配になって、様子を見に来た――」
「それ以上――、喋るんじゃねぇ…」
藤井が再び、凄みを効かせた表情へ戻った。
「いくら昔のよしみでも、これ以上調子に乗りやがったら…」
「――やんのか?」
肩に担いでいた少女を、五十嵐が道端へ下ろした。
ぐったりと意識が混濁したまま、塀へ背中をもたれ掛けた少女…
凄みを効かせる藤井が、両手をだらんと垂らして肩を左右に揺らしている。
対する五十嵐は、両こぶしをギュッと握り締め、仁王立ちの姿勢でいる。その鋭い眼光は、獲物を仕留めようとする、まるでライオンのようだ。
藤井は怯むことなく、五十嵐を睨み続けたままでいる。
路上で睨み合う二人を見て、通りすがる通行人たちが揃って背をまるめ、歩き去って行く…
「――そうか、そうか、そぉかぁ~…」
藤井がヘラヘラしながら、身体を左右に揺らし始めた。
「おまえ…、デコスケのオンナと付き合ってんだもんなぁ~」
うろたえることなく、藤井を睨み続けている五十嵐。
「ヤベぇもんなぁ~。下手に手ぇ出したら、すっ飛んできちゃうからなぁ~」
藤井が、クルリと背を向けた。
「まぁ、今日のトコは、見なかった事にすっから…」
「――怖ぇのか?」
言われた藤井が、少しだけ顔を後ろへ向けた。
「おまえはタイマンでは、一度も俺に勝てなかったもんなぁ」
癇に障ったのか、ギリッと唇を噛んだ藤井。
「パシリだった奴が若頭とは…、ヤクザも地に堕ちたもんだ」
藤井が道端へ、大粒の唾をペッと吐いた。
そして、上へ伸ばした右手をヒラヒラさせながら、立ち去って行く。
「まぁた、なぁ~…」
その様子を五十嵐が、真っすぐに睨みつけていた…
★
★
夜な夜な立ちんぼ女子が塀沿いに数多く立つ、大久保公園の南側には、都立大久保病院の他にプラザハイジアが面している。
その15階の一角に、東京都がトー横で徘徊する若者たち向けに設けた、総合相談窓口『きみまも@歌舞伎町』がある。
開設時間は午後3時から9時までと限られているが、一人掛けソファーが多数配置されたフリースペースではスマホが充電出来るとあって、常に大勢の少年少女たちで賑わっている。
そのフリースペースとは、観葉植物で仕切られた四人掛けテーブルでは、路上を徘徊中に倒れそうになった所を、五十嵐から助けられた少女が座っている。
ここには簡易ベットと常備薬が置いてあるので、具合の悪かった少女を担ぎ込むのには、もってこいの場所だった。
助けられた時は酩酊していた少女だったが、今はすっかり正気を取り戻していて、対面で座る五十嵐と『きみまも』の中年女性相談員を、上目遣いでジッと見ている。
フリースペースはガヤガヤと賑やかだが、打って変わってこの場は、静寂な空気で占められている…
「――もう…、いいでしょ?」
耐え切れずイラついた口調で、少女が口を開いた。
「――そうは、いかないよ」
テーブルへ両腕を置き、毅然として応じる五十嵐。
「やっぱり、身元が判明しないことには…」
女性相談員が、懇願するように説いている。
「――ウッゼぇなぁ~…」
ソッポを向いて顔をしかめた長い黒髪の少女が、手に持つスマホをいじりながら毒づいている。
「――きみと芹澤駆琉は、どういう関係なんだ?」
五十嵐の核心を突いた質問に、少女の表情が一瞬動いたようだが――
足を組みなおして、無表情を貫く少女。
「マンションの芹澤の部屋で、ODしてたんだろ?」
「してねぇし」
「じゃあ、なんであんなにフラフラ――」
「気持ち悪かっただけっつッてんじゃん」
少女が正気を取り戻してから、こうした押し問答がずっと続いている…
★
「スマホの電話番号だけでも、教えてもらえないかしら?」
女性相談員が呼びかけても、少女はソッポを向いたまま。
――こういう場面では話すなって、言い聞かされてるんだろう…
内心でイラつきながらも平静を装う五十嵐が、ジッと少女を見ている。
電話番号さえ分かれば照会をかけて、身元を割り出せるのだが…
少女の年齢は、いっても18歳であろう。あどけなさが残る顔の頬は、ODを繰り返している影響であろう、瘦せこけてしまっている。
――こんな年端もいかない娘を…
平静を装う五十嵐であるが、はらわたが煮えくり返るような想いを内心で募らせている…
「――松野さん…」
重い沈黙が支配する打ち合わせテーブルの所へ、若い女性相談員がやって来た。
「――え?」
耳打ちされた中年女性相談員の表情が、サッと変わった。
何ごとかと五十嵐が視線を向けると、そこには駆琉が立っているではないか。
「――すみません。妹が、ご迷惑お掛けして…」
――妹ぉ?…
五十嵐が眼をむいている。
――こいつに妹なんて、いないはず…
――でも…、そう言われちまったら…
フンと鼻を鳴らして、対面の席から少女が立ち上がった。
立ち上がるが早いか、すぐに駆琉の許へとすり寄る少女。
混乱する五十嵐が、思考を整理している。
――こいつは今、『得夢』で仕事をしてる時間だろ?
――この娘がスマホで、呼んだのか?
――いや…、それとも、伸が?
残念ながら触法行為でもしない限り、現行法では誰であれ身元引受人が来た以上、この保護された少女をこれ以上、引き留めることは出来ない。
少女は五十嵐と眼が合うと、フッと不敵な笑みを浮かべた。
――クソッたれがぁぁ…
「…五十嵐さん、お久し」
五十嵐から鋭い眼光を向けられても、シレッと挨拶している駆琉。
二人は過去に、少なからぬ因縁がある…
「妹が、お世話になりました」
ペコッと形式的なお辞儀をされるが、五十嵐は駆琉を睨み続けたまま。
それを見た駆琉が、五十嵐へ歩み寄った。
「やだなぁ~。オレ、何かしました?」
「――いや…」
「こうやってオレは、礼を言ってるんだしぃ…」
わずか50㎝ほどの間隔で対峙する、五十嵐と駆琉…
「――でもさぁ…」
「あ?」
囁きかける駆琉へ、五十嵐が顎をしゃくってメンチを切る。
「お節介も…、大概にしといた方がいいっスよ」
「なにぃ?」
「莉央の事とかぁ…」
五十嵐がクワッと両眼を見開いたのと同時に、駆琉がクルリと踵を返した。
腕を組んで出口の方へと立ち去って行く駆琉と少女の後ろ姿を、五十嵐は苦々しげにガン見し続けている…
――やっぱり芹澤は、何も変わっちゃいない
――あいつから木村(莉央)さんを、絶対に引き剥がさないと…




