第17話:想定外
これは新宿歌舞伎町で、好きでもないオトコたちに身体を売る、交縁少女たちのリアルな物語…
翌日、土曜日の夕方。
莉央は東京駅で、新幹線のぞみ号に乗り込んだ。
行き先は、広島。
昨夜、夜景を見ながら五十嵐と話している最中に、駆琉からLINEが届き、逃亡先が広島であることが判明したからだ。
≪――広島へ来れないか?…
駆琉が莉央に会いたがっているのは、明白だった。
金銭の無心を含めてのことだろうが…
その足で『マザーポート』の事務所へ戻り、どうするべきか五十嵐と明け方近くまで昏々と話し込んだ。
結果、莉央ひとりでは駆琉と会うことは避け、五十嵐がその場へ立ち会うことになった。
まず莉央が単身で先に広島へ乗り込み、五十嵐が日曜日の朝一番で後を追うことになった。今日の夜遅くまで、五十嵐の予定が一杯ゆえの苦肉の策だった。
幸い広島は、莉央の父親の単身赴任先で、土地勘も少なからずある。
先乗りした莉央が、会うのに指定された場所を下見しておいて、明日の本番に備える――そういう筋書きだったが…
しかし、思いっきり寝坊してしまった。
昨晩だけで色々なことがあり過ぎて、疲れ果てたゆえ無理もないのだろうが…
莉央が東京駅へ着いた時、広島行きのぞみ号はこれから乗り込もうとするのを含めて、あと2本という際どさだった。
N700S系のシートに座り、窓を流れる夜景を眺つつ、莉央が父親のことを思い起こしている。
父親の連絡先は知っているが、あえて広島へ行くとは教えていない。
借り上げ社宅の、コーポの合鍵も持っている。
これまで父親の赴任先に、莉央は一人で行ったことはない。
仮にいきなり訪問したとしたら、父親はどういう反応をするか…
――ウフフ…
幼稚園児の頃の莉央は、父親を驚かすのが大好きだった。
父親も大袈裟に驚いてくれて、莉央はケラケラよく笑ったものだ。
――43歳に、なったんだっけ…
あれこれ考えているうちに、莉央がうたた寝を始めたころ、のぞみ号は時速280㎞で疾走していた…
★
★
莉央が広島駅へ着いた時には、夜の11時をゆうに過ぎていた。
これでは、駆琉と会うのに指定された場所を下見するのは困難だ。無理して現地へ行ったとしても、周囲が真っ暗では話にならない。
――今からどっか、泊まるってもなぁ~…
今日は週末土曜日。
何処のホテルも満室であることが、容易に想像できる。問い合わせるだけ無駄だ。
――あるじゃん!いいトコが!
思い立ったのは、父親の借り上げ社宅であるコーポだ。コーポは、JR可部線沿線にある。
駅の電光表示を見ると、次の電車が可部線の最終――
危ないとこだった…
ゴトゴト揺られること17分、莉央は古市橋駅へ降り立った。
改札口を出ると駅前には住宅街が広がり、綾の自宅マンション最寄り駅と似たようなロケーションだ。
幹線道路を逸れて、踏切を渡った所で莉央は夜空を仰ぎ見た。
――キレイ…
無数の星が瞬く、東京とは比較にならない澄んだ夜空…
ふいに寒さを覚えてしまい身震いをした莉央は、黒ボアジャケットの襟元をすくめ、住宅街の奥へと歩いて行った…
ピンポーン…
コーポにある父親の部屋の玄関前に着いた莉央が、インターホンを何度も鳴らしている。
――留守かな?…
階段を上がる前に見た部屋の窓には、灯りが点いていなかった。
しびれを切らした莉央は、肩掛けバックからポーチを取り出す。
――電車、終わっちゃってるし…
父親の部屋なんだし構わないよね、と莉央が合鍵で、ガチャリと鍵を開けた。
ゆっくり扉を開けると、中は真っ暗…
照明のスイッチは何処かと手で探っていると、妙な気配を感じた。
スマホを手に取ってライトを燈してから、莉央はソロソロと玄関扉を閉めた。
――誰か、いる…
スニーカーを脱いで、恐る恐る部屋の奥へと入って行く莉央。
――ドロボウ?!…
ゴクリと生唾を飲み込んだ莉央の耳へ、囁く声が聞こえた。
「いいのぉ?…出なくってぇ…」
「――構わないさ…。こんな夜中に来るなんて――」
――…パパ?!
「非常識過ぎる…――」
「ウフフフ…――」
カサカサ…――
真っ暗な奥の部屋から、シーツが擦れる音が聞こえてくる。
ギシ…ギシ…ギシ…――
不気味に響き渡る、ベットの軋む音…――
ガタッッ!
莉央がスマホをフローリングの床へ落とした音に、裸の父親がハッとして振り向いた。
ベットの上で父親との絡み合いをしていた女性が驚いた顔で、スマホのライトで微かに照らし出された莉央を見ている…
「――…リ、オ…?」
暗がりの中で父親が呟くと同時に、莉央はスマホを拾い上げると、ドタドタと玄関へ向かう。
スニーカーを履いた莉央が、バンッ!と玄関扉を勢いよく閉める。
そして外階段を、一気に駆け下りた。
背後から、父親が呼んだみたいだが…――
知るかっッ!!
パタパタと莉央が駆けて行く足音が、深夜の住宅街に響いていた…
★
泣いて嗚咽をしながら幹線道路を歩く莉央の、涙でかすむ眼に明るいネオンが映った。
――ドン・キホーテ?…
時刻は夜中の0時30分を過ぎていて、あてもなく歩く莉央はドン・キホーテの方へ向かう。
――電車ねぇし、どうしよ…
近づくにつれて、ドン・キホーテの隣にあるネットカフェのネオンが見えてきた。
――助かった…
スマホには父親から、何度が着信があったが、着信拒否へ設定した。
――キショ過ぎ…、ウザ過ぎ…、あり得なさ過ぎ…
ネットカフェへ入っても嗚咽が止まらない莉央は、救いを求めるかのように五十嵐へ電話をかけていた…
“本当に申し訳ない。俺が先に下見をしておけと、言ったばかりに…”
スマホの電話口から、五十嵐が平謝りしている声が聞こえてくる。
ネットカフェの鍵付き個室で、壁へ背中をつけて座る莉央が、溢れ出る涙で顔を濡らしまくっている。
「――どうして…、くれんのよぉ?…」
嗚咽が止まらず、ろれつが回らない莉央。
“――スマン…”
平謝りしている五十嵐の様子が、電話口から伝わってくる。
“明日、朝イチの新幹線で、そっちへ行くから、それまで――”
「――もう、今日だよ?…」
電話の向こうで絶句している五十嵐を、莉央が涙で濡れまくった顔で、クスクス笑っている。
“――…少しは、元気が出たようだな?”
「ゼンゼン」
グシュッと、鼻水を啜っている莉央だった…
五十嵐と明日の待ち合わせ場所と時刻を決めて、莉央は電話を切った。
――ハアァァ~…
大きなため息と同時に莉央が、脱力した両手を個室の床へバタッと置いた。
――あたしって…、何なんだろ…
ふと視線を移すと、個室の壁に貼ってある『文房具販売中!』のA4サイズのポスターが眼に留まった。
そこにはメモ用紙とか筆記具、カッターのイラストが描かれていて…
――リスカしたい時って、こういう気持ちなのかなぁ…
母親から放置され、信じていた彼氏が悪行三昧を働いていて、今度は父親が…、である。
若干17歳になったばかりの少女にとっては、残酷過ぎる現実だ。
泣き疲れて身体を横にした莉央は、いつしか眠り込んでしまっていた…
★
★
翌朝、莉央は五十嵐と落ち合うべく広島駅へ来ていた。
遅刻しないように来たものの、待ち合わせの10時まで40分近くある。
所在なさげに新幹線改札口の前を、行ったり来たりを繰り返していると――
「莉央っ?!」
大声で名前を呼ばれた莉央が、ハッと振り向いた。
そこには、紺のハイネックセーターにチノパンを履く父親が、顔を紅潮させて立っている。
横には、昨晩父親と絡み合っていたオンナが――
反射的に、莉央が走り出した。
「莉央ぉッ!」
振り向くもんか…――
駅のコンコースを歩く人々を右へ左へよけて全力で走り、やがて行く手に何かが見えた。
――電車?…
“間もなく、電車が発車します”
スピーカーの音声を聞いた莉央は、ためらわず電車へ乗り込んだ。
ブザーと同時に扉が閉まり、電車が動き出す。
窓の外では父親が悔しそうに、ホームで電車を見送っている…
“この電車は…――宮島口行きです”
メロディーに続いて、車内アナウンスがスピーカーから流れてきた。
――ヤバい…
父親を振り切ったはいいが、路面電車に乗ってしまった。
スマホを見ると、9時30分を表示している。路面電車は猿猴川を越えるスロープを、ゆっくりと下っている…
――戻るか…
しかし駅へ戻ると、また父親に出くわしかねない。
莉央が東京へ帰るのを見越して、父親は新幹線改札口で待ち伏せしていたのであろう。
――どうしよ…




