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【14・人殺しに幸あれ】


「走れますか?」

 自分を支えるベルダネウスに、ポラリスがなんとかうなずく。兵達は魔導巨兵の暴走と落ちてくる土塊から逃げるのに一生懸命で、もはや2人にかまっている余裕は無い。

「私はルーラの助っ人にいきます。あなたは逃げてください」

「いや」

 腕をとり、激しく首を振る彼女に彼は弱々しい笑顔を返し

「助っ人は多い方が良い」

 そこへ魔導巨兵がゴロゴロ転がってきた。慌てて彼女を抱きかかえて逃げる。

「いい加減、止まってほしいな」

 彼の耳に、かすかに空気を切る音が入る。反射的に彼女を押し倒すように地に伏せた瞬間、2人の頭上を刃輪が飛ぶ。

 2人を仕留め損ねた刃輪が円を描いてセクシャルの手に戻った。

「あなたは逃げないんですか?」

 ベルダネウスの問いには答えず、セクシャルは刃輪を構える。ベルダネウスもポラリスを背に両手の鞭を構える。

 そこへ暴走を続ける魔導巨兵の1体が踊るように暴れ込んだ。

 逃げつつセクシャルが刃輪を投げる。右手から、左手から、さらに腰にぶら下げた予備の刃輪を取り、連続投げ!

 前後左右から飛んでくるそれを避けながらベルダネウスは鞭を振るうが、鈍い感触と共に鞭が柄から20センチほどのところで切れて落ちる。刃輪に切断されたのだ。

 戻ってきた刃輪を手にしたセクシャルが、微かに満足げな笑みを浮かべて投げる。

 切られた鞭を捨てると、残った鞭を構える。弧を描いて時間差で襲ってくる刃輪に対し避けながら移動する。

 ベルダネウスが振るった鞭が波のようにうねり、刃輪の面の部分を打って落とす。これなら鞭が切られる心配はないが、難易度が上がる。そう簡単には成功せず、空振りも多くなる。

 魔導巨兵が倒れ込んできた。土埃が舞い上がり、ベルダネウスたちの動きが鈍る。が、飛んできた刃輪もことごとく魔導巨兵に当たって地面に落ちる。

 土埃が広がりセクシャルの姿を隠してしまう。

「まずい」

 焦りの表情で見回しても、土埃ばかりでほとんど視界が効かない。倒れたまま動く様子のない魔導巨兵を見て

「ポラリス。巨兵の陰に隠れていろ」

「で、でも」

 魔導巨兵を見る。確かに動く気配はないが、もし動いたら。それが怖くて彼の言うとおりには出来なかった。

 少しずつ砂塵が晴れ、視界が効いてくる。

 ベルダネウスがポラリスを押し倒すようにして地面に伏せる。頭上の空気を裂いて刃輪が飛ぶ。

 手近な石を拾って刃輪の飛んでいく先に投げる。

 微かに見えたセクシャルがそれを避ける。受け止め損ねた刃輪が彼の後ろに向かって飛んでいった。

 砂埃が静かに沈んでいき、視界が晴れていく。

 ポラリスを背にしたベルダネウスがセクシャルと対峙する。

 ベルダネウスがセクシャルの刃輪が両の手に持っている2枚だけなのを確認する。

「最後の2枚!」

 立て続けにセクシャルが刃輪を投げる!

 正面から、横から時間差で刃輪が迫る。しかし、これまでに何度も刃輪の攻撃を受けていただけに、ベルダネウスも刃輪の軌道はある程度わかっている。疲れが残る体で何とか躱した途端、背後でくぐもった声がした。

 何かと振り返る彼の前に、ポラリスの体が倒れた。彼の目には、ひどくゆっくりとした動きに見えた。

 事態が把握できなかった彼の意識が、彼女の胸に深々と食い込む漆黒の刃輪を見て動き出す。

「ポラリス!」

 抱きかかえると、刃輪の食い込んだ彼女の肌から血が溢れだした。それでも彼女は彼を見て微かに微笑み

「……よかった……」

 そのまま満足げに首が垂れる。

 その隙を突くかのように刃輪が襲いかかる。とっさに伏せるベルダネウスだが、やはり動きが遅れた。1枚は躱したがもう縦になった1枚が彼の背中をえぐるように切り裂く。血がマントを染め、彼は激痛にたまらず呻く。

 マントに勢いを殺された刃輪が彼の目の前に落ちる。

 幸いにも致命傷にはならなかったが深手なのは間違いない。それでも激痛に耐えながらベルダネウスはセクシャルを睨み付ける。

 今はベルダネウスも何が起こったのかわかる。投げた刃輪は牽制で、本命は暗い中に紛れるため漆黒に塗った刃輪。おそらく砂埃が晴れる寸前に投げたもの。

 口数の少ないセクシャルがわざわざ「最後の2枚」と口にしたのも、それに意識を向けさせるため。事実、彼は漆黒の刃輪の存在に気がつかなかった。

 しかし、逃げ場を探して周囲を見回したポラリスは気がついた。しかし彼女はどうすればいいかわからない。出来ることはただ1つ。このままでは間違いなくベルダネウスの背中に突き刺さるだろう刃輪の前に立ち、自らを盾にすること。

 目の前の刃輪を拾い上げると、ベルダネウスは彼女の骸に近づき、微かに開いたままだった目を閉じさせた。

 その間、セクシャルは攻撃しなかった。彼の微かな情けだったのかも知れない。

 鞭と刃輪を構えてベルダネウスは立つ。無言だった。

 静かに足を前に出す。歩みから駆けへ。両の手を体の後ろに隠しながら走る。

 刃輪を構えたセクシャルが受けて立つ。

 ベルダネウスの左手が跳ね上がるように、刃輪を投げる!

 が、セクシャルに比べ遥かに未熟。彼は軽く体を捻るようにしてそれを避け、自分の刃輪を放つ。

 それを避けつつ、ベルダネウスが一気に間を詰め右手の鞭を振るう。

 軽い笑みを浮かべ真っ直ぐ伸びてくる鞭を避けたセクシャルの目に、ポラリスの遺体が映った。血まみれの体には食い込んでいたはずの漆黒の刃輪がない。

「!?」

 始めてセクシャルに「しまった!」という表情が浮かぶ。その顔の横を伸びていく鞭がピーンと限界まで張り詰め、弾くように戻ってくる。その先端には血を拭い取った漆黒の刃輪が結びつけられていた。

 戻り際、それがセクシャルの首筋を撫でるように切り裂く!

 首から血が噴き出し、彼の表情が驚愕のまま固まった。

 ベルダネウスが体を少し横にずらすと、背後から飛んできた先ほどセクシャルが投じた刃輪が通り過ぎる。

 そのまま真っ直ぐ投じたセクシャルに戻っていき、その腹にぶち当たる。

「あ……が……」

 首と腹から噴水のように血を吹き出しながらセクシャルが倒れた。

 ポラリスのそばにベルダネウスは両膝をついた。彼を守れて満足だったのだろうか、彼女の死に顔は不思議と幸せそうだった。その顔に水滴がポタポタ落ちていく。

 ベルダネウスは泣いていた。傷の痛みで泣いているのではない。

「私は……死ぬまで何人の幸せを奪うんだ……。ファルーラ……」

 唇を噛み、拳を固める。

「これでもお前は、私は幸せを売るような自由商人になれるというのか……」

 引きつった笑みが凍り付き、少しずつ解けるように真顔に戻っていく。

 泥まみれの腕でぐいと涙を拭うと

「……私は、諦めが悪いんだ」

 鞭を手に立ち上がると、息も絶え絶えに歩いて行く。

 その背中を見つめるようなポラリスの死に顔は、わかっていますとでも言うように穏やかだった。


 振動が頭上から伝わってくる中、リゼが走る。もはや魔導巨兵の制御は諦めた。結界が壊れるのも時間の問題。

 精霊が村を落として遺跡を埋める。にわかには信じられなかったが、今は確信している。幸いなのは、実際に落ちるまではもう少し時間がありそうなことだった。

 工房に駆け込むと、先ほど突っ込んだ魔導巨兵が崩した壁で通路が塞がっていた。裏の入り口に回りながら中の様子を見る。

 崩れたのは全体の1/5程度だったが、部品作成に使われるらしい機材が瓦礫に生まれ、まっぷたつになっていた。

「なんてこと!」

 ただの部屋や資材置き場なら崩れ、埋もれても問題はない。だが作業場の機材が壊れたとなると大問題だ。

(これでは来春までに生産可能にするのはまず無理だわ。設備を整えるだけで数年はかかるかも知れない)

 彼女は崩れた壁から通路に入ると、上着を脱ぎながら亀裂の入った階段を駆け上がる。

 目当ては2階の一室。いくつも棚があり、資料室として使っていたらしい部屋で、彼女も記録をつけるのにそこを利用している。実際、棚には何か記録してあるらしい魔玉がいくつもあった。中の記録を見るための合い言葉がわからないためそのままにしていたが、

「せめてあの魔玉だけでも持ち出さないと」

 上着を袋代わりにして、どれだけの魔玉を持ち出せるかだ。自分がつけた記録は後回しにしてもいい。

 扉を開けると屋内は魔導灯で照らされていた。

「え?!」

 魔力の消耗を防ぐため、使わないとき、魔導灯は消している。自分も出て行くときに消した記憶がある。

 点いている理由はすぐにわかった。

 一番奥のテーブルで、知らない老人が魔導灯の下、彼女の記録を読んでいた。テーブルには彼女やエルティースによる今までの記録が積まれ、横には大きな袋が置かれていた。袋には、彼女の目当てである記録用の魔玉が詰められている。

「誰?!」

 老人は振り向くと彼女に屈託のない笑顔を見せ、記録にしおりを挟んで閉じた。この老人、カーンである。

「お前さんか、リゼ・ファランクスというのは。記録は読ませてもらったよ。ちと思い込みが強いが面白くまとめてある。魔導師連盟でも、お前さんの評価は高かったじゃろう。何があってこんな所に来たかは知らんが、もったいない」

「私が聞いているのよ。お前は誰?」

「お前さん達が会いたがっているもんじゃよ。ベル公の黒幕といえばわかるかな」

「お前が……あの力玉に仕掛けをしたのはお前なの?!」

「ああ。魔導巨兵の実物をいじれれば、もっといい具合に細工できたんじゃが」

 悪気を感じさせない様子に彼女はむかついた。

 彼女の魔玉が光り出す。

「止めておけ。魔力の無駄遣いじゃ」

 静かに忠告するが、それが彼女には自分を馬鹿にしているように聞こえた。かまわず魔玉を突きつけ、稲妻を発する。

 カーンが軽く手を振ると、握られた魔玉のネックレスが円を描く。瞬く間に数倍の長さにまで伸びると、稲妻を絡め取り、ゴミを払うように散らしてしまう。

 愕然とした彼女は

「これなら!」

 爆炎魔導を放つ。特定の場所に強大な火炎を伴う爆発を起こすものだ。

 だが、爆発の下となる炎の塊が出現した瞬間、カーンのネックレスがそれに絡みつき、爆発を押さえ込むとそのまま握りつぶすように消滅させる。

「せっかくの記録をまるごと駄目にする気か?」

 テーブルの上の記録や魔玉の袋に視線を向ける。リゼもまずかったと息を飲むが、次の対処法が思いつかない。

「嬢ちゃんが魔導師として優秀なのは、これらの記録や今の魔導からよーくわかる。魔導巨兵も、そこいらの魔導師なら未だどう動かして良いのか頭を悩ましている段階じゃろう。それだけに惜しい。

 どうじゃ、ドボックからしばらく離れてみんか。ここにいても、ただの道具に使われて終わりじゃぞ」

「外よりマシです!」

 反射的に叫んだ。

「道具として使われるなんてどこも同じ。それぐらいは覚悟しています。しかし、ここならば私は大事な道具として置いておかれる。外の魔導師連盟に戻ったら、使い捨ての道具としておかれる。ならばここの方がずっといい!」

「今は良い。そのうちに怖くなる」

「怖い?」

「自分が誰よりも優れていないと捨てられるという恐怖じゃよ。相手の期待に応えたい。自分の優秀さを知らしめたい。それ自体は良い。

 しかし、そのうち相手の目の奥に移っているのは自分という人間ではなく、己の目的のために使いたい能力を持っているの人間とわかると、急に冷めてしまう。そして相手の言うことが全て自分を都合の良いよう動かしたいだけのおべんちゃらにしか聞こえなくなる。

 わしもそうじゃった。

 周りから天才だと伝説だの、しまいには[神と肩を組む]なんて笑ってしまうような二つ名までつけられた。

 みんな嫌になって、死んだことにして逃げてしまった。今ならばそう言う連中とももっと気楽に付き合えるんじゃろうが。実は生きていたとばかりにひょっこりでるのも恥ずかしくてな」

 お気楽な笑みを浮かべるカーンとは対照的に、リゼの顔は固まっていた。

「神と肩を組む……まさか……魔導師カーン……スチャラ・カーン?!」

 神々しい、存在自体が威厳に満ちるという彼女の思い描いていた魔導師カーンと、目の前にいる好々爺はあまりにも合わなすぎた。

「う、嘘よ。この偽者め!」

 彼女が三度攻撃魔導を発動させようと魔玉の杖を突き出す。が、発動するより早くカーンの腕が動き、手にした魔玉のネックレスが伸びた。瞬時に今までの数十倍の長さに伸びたネックレスは投網のように彼女に襲いかかり、その全身に絡みつく。

 ネックレスを作る小さな魔玉が淡く光り、彼女の魔玉の光が消えていく。

「少し休みなさい。物騒なものは預かろう」

 淡く光る魔玉のネックレスに絡みつかれながら、リゼは自分の心がぼやけるのを感じた。急速に心の力が奪われ、このまま眠ってしまいそうになる

(なに?)

 何とか目をこらしカーンを見据える。絡みついたネックレスを通して魔力が彼女から彼に流れていくのがわかる。その先には、彼が手にする一回り大きな力玉があった。

(まさか?!)

 自分の魔力が力玉に吸い取られている。

「い、嫌ぁ」

 叫びたいが力が入らない。両膝をつき、手もついて四つん這いになる。立ち上がる気力が奪われていた。

 本来は本人が望む形でなければこのような魔力吸収は出来ない。無意識のうちに抵抗し、全く出来ないか不完全な形になる。それがほぼ完璧な形で彼女の魔力を吸い取っていく。

 有り得ないことだ。しかし、目の前にいるのはそれを可能にする男なのだ。

 神と肩を組む魔導師スチャラ・カーン。人間レベルの魔導師である彼女がどうこうできる相手ではない。

 恐怖よりも絶望よりも、哀しみが湧いてきた。

「やめて……ゆるして……」

 今までの態度が嘘のように半泣きに顔をくしゃくしゃにしてカーンに乞うた。だが、魔力が奪われていくのは止まらない。

 自分の魔力が、10数年かけてつけてきた力がなすすべもなく吸い取られていく。

 魔導師としての自分が全て奪われる。こんなにあっけなく。自分がこれまで積み重ねてきた魔導師としての人生とはこんなにしょぼいものだったのか。

 老魔導師の姿が涙でにじむ。

「すまんの。今はじっくり話をする時間がない」

 言い終わると同時に、頭上で魔導が弾け、衝撃が広がった。天が轟き、大きく震える。

 彼女の目が大きく見開く。わかったのだ。今、遺跡を覆う魔導結界が崩壊したのを。

 大地が崩れ落ち、間もなくこの遺跡は埋め尽くされる。

 カーンが軽く手を振ると、彼女に絡みついていたネックレスがいとも簡単にほどけ、元の長さになって彼の手に戻る。

 リゼは涙を流しながら床に倒れていた。その瞳に力はない。すべての魔力……力ある精神を吸い取られ、抜け殻となって眠っていた。

 彼女を申し訳なさそうに見下ろすと、カーンはその手の力玉を袋に入れた。

「さてと……」

 彼は困ったように彼女と荷物を交互に見、髭をなでた。

「どうやって地上まで戻るかの」


「落ち着け。話し合おうじゃないか。剣を下ろせ」

 震える言葉でクリフソーはルーラから逃げ惑う。彼に向けるルーラの剣は、技術はないが力があった。彼女の振るう剣は、うなりを上げて彼を襲う。

「村を売るようなことをしたのは悪かった。ソウラを殺したことも謝る。仕方なかったんだ。好きで売ったんじゃない」

 逃げ惑いながら遺跡の建物に駆け込む。

 崩れた壁や機材を壁にしながら逃げ惑う。

「ベルダネウスやポラリスだって許したんだろう。俺も許さないと不公平だろ。2人だけ許すなんてずるいぞ」

 ルーラは無言で追い続ける。ガインに教えられた「一旦、戦い始めたら仕留めるまで話すな。言葉を出すとその分力が抜けるし、相手も無言で襲われ続けると恐怖が増す」を忠実に守っていた。

 事実、無言で剣を向けるルーラにクリフソーは恐怖した。なまじ村にいた頃の陽気な彼女を知っているだけに。

「復讐なんてむなしいだけだぞ。俺を殺したところでみんなが生き返るわけじゃないんだし。ルーラが人殺しとして一生追われる身になるんだぞ。父さんや母さん、ソウラだってそんなことは望んでいないだろう」

 彼女とは逆に、何か言うたびに力が弱まっていく。逃げる力が言葉となって彼の身体から出ていく。

「お前だって、俺を殺してそれでスッキリするのか? ずっと罪の意識に捕らわれて、苦しんで一生を過ごすことになるぞ。みんな忘れて、よその土地に行って暮らせばいいじゃないか。お前は良い子なんだからきっと幸せになれる。

 今なら間に合う。やめろ。止めてくれ!」

 震えながら叫ぶ彼の言葉は彼女の耳には入らない。

 ついに彼女の剣が彼の二の腕を打った。激痛に床を転がるのに彼女が馬乗りになる。

 小剣を逆手に持つと、ルーラは思いっきり彼に切っ先を振り下ろす。

 とっさに彼は彼女の腕を受け止め、切っ先が微かに胸板に食い込むところで食い止める。

 剣の刺さったところの服が血が赤く染まり、広がっていく。

 その赤さが、彼女の勢いを削いだ。剣を押す力が緩む。

「待て。頼む。許してくれ」

 剣を押し返しながら涙顔のクリフソーが哀願する。

「殺さないでくれ」

 それを聞いたルーラの力が緩んだ。その隙を突くように「人を殺す」意識が彼女になだれ込む。


 村に兵達がなだれ込み、村人達を殺していく。

 若者達の死体が積まれ、燃やされる。

 燃える夫の遺体にすがりつき、自分も燃えていく妻。

 刃輪を受けて倒れる母。

 目の前で首を切り落とされた姉。


 みんな死んだ。みんな殺された。

 また死ぬのか。

 あたしが殺すのか。

 ルーラの意識が停止した。剣を持つ手が止まり、表情が消える。

 クリフソーが自分に食い込んだ剣を抜き、彼女から奪おうとする。その動きが彼女の意識を戻し、再び力を入れさせる。が、その力は先ほどより遥かに弱い。

「ここから出て行く。もうお前の前には現れない。だから見逃してくれ。殺すのだけはやめてくれ」

 涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で哀願する。その惨めな姿に、彼女の憎しみが少しずつ散っていく。

 馬乗りになったまま、彼女の動きが止まる。

「消えちゃえ……どっかに消えちゃえ!」

 わめき散らす彼女を押しのけるようにして這い出たクリフソーは、這うように彼女から離れ、痛みを堪えるように胸に手をつく。はなした掌は、血で真っ赤になっていた。だが、傷自体はそれほど深くはなさそうだ。

 振り返ると、こちらに背を向けてルーラが声を殺して泣きながらへたり込んでいた。その姿は妙に小さく見えた。

 ルーラは何も考えていなかった。考えるということすらなく、ただ彼女の心はただの無となっていた。

 その小ささが、彼の中で恐怖を押しのけ怒りを大きくする。自分をこんな目にあわせたものが。こんな弱っちいものだと憤りを覚え、

「……この……ガキ!」

 弱々しいながらも力を入れた足取りで彼女に近づき、思いっきり蹴りつけた!

 意表を突かれた形になり、彼女は無様に転倒し、その手から小剣がこぼれ落ちた。

 クリフソーはそれを拾い上げ、彼女に斬りつける。

「ガキのくせに。死ね! 死ね‼」

 瞬間、覚醒した彼女が転がるようにして避ける。それを第2撃、3撃が追いかけ。

 転がりながら避けるルーラに、剣を振り下ろすクリフソーの表情が見えた。不快な害虫をつぶそうとしているような歓喜と嫌悪がごたまぜになって彼女を見下ろす。

 またもや頭上の大地が揺れた。が、2人はそれに気がつかない。

 遺跡を覆う魔導結界が壊れ、大地が剥がれ落ちるようにこぼれ落ちる。

 その1つが2人のそばに落ちた。衝撃でバラバラになった大地の破片が周囲に飛び散る。

 大地に転がっていたルーラの頭上を破片が飛び、立っていたクリフソーに破片の1つが直撃する。

 ルーラが反射的に彼に飛びかかり、彼の顔面を殴りつけた。手加減する余裕など無い。倒れた彼にのしかかると、固めた拳をひたすら彼の顔に叩きつける。彼の歯が折れ、鼻血が噴き出してもその拳は止まらない。

 彼の手からこぼれ落ちた小剣を手にすると、その切っ先を思いっきり振り下ろす。今度は彼の手も動かない。

 鈍い感触と共に彼の胸にめり込んだ小剣に、彼女が雄叫びを上げてのしかかる。全体重を乗せた剣が、彼の胸に食い込み、一種止まったあと、一気に貫いた。そのまま体を揺らして剣を捻り回す。

 返り血で体が染まっても、彼女の動きは止まらない。

 その彼女にむかって、クリフソーが両の手を弱々しく突き出した。が、それだけで彼女をつかむ力はもうない。

 2人の目が合い、ルーラの動きが止まる。

 彼は最後の力を振り絞るように口を開き

「……ひとごろし……」

 彼の両手が地面に倒れ、それっきり動くことはなかった。光りのない、濁った彼の目は、彼女をじっと見たままだった。

「ひぃっ」

 ルーラは恐怖し、飛び跳ねるように彼の体から離れた。

 顔は殴打され、胸は剣でえぐられ、血まみれの死体を前に、彼女はそれか自分のしたことだとすぐには理解できなかった。

 自分の手を見、服についた血を見て怖くなった。必死に服で手についた血を拭おうとするが、全くとれない。

 川を見て彼女はそちらに走った。激しく流れる川の水で手を洗う。しかし血はなかなかとれない。

 必死に洗う。一心不乱に、半ば泣きながら手を川に突っ込んではこすり合わせる。

 ついには大声で泣きわめきながら洗い続けた。手の血が落ちても洗い続けた。

 すぐそばに誰かの足が見える。

 ルーラが涙と鼻水まみれの顔を上げると、ベルダネウスが立っていた。


(つづく)


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