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【12・ベルダネウスの逆襲】

 部屋に鞭の音がする。

 その度に苦痛のうめきが上がり、血が飛び散ったては床に染みを作る。

 古代魔導文明遺跡・魔導工房の一室。部屋の4隅に大型のランプが置かれ、テーブルや椅子を隅に片付けられた中央、手枷をつけられたベルダネウスが、灯用のフックから裸で吊り下げられていた。

「塩水」

 兵の1人が、傷だらけの彼に桶で塩水をぶっかける。

 痛みで彼の顔が歪み、赤く色づいた塩水がしたたり落ちる。

「そろそろ話したらどう。お前の背後にいるのは誰?」

 リゼの言葉に続くように、セクシャルが鞭を唸らせ、ベルダネウスの体を打つ。

 無数の傷跡のある体を打つ度に新しい傷が出来、血が飛び散る。この鞭はベルダネウス愛用の物だ。彼の身体を、彼の鞭が打っている。

 この鞭は拷問用を改造した物だ。うろこ状の表面が、擦っただけで相手の皮を剥いていく。傷自体はたいしたことは無いが、出血と痛みは相当な物だ。痛みだけではない。工房の空気はひんやりとして、彼の体温を少しずつ奪っていく。

 苦痛に耐える彼を、スラフスティックやバーガン、リゼやセクシャルたちが囲んでいる。

「黒幕なんていませんよ。私はただの自由商人です」

 声も目の力も弱々しいが、言葉はハッキリしている。

「しぶといな」

 苛立つスラフスティックをよそに、セクシャルがベルダネウスの全身を見、

「こいつ、拷問には慣れている。この傷、古いのも新しいのもある。これなど古いがかなりひどい」

 彼の左脇腹の傷を鞭の柄でつついた。

「それだけ危ない仕事をしているということね。その分、実入りも多い」

 リゼは彼を見上げ

「どう、商人らしく取引といかない」

 ベルダネウスの目が彼女を向く。興味を持ってくれたらしいと彼女は言葉を続ける。

「私はあなたの商売人としての力を評価しています。ただの自由商人が、あんな高品質の力玉を手に入れられるはずがありません。

 それに、ルーラを助けに現れた大男が持っていた長戦斧。柄の部分が伸縮自在で自由に間合いを変えられるあれは間違いなく魔導品。あんな武器が作られているなんて聞いたことがないわ。何らかの事情で数点だけ作られたのか、それとも古代魔導文明の遺跡から掘り出された物か。

 それ以上に謎なのは、それを使うあの大男はどう見ても魔導師ではないということ」

「馬鹿な。魔導師でなければ魔導品は使えない。込められた魔導の発動に魔力が必要だからな」

 スラフスティックがそんなこともわからないのかと鼻で笑う。

「わずかではありますが、魔導師でなくても使える魔導品が古代魔導文明の遺跡から発見されています。そのほとんどは灯魔導など日常生活用の小道具らしいですけれど。戦いに使える品は私も初めて見ました」

「だったらこの遺跡にも」

「私が見た限りはありません。気づいていないだけという可能性は否定しませんが」

 改めてリゼがベルダネウスを見上げ

「力玉といい、伸縮自在の長戦斧といい、あなたの背後には魔導関係の組織があるのは間違いない。そこで先ほどの話に戻ります。

 私たちとその組織の仲介をして欲しい。直接、私たちが魔導品を手に入れられるように」

「私の取り分がなくなりますね」

「その代わり、今回の件はなかったことにしましょう。あなたも、あのルーラという娘も見逃しましょう。昼間渡したお金もそのまま持っていってかまいません。

 悪い条件ではないでしょう」

「悪い条件ですね」

 ぶら下がったままベルダネウスはスラフスティックをちらと見

「私の取り分は全て終わった後に手にする内容です。しかも、あなたたちは既に1度、私との約束を破っている」

「村の連中を殺したことか。あれは状況が変わっただけだ」

「変わったのは状況ではなく、あなたの気分でしょう」

 そこへニヤニヤしながらバーガンが出てきた。

「えらく強気だな。お前さんの黒幕と繋がりたい以上、こちらがひどいことは出来ないと踏んでいるのか」

 彼が目配せすると、部下の1人がポラリスを連れてきた。服を剥ぎ取られ、全裸の全身は青あざだらけ。しかし、どうやら女としての辱めは受けていないらしいのが微かな救いだった。

「娘には逃げられたが、お前の女房を捕まえた」

 突き飛ばされ、彼女が床に転がる。荒い息の中、立ち上がるどころか体の向きを直す力も残っていないようだ。

 ベルダネウスは無言でポラリスを見下ろしている。彼女の姿と、今まで聞かされていたこと、見てきたことを頭の中で必死に組み立てていた。

 微かに彼女が頭の向きを変えて彼を見た。弱々しく頭を横に振る。

「少し時間をあげましょう。夫婦でこれからのことを話し合うのですね」

「随分お優しい意見だ」

 リゼの言葉に、バーガンがあざ笑う。ベルダネウスを見上げ

「お前はシジニムのことを知っていたな。あそこの衛士隊長がどんな最期を遂げたかも。あれと同じ目にあわせてやろうか」

 吊らされたままの彼の目がひくついたのをバーガンは見逃さない。

「今まで偉そうな、格好いいことを言っていた奴が、薬欲しさには衛士隊長の誇りも捨てて、夫婦で殺し合うんだ。自分の子供の目の前でな。お前も女房を自分の手で殺して見るか」

「薬が今あるのか?」

 スラフスティックが聞く。

「少量ですがね。人1人中毒にするには十分ですよ」

「どれぐらいかかる?」

「すぐに使えば、明日の今頃は、薬欲しさに何でもするようになります。女房も殺すし、知っていることは何でもしゃべります」

「よし、まかせる」

 ためらうことなくスラフスティックは結論を出した。

「こいつには使い道がある」

 兵達がポラリスを立たせ、部屋から連れ出すのを、にたにた見ながらクリフソーがついていく。

「それでは、私も用意するか」

 バーガンも出て行き、ベルダネウスだけが残された。吊されたまま弱っている彼に逃げる体力も無いと考えたのだろう。見張りすらおかない。


 1人残されたベルダネウスは、吊り下げられたまま呼吸を整え、周囲の気配を探る。

 部屋の前にも窓の外にも人はいないと判断した彼は大きく息をし、ロープを両手でつかむ。

 歯を食いしばって力を入れると、そのまま逆上がりのように体を起こし自分を吊すフックに足を引っかける。あれだけ痛めつけられたというのに、彼はまだこれだけの力を残していた。

 息を整えるのももどかしく、彼は口に指を入れると、中から短く折りたたんだ針金を取り出した。捕まったとき、とっさに作り、口の中に押し込んだのだ。

 唾液にまみれたそれを伸ばし直すと、彼はそれを手枷の鍵穴に入れて動かしはじめた。いつ誰かが戻ってくるかわからない中、彼は神経を指先に集中、小さな音と共に手枷が外れた。

 笑みを浮かべた彼の耳に微かな足音が聞こえた。とっさに彼はロープを握って吊られた形に戻る。手枷は外れているが、手首に軽くはまっているのでちょっと見ただけではわからない。

 扉を開けて、バーガンが皿などの荷物を持って1人で入ってきた。

「ポラリスは……どこだ?」

「まだ女房の心配をする余裕があるのか。あの女は男達を楽しませた後、エサにされる」

「エサ?」

「素っ裸のまま、入り口に吊しておくんだ。助けに来た仲間を返り討ちにする」

 楽しげな表情をベルダネウスに向け

「気になるか。ま、理性がある今のうちに心配しておけ。あの衛士隊長のように、いずれは薬欲しさにお前の手で殺すことになる」

 答えながらバーガンは床に皿と小鉢を置き、薄い木くずを小鉢に盛った。これで火をおこし、麻薬の粉を炊くことで部屋に薬が広がり、中の者達は快楽に浸るのだ。コカネの葉のように、医療用に加工された麻薬が乾燥させた葉や茎を口にし、噛んで効果を得るのとは大分違う。

「シジニムの衛士隊長……ところで、前は聞き損ねましたが、彼の子供はその後どうなったか知ってますか?」

「マダムが高く買っていったよ。心配はいらん。あのマダムは見てくれの良い少年を自分の飾りとするのが趣味だからな。いいもん食わせていい服着せて、夜になったらベッドで相手をさせて、考えようによっちゃ幸せだったのかもな」

「だった?」

「そのマダムの乗った船が嵐にあってな。連れていた美少年達もろとも沈んじまった。今頃は骨だけになっているだろう」

「死体は見つかっていないのならば、生きている可能性はありますね」

 バーガンがふくみ笑った。彼は、追い詰められた人間がおしゃべりになることを知っている。ベルダネウスのおしゃべりは、彼の不安の表れだと、この会話を楽しむことにした。

「ないね。仮にどこかの海岸に流されたとしてもだ。マダムの後ろ盾のないガキがどうやって生きる?」

「……でも、生きているとしたら、どうなっているでしょうね?」

「今も生きているとしたら、25か26ぐらいか。考え事もないな」

「そんな子が生きるとしたら、手段なんて考えていられないでしょうね。必要とあらば、盗みだって殺しだってしたでしょう。とことん卑屈になって人の善意にすがるか、攻撃的になって人を威圧し、言うことを聞かせるか。

 そのマダムが教えたことが役に立ったかも知れませんね。自分が連れて歩くに恥ずかしくないように、様々なマナーを教え、会話に入れるように美術や宝石について教えられ。それらを生かす機会に恵まれれば、周囲から重宝されたかも知れません」

「だったら幸せだな」

「でも、身元不明というのが問題視されるでしょう。周囲の妬みもあるでしょう。その子は結果的に大きな集団にはいられないでしょう。居心地の悪さから、1人で生きることを選ぶかも知れません」

「かもな。だが、そんな都合良く1人で生きるなんて」

「当然、仕事は限られますよ。知識を生かし、行動力を生かし、他人と深く繋がるのを恐れ……例えば……」

 ベルダネウスが静かに微笑み

「自由商人とか」

 木くずに火を付けようとしたバーガンの手が止まった。

「お前……まさか?」

「どうしました……フィリおじさん」

 突然あどけない、幼いっぽい口調で呼ばれ、バーガン……フィリスト・バーガンの表情が固まった。

 昔、自分が売り飛ばしたシジニムの衛士隊長の幼い息子。その顔が彼の脳裏で急速に年を取っていく。あどけない顔が少年になり、青年になり、大人になり……ついに目の前に吊られている自由商人の顔と重なった。

 彼が思わず声を出そうとした瞬間、ベルダネウスがロープから手を放した。手枷が外れ、バーガンの前に降りると、彼が身構える暇も与えず足を払う。

 転倒した彼の首に手枷の鎖をロープのように巻き付け、力一杯締め上げる!

 もがくバーガン。悲鳴どころかうめき声1つあげさせまいと、ベルダネウスは首を絞める手枷の鎖に力を込める。

 白目を剥き口を大きく開けたままのバーガンの顔の震えが止まり、口の端から涎がしたたり落ちる。

 ほどこうと手枷の鎖に賭けた腕の力が消え、だらりと床に落ちた。

 ベルダネウスはさらに手枷の鎖で彼の首を絞める力を強め……抵抗する力を感じなくなって、やっと締める力を緩めた。

 息を整えながら、ただの肉体となって床に転がっているバーガンを見下ろす。

「……本当に、あのマダムから教えられたことは、今、いろいろ役に立っています。人の殺し方とか……ね」

 テーブルに放り出されていた自分の服を身につけ、鞭を取る。2、3度降って感触を確かめると、バーガンの死体に目をやり

「……先は長いな」

 マントを羽織り部屋を出る。扉に今し方用意した紙をピンで留める。それには

『麻薬を炊いている。絶対開けるな』

 と書いてある。バーガンの字を知っている人が見ればすぐにバレるが、それでもいくらかは時間が稼げるだろう。

「急がないと」

 体のあちこちが痛かったが、これからすることの高揚感の方が大きかった。


 拘束はない。しかし、ポラリスには抵抗し、逃げるだけの力が無かった。ただ、全裸で冷たい床に転がっているだけだ。

 自分の体を散々弄んだ兵達は、交代で食事を取りに出て行った。今、ここには兵が1人残って酒を飲みながら皆が戻ってくるのを待っている。このあと、自分は外に吊されることになっている。外で襲撃のタイミングを計っているガイン達をおびき寄せるエサとして。まだ本格的な冬ではないが、この時期、全裸で外に吊され続けたら、凍え死んでもおかしくない。

 しかし、彼女にはそれを恐れる余裕も無かった。ただ、心が空っぽに近い状態で転がっているだけ。

 そんな彼女の耳に、

「お前、どうしてここに……ぐあっ!」

 見張りの兵の倒れる音が届いた。つづいて兵のくぐもった声。

 何だろうと力なく彼女が目を開けると

「ポラリス、大丈夫か?」

 心配そうにのぞき込んでいるベルダネウスの顔があった。

「服が見当たらなくて。これで我慢してくれ」

 被せられたマントは防寒用で暖かかった。

 気付け代わりにと彼が持ってきたワインを少し飲むと、いくらか力が戻ってきた。見回すと、裸足の兵が1人、胸を血に染めて倒れている。

「立てるか。話は後だ。まずは地上に出ないと。途中、服があったら手に入れよう」

 地下遺跡と地上のラウネ教会を結ぶ道は1つしか無い。そこを押さえられる前に脱出したかった。

「合うかどうかわからないが」

 兵から奪ったと思われる靴下と軍靴は、少し大きかったが紐を締めればそれほど気にならないし、何より裸足よりはずっとマシだった。靴下と靴の他は全裸にマントを羽織っただけという格好は間抜けに見えたが今はそんなことを言っている場合ではない。ポラリスはベルダネウスに手を引かれるように部屋を出た。

 地下遺跡の構造は彼女にはわからない。ただ彼に手をひかれるまま進むだけ。

 正面入り口に繋がる工房では、リゼがクリフソーを記録係に、魔導巨兵を動かしていた。表情が生き生きとしているリゼに対し、クリフソーはつまらなさそうに、言われるがままに紙にペンを走らせている。

「ここからは無理だな。別に出入り口があるはずだ」

 先に立っているものの、ベルダネウスもこの遺跡のことをよく知っているわけではない。いくつかの通路や部屋を調べているうち

「おい、女が逃げたぞ!」

 兵の声がした。

「地上への通路を塞いで! そこしか逃げ道はないわ」

 リゼの指示に、兵達の足音が重なる。

 心配げな顔をするポラリスの手を引き、ベルダネウスは走り出す。どこか身を潜められるところを探して。


 遺跡周辺をベルダネウスたちを探す兵達が走る。魔導の光や篝火が焚かれているとは言え、遺跡敷地全体を照らす程ではない、兵達は少ない人手で龕灯や松明を手に周囲を探っているが、彼らも隅々まで知っているわけではない。中には蹴躓いて転ぶ者もいる。

 遺跡を突っ切るように流れている川。それは遺跡の前を横切り、また地下へと消えていく。その流れの中、地下から微かな光が流れを遡るように近づいてくる。

 敷地内に入ると、その光が川面に頭を出す。人の体もすっぽり包めるぐらいの大きさの光の球。それは川岸に着くと、土の壁際に這い上がり、光が消えた。光の代わりに現れたのはカーンとルーラ。

 以前、ルーラはこの川に落ちて遺跡の外まで流されベルダネウスたちに拾われた。2人はそれを逆に上がって来たのだ。もっとも、カーンの絶大な魔力があってこそ可能な方法だが。

「何やら騒がしいの」

 玉の表面を形作るように広がっていた魔玉のネックレスが縮まり、カーンの手に収まった。

「何だ今のは?」

 兵が2人、松明を手にやってくる。カーンはルーラを抱き寄せると何やら唱えはじめた。2人の体が闇に覆われ、周囲の暗がりに溶け込んで見えなくなる。やってきた2人の兵も気がつかない。

「何もないな。光が見えたんだが」

「魔導灯の光が川面に映ったんじゃないか?」

「かも知れないな。わざわざ灯りをつけて逃げるとは思えん」

「女と一緒だ。また近くにいるはずだ」

 納得したように、兵達は遺跡の方に戻っていった。闇が晴れ、カーン達の姿が現れる。

「ベル公の奴、自力で逃げたか。ポラリスちゃんも一緒みたいじゃな」

 ルーラに冷たくも優しげな目を向け

「わしが手伝うのはここまで。敵討ちが成功する失敗するか。あとはお前さん次第じゃ」

「いろいろありがとうございました」

 ルーラは一礼すると、腰に愛用のナイフがあることを確かめる。13才の少女には似合わない大振りのナイフだが、子供の頃から山歩きに持ち歩いていた愛用のナイフだ。正体がばれる前、そっと自分の部屋に戻って取ってきたのだ。

 暗がりを選ぶように壁沿いに遺跡に向かう彼女を見送ったカーンは改めて遺跡を見た。建物入り口の脇には、魔導巨兵が2体、門番のように立ち、その横では1体が体操しているかのように体を動かしている。

「あれじゃな」

 まっすぐ遺跡に向かって歩いて行く。

「さて。ガインの奴がどれだけ兵を引きつけてくれるか」

 身につけた魔玉のネックレスが淡く光り始め、彼の身体は空気に溶け込むように見えなくなった。


 ベルダネウスとポラリスは遺跡の屋上、階段のある昇降口の上にいた。体を伏せ、顔さえ出さなければ下から見つかる恐れはほとんど無い。ポラリスは服を着ていた。洗濯物として積まれていた服で手頃なのを取ってきたのだ。そのため男物で色もサイズも上下で合わないが、裸マントよりはずっとマシだ。

 見つかったら逃げ場はないが、リゼなど魔導師が飛行魔導を使ったりしない限りは大丈夫だろう。ここで時間を稼ぎ、連中が休息に入ったタイミングで逃げるつもりだった。

「とにかく、今は休もう」

 荷物の中からパンと飲み物の入った壜、食べ物を詰めた袋を出す。逃げる途中で食堂などからかっぱらってきた物だ。

「見てくれの悪さは我慢してくれ」

 その言葉通り、袋の中は様々な料理がごちゃ混ぜになって入っている。だが、ベルダネウスはそんなことは気にせず、手づかみで食べ始める。水も壜からラッパ飲みだ。

 最初は恐る恐るそれらを口に運んでいたポラリスだが、次第にその手が早くなり、いつの間にかベルダネウス以上の勢いで食べていた。その様子に彼の顔がほころぶ。どんな状況でも食欲があるうちは大丈夫というのが彼の考えだった。

「……聞かないんですか?」

 ようやく落ち着いた彼女が言った。

「ドルボックではなく、君がここにいることか……」

 彼が困ったように目を背けた。

「君が来たことを怒るべきかもしれない。事実、君は奴らに捕まり……でも、おかしな事に、君が捕まって私の前に現れたとき、私は……」

 唇を噛むと、申し訳なさそうな、戸惑ったような顔で視線をそらし

「うれしかった」

 驚きの顔を見せる彼女に

「君の痛めつけられた姿を嘆くより先に、君が来たことの方がうれしかった。自分でも、よくわからない男だと思う。言葉が武器の商人のくせに、言葉が出てこないなんて情けない」

「あなたが来いと言わなかったから……私が来たの」

 静かな笑みを返す彼女は、彼より落ち着いているように見えた。

 ゆっくりにじり寄ってくるのを彼は静かに受け止め、当たり前のように唇を重ねる。しばし互いの感触に浸っていると、かすかな痛みを感じてどちらからともなく唇を離した。

 何だろうとポラリスが唇に手をやると、そこについていたのは先ほど口にした跳虫の足。

 無性におかしくなり、2人は声を出さずに笑い合う。そこへ

「いないな」

 昇降口の扉が開き、兵が1人出てきた。とっさに2人は身を伏せる。

 さらにもう2人兵が出てきて辺りをランプで照らす。天井に積もった土に足跡がないか軽く見る。ベルダネウスたちは上がった跡、昇降口の天井に積もった土を軽くかけ回し、足跡を消している。しかし、よく見れば不自然さに気がつくかもしれない。

 だが

「こんな逃げ場のないところに隠れるほど馬鹿じゃないだろう」

 兵たちは通り一遍調べただけで工房内に戻っていった。

 扉の閉める音とともに、2人は安堵の息をつく。


「あの大男が出ました。2人やられました」

 兵の報告に、スラフスティックたちが椅子から腰を浮かした。

「教会の中に出入りを繰り返し、こちらを攻撃しています」

「落ち着け。作戦通り地下への通路の守りを固めろ。弓と魔導で牽制、奴を近づけるな。決して挑発に乗るな」

「ベルダネウスたちを助けに来たのか?」

 つぶやくセクシャルに

「他にあるか」

 説明するのも馬鹿馬鹿しいと、スラフスティックはテーブルに置いた紙を指で叩いた。ベルダネウスの字で『麻薬を炊いている。絶対開けるな』と書かれたあの紙だ。

「奴らはドボックを狙う国のスパイだ。バーガンを殺したのも、麻薬産業の妨害に決まっている」

「……彼らは、個人的感情で動いているような気がする」

 セクシャルが立ち上がり兵達の助けをするために出ていこうとするのに

「人は国のために働くものだ」

 スラフスティックのそれは自信の表れと言うより、強がりにも聞こえた。

 窓の外を魔導巨兵が歩いて行く。リゼによる魔導巨兵の制御訓練は今も続いている。

 テーブルの上のカップが揺れた。テーブルが、魔導灯が細かく揺れる。

 が、それもすぐに収まる。

「また地震か」

 スラフスティックが見回すと、扉のところにセクシャルがまだ立っていた。


(いた!)

 ルーラが通路の陰に隠れ、改めてそっとのぞく。

 魔導灯に照らされた通の先にクリフソーがいた。手には精霊の槍を持っているが、護身用に一応持っているだけらしく、構える様子もない。

 彼女のナイフを持つ手に力がこもる。

 周囲に気をつけながら、物陰から物陰に移動してクリフソーに近づいていく。薄暗さは彼女に味方しているようだった。

 クリフソーが扉を開けてひとつの部屋に入った。ルーラも駆け寄り、完全に閉まっていない扉の隙間から中をのぞく。

 そこは備品倉庫で、魔導巨兵の部品が積まれていた。その中を彼が1人で面白くなさそうに部品をひとつひとつチェックするように指さし確認しながら歩いて行く。

 正面扉は閉ざされ、魔導灯が少ないせいでうす暗い。ルーラにとっては都合が良かった。彼女は足音に気をつけて、部品の間を縫うようにクリフソーに近づいていった。

 腹は決めていた。隙を見て彼を襲う。蛇、トカゲ、狼、山の動物たちを仕留めたことは何度もある。少なくとも、彼が狼より強いとは思えない。問題があるとしたら、相手が人間ということだ。

 ためらうな。ガインが彼女に言った心構えを思い出す。相手も必死。少しでもためらえばありったけの力を使ってそこから逃げ出すと。

 ずらりと並んだ魔導巨兵の腕に隠れながら、彼女はクリフソーとの距離を詰めていく。

 ナイフを持つ手に力が入り、唾を飲み込んだ。彼女の全神経はクリフソーに向いている。

 彼の背後に回ると、ナイフを構え腰を落とす。このまま一気に彼に体当たりするようにナイフを突き刺せば

 その時、彼女の頭上から網が降ってすっぽりと被さる。

「な、何これ?」

 もがく彼女に、クリフソーがにやにや笑いながら振り向いた。

「えらく簡単に引っかかったな」

 網に絡まりながら彼に突撃しようとするルーラだが、巨兵の腕越しに跳んできたセクシャルが網の裾を踏む。

 つんのめって倒れるルーラ。駆け寄ったセクシャルが彼女のナイフを持つ手をねじり上げた。彼女の苦痛の声が倉庫に響く。

「無駄なことは止めろ」

 網に絡まったまま床に押さえつけられるルーラの耳に、クリフソーや兵士達の嘲る笑い声が流れ込んできた。


(つづく)


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