99話【進め】
「――つまり、その器は、まだ出来ていないのですね」
艦内通路。
コツコツとした音が幾重にも響く。
「そう、故に己は戻らねばならない。
まだ鉄砂海峡でするべきことがある」
滑るように幻影は進む。
足音一つも立てやしない。
『――[もの]。
[得るべきもの]がある――』
――そう考えるのが妥当だ。
彼女の幻影に於いて、[欠けている要素]は、何か?
「……そうさ。お嬢さん。
もう一つ、必要なのさ。つまり――」
『――【濁水】
推定近似種、もう一つの手本。
そして。それは恐らく、器の――』
「――材料、だ。
[物理的干渉による肉体簒奪]である【錆砂】では参考にするしか無いが――
――【濁水】なら、機構をそのまま利用できる筈だ」
『つまり、濁水は非物理的肉体簒奪と?』
「おそらくね。
少なくとも、幾度か交戦した鎧龍人たちからは、
【錆砂】の様に[液状実体]は検出されなかった。
であるならば恐らく、内包世界の方に[簒奪者実体]がある筈だ」
「練術の【心魂衝突】のように、ですか?
ですが、いまの父様の魔力では、あれ程の大術式は――」
「故に[材料]が必要になる。
[感染源]――即ち、【内包世界への転写装置】と思しき、
【濁水の狂気】の源を、ね」
「!」
子爵の雲身体を正二十面体に封じ、新たなる器へと転送する――
――それなら、可能だろう。
子爵は新たな肉体で、活動可能状態になるだろう。
――内部の狂気源を取り除ければ、の話だが。
だが――
……できるかも、しれない。
虚空の海神にやったように、ボクの虚空で。
狂気源が女神の眷属神なら――
――やりようは、ある。幾らでも――幾らでもだ。
ならば、ボクは往くべきだろう。
そう――すべきだ。
[# 主よ、飛翔準備を完了した。
今すぐにでも、飛翔可能である]
艦甲板、黒鳥落下地点。
開口部を大きく開く黒鳥の姿は、どことなく強い力に満ちている。
「ありがとう、バーバトゥルス。
――さて。ノア、メガリス。
本当に助かった。この恩はいずれ必ず返そう。
己は往かねばならない――これでお別れだ」
「待ってください、フェン兄様。
行先がそれほど危険と聞いて――私が、黙って見過ごせると思っているのですか?」
「思わないね、ノア。君は昔から義に勇に厚き人間だ。
――でも、ノア。君にはいま、するべきことがあるんじゃないかい?」
「っ! それは――」
「[父上への報告]。
――浮遊島群これほどの【変異】を齎したんだ。
[探求行]の完遂であろうとなかろうと、
報告が急務であることに間違いはないよ」
『――!』
――なるほど。
そういうことか。
それならば、[言動遅延]と[眩惑話法]、そして[幻影演出]の意味も合う。
おそらく、彼女は――
――【妹を鉄砂海峡へ、往かせたくない】のだ。
故に今、彼女は【同行】ではなく別種の目的として、【帰還と報告】を提示した。
――誘導をしたのだ。
では――その理由は?
――[危険な目に遭わせたくない]?
――[見られては拙いモノがある]?
――[何らかの要素と、不利益的反応が生じる可能性]?
――それとも、ただ単純に[報告が優先と判断した]だけ?
――後回しだ。
答えなど、迷わず向かえば必ず理解る。問題は――
「――いいかいノア、己の強さはよく知っているだろう?
それに、鉄砂海峡での調査はもう随分になる。
地の利は既に、此方にある――十分にね」
「くッ――ですが、フェン兄様……」
[我らが麗しきお姉様]はどうやら、反論の余地を削り取られているようだ。
此の侭では、ボクらは【帰還】することになるだろう。
それでは、拙い。
[仮定:眷属神]との接触――即ち、【女神へと接近する好機】を失うことに為る。
「――わかりました、フェン兄様。
……私は――」
――これまで、か。
……止むを得ない。
ならば、いっそ――
『――待ってください、ヘル』
「――メガリス?」
『当機に、こう命じください。
――{兄を、護衛せよ}、と』
「!!」
見開く目、交差する視線。
金糸の髪が、大きく揺れた――




