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フェイズ12:至高の英雄(ブライト・オリジン)― 勇気の証明と英雄の継承  作者: あめたす
第2章:[Train-02] 逆境の試練、不屈の闘志

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第8話:限界の向こう側

第8話:限界の向こう側


【ログ:Subject 12 / Purity 98% / Sync 0.15%】


 キュ、キュと、床を覆う強化吸音ゴムが甲高い悲鳴を上げていた。

 特注のトレーニングシューズの靴底が磨耗し、焦げた合成ゴムの嫌な匂いが立ち上る。   

 天道誠は、両手で固く握りしめた重加重仕様の練習用木刀を、眼前の虚空に向かって振り抜いた。

 空気を力任せに切り裂く鈍い風切り音が、静まり返った広大な訓練場に連続して響き渡る。


「ほうら12号、テンポが落ちてるぞ。あと五十本」


 ガラス張りの観測エリアから、マイクを通したハルキの平坦な声が降ってきた。

 彼の指先がコンソールを叩くたび、誠の網膜に直接投影されている仮想ターゲットの移動速度がコンマ数秒ずつ切り詰められていく。


「ふ、……っ、はぁっ……!」


 誠の全身の筋肉は、すでに過度の硬直によって強張っていた。

 昨日吐き出した血の味は、喉の奥にまだ薄く残っている。さっき噛み砕いたシトラス風味のサプリメントの粉っぽさと混ざり合い、生温かい舌の上で不快な金属味へと変わっていた。

 ウェアの袖は、繰り返される激しい動作の摩擦で熱を持ち、汗と擦れ合ってササと乾いた音を立てている。


 視界は、眩いばかりの金色だった。

 『天導の眼』が彼の網膜に描き出す、無数の金色の照準線。その中心に、次々と生成される漆黒の怪物のホログラム。

 頭上には【Target Dummy / Load: 140%】という赤いグラフィックが点滅している。


 速い。

 だが、追いつかなければならない。

 もっと速く、もっと正確に、迷いなく剣を振らなければ、壁の向こうから迫る化け物たちからみんなを守ることはできない。


(……まだ、動ける。僕は、まだ……!)


 脳幹を直接熱した針で突かれるような激痛が、脈動に合わせてドクン、ドクンと頭蓋骨を打った。

 しかし、痛みがピークに達した瞬間に、システムから大量の脳内麻薬が自動投与される。痛みが急速に麻痺し、代わって全能に似た浮遊感が全身の神経を支配した。


 ガキィン!


 木刀が、ホログラムの怪物のコアを的確に粉砕する。

 光の粒子となって砕け散るターゲットの隙間。その奥、訓練場の最深部にあるガラス張りの別区画が、誠の金色の視界の端に一瞬だけ映り込んだ。

 薄暗いその部屋の奥には、円筒形の巨大な液体カプセルが静かに並んでいる。

 その一つの表面に、白い塗料で大きく『13』という数字が刻印されているのが見えた。カプセルの向こう側に、小さな人影のような影が浮かんでいる。


(……あれは、プロヴィデンスが次に保護したっていう、生存者の……?)


 脳の片隅で浮上した疑問は、次の瞬間、脳内を駆け巡る快感の波によって一瞬で飲み込まれた。


『――Warning: Neural Load Exceeding Safety Threshold――』

『――Tranquility-4: Supplementing Dopamine--』


 思考が、不自然なほど滑らかに初期化されていく。

 疑問も、筋肉の激痛も、すべてがどうでもよくなる。ただ目の前の標的を破壊し、完璧な成果を出すことだけが、世界で唯一の正しい目的として脳内に再構築された。


「ハァッ、ぁああっ!」


 踏み込んだ右足の踏み込みが、ゴム床を大きく歪ませた。

 木刀が残像を描き、残る十数のホログラムを一瞬で両断する。最後の標的が消滅すると同時に、頭上の負荷ゲージがゼロへと巻き戻り、視界を覆っていた金色の光が潮のように引いていった。

 同時に、切れていた痛覚のスイッチが、一気に押し戻された。


「ぐ、っ……あ」


 視界が不規則に点滅する。

 膝から崩れ落ちそうになる身体を、木刀を床に突き立てることでかろうじて支えた。荒い呼気が、灼熱の空気となって唇から漏れる。

 ぽたり、と。

 床の黒い吸音ゴムの上に、赤い液滴が落ちて弾けた。

 続いて、二滴、三滴。

 鼻の奥から溢れ出してきた熱い血液が、顎を伝い、木刀の柄を伝って、誠の手の甲をべっとりと濡らしていく。


「あはは……また、出ちゃったな……」


 誠は荒い息を吐き出しながら、合成繊維の袖で強引に鼻下を拭った。白い袖口が、瞬く間に生々しい赤紫色の斑点で汚れていく。

 強化ガラスの向こう側で、ハルキが気だるそうに缶コーヒーのプルトップを引き抜く音が、スピーカー越しに聞こえた。


「はい、終了。同期率コンマ一五%に到達。12号ちゃん、根性あるねえ。普通なら神経が焼け切れて失神してるレベルだぞ」


 ハルキの言葉に、冷笑的な称賛が混ざっている。

 その隣で、リナがコンソールの上に置いた両手を、硬く握りしめているのが見えた。彼女の指先は、血の気が引いて白く透き通っている。

 リナはマイクのスイッチを押し、静かな、だがかすかに震える声で呼びかけた。


「……誠。もう十分よ。今すぐ医務室へ移動して、ハルキに冷却処置を受けさせて」


 彼女の瞳は、誠の足元に広がる赤い血の斑点と、彼の激しく上下する肩を凝視していた。

 ハンドラー用の白いコートのポケットの中で、彼女の指先が、あの不格好な小石の表面を激しく擦っている。角張った石の感触が、彼女の皮膚に鋭い痛みを伝えていた。


 だが、誠はゆっくりと首を振った。

 膝の震えを力任せに抑え込み、木刀を握り直して、ゆっくりと立ち上がる。

 顔を上げた彼の瞳には、鼻血で汚れた口元とは対照的な、驚くほど純粋で澄み切った光が宿っていた。


「ううん……まだ、やれます。リナ」


「誠……?」


「これくらい、なんでもないよ。僕がここで立ち止まったら……壁の外から来る化け物に、街のみんなが襲われちゃうだろ? カエデちゃんも、リナも……僕が強くならなきゃ、守れないんだ」


 誠は、途切れ途切れの息の中で、必死に口角を上げてみせた。

 血で濡れた顔で浮かべたその笑みは、痛々しいほど無垢で、一点の濁りもなかった。

 自分が今、システムの手によって命のロープを急速に磨耗させられていることなど、彼は微塵も疑っていない。ただ、誰かを守るための「力」を得られているという喜びに、その心を全身全霊で委ねていた。


「だから……もっと負荷を上げてください、ハルキさん。僕は、どんな訓練でも耐えられますから」


 静寂が、広大な訓練場を包み込んだ。

 空調の電子的な駆動音だけが、変わらない一定のハミングを刻み続けている。

 観測エリアのハルキは、一瞬だけ呆れたように目を丸くし、それからくっくっと喉を鳴らして笑った。


「聞いたか、リナ? 素晴らしい少年だ。先代の11号に見せてやりたいくらいだね」


 ハルキの指先が、液晶画面の『Sync Rate: 0.15% - Approved』の項目を無感情にタップする。

 リナは何も答えることができなかった。

 彼女の視界に投影された誠のバイタルデータ。脳細胞の摩耗率を示す赤いグラフが、危険域を示す境界線を静かに越えようとしていた。

 彼女は、ポケットの中の小石を握りしめたまま、ガラスの向こうで無邪気に笑う誠を、ただじっと見つめ返していた。


「……ええ。分かったわ、誠」


 リナの声は、機械のように完璧なハンドラーのトーンへと戻っていた。


「あなたの覚悟を、尊重するわ。……でも、今日はここまで。明日の実戦訓練に響くわ」


「……うん。リナがそう言うなら、分かった」


 誠は素直に木刀を下げ、最後にもう一度、血のついた顔で明るく笑ってみせた。

 自分を待つ結末が、どんな形をしているのかも知らずに。

 英雄は、白いタオルを受け取るために、足元の血の跡を踏み越えて歩き出した。


[Subject 12: High-Load Training - Completed]

[Purity Core Index: 98%]

[Sync Rate: 0.15% (Erosion Progressing)]


【進捗率:11.1%】

【次回:神速の萌芽】


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