第八話 終話
気がつけば視界は逆さまになっていた。晃琉が吊るされてることに気がついたのは、数秒してからだった。
足元を確認する。黒い蔦のようなものが絡みつき、両足を拘束されている。木にしっかりと固定されていて、どう足掻いても取れそうにない。
「あらあらぁ〜? やぁっと私の元へ来てくれたわねぇ〜?」
どこか耳につくような女声が響いた。いや、正確に言えば女声のようなものだ。
声のもとを探るようにして見ると、そこには一人の女が立っている。
森の中だというのに肌がギリギリまで露出している。豊かな胸は、少し間違えば見えてしまいそうだ。
艶やかな唇からは時々チロリと舌が出る。紅い瞳を持つつり目は、惚けたようにこちらを見つめていた。
彼女の足元には下級悪魔がぞろぞろと蠢いていた。威嚇するように伸ばす黒い手は、どこか背筋が凍るものがあった。
「ずっと待ってたのよぉ? お前がくるのを。あいつらが中々使えないからぁ、我慢できなくなっちゃったわぁ?」
あいつらというのは、金髪たちのことだろうか。そして我慢できなくなったというのはここら一帯の事件のことだろうか。
理解しようとして、途中で放り投げた。目の前にいる悪魔は、どう足掻いても晃琉の常識の枠の外にいる。
「せっかく食事を楽しもうと思ったのにぃ、逃げちゃうんですものぉ……」
限界まで顔を近づけて、晃琉の頬に手を寄せる。赤い舌を伸ばして、彼の右目を舐め取った。
全身の産毛が立つような感覚を受ける。心の底から、この女を嫌悪する。
これが生理的に無理という感覚なのだろう。
「なんであそこから逃げちゃったのぉ? 一緒に楽しいことできたのにぃ」
今度の言葉はわかった。
彼女が言っているのは、昨日の廃虚のことだろう。
「……正解だった」
「なぁに?」
間近で見据えてくる女に、晃琉は口を開く。
「エルに選ばれて正解だった」
「……エル?」
眉根を寄せた瞬間、晃琉の周囲に黒い炎が立ち昇る。足を吊るしている蔦を焼き、女を焼く。
「……ちっ! だぁれ、邪魔するおバカさんはぁ!」
焼かれた女は、手を振り払った。火は掻き消えるように彼女の中に吸収される。
「あだっ!」
彼女が離れた瞬間、晃琉の足は解放された。地面に落ちて、背中を強く打つ。
呼吸を整えて、ゆらりと立つ。先ほどまであった息苦しさは、どこかに消えていた。
「おバカさん呼ばわりは、不敬なの」
エルはいつの間にか彼の横に立っていた。口元には相変わらず楽しそうな笑みを浮かべている。
「あら、おチビちゃん。あなたが私のご飯を横取りしたのかしらぁ?」
「お前には扱えないから、私が代わりに貰ってやっただけなの」
「ふん、下等悪魔のくせに生意気ねぇ!」
そのセリフにエルは目を見開いた。次の瞬間、森の中に響き渡るほどの大きな声で笑う。
腹を抱える彼女は、苦しそうに近くの木を数回叩いていた。
「何がおかしいのよぉ?」
「いや、お前ごときに晃琉は使いこなせないって思ったの」
エルの言葉が逆鱗に触れたのか、女が手を振り上げた。足元にいた下級悪魔たちが、一斉に飛びかかる。
「「跪け」」
エルが言い放ったと同時に、晃琉の口が動いていた。
心臓が圧迫されたように苦しくなり、咳き込むように口を抑える。エルから何か黒い気配が逆流しているが、止めることはできない。
下級悪魔たちはというと、地面に縫い付けられたように動かなくなっていた。体を震えさせて、気味の悪い声を発している。
「お前たち、どうしたのよぉ!?」
女悪魔の声を無視するようにエル──晃琉は続ける。
「「自戒しろ」」
瞬間、周囲に絶叫が木霊する。ゾロゾロ集まっていたはずの下級悪魔たちは、一匹残らず破裂した。
その状況を見た女悪魔は、信じられないとでもいうように立ち尽くしていた。
心臓が大きく飛び跳ねた。晃琉は血を吐いて、倒れる。視界が霞む。
「やり過ぎたの」
エルの他人事のような声が聞こえてきた。
「何よこれ? は? 待って、お前──あなたは?」
「余計なことを言うななの。今すぐここから去れば、見逃してやるの」
二人が何を言ってるかは分からない。晃琉は途中で意識を手放した。
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『──続いては占いコーナー! 今週の──』
響くテレビの音に意識を戻す。リビングに座っていることに気がついて、何してたんだっけ? と、考える。
机に広がる味噌汁と焼き魚を見て、朝ご飯を取っていたことを思い出す。
何か大きなことを忘れてる気がするが、まあいいかと切り捨てた。ゆっくりご飯に手を付けようとしたところで。
「邪魔するぞ」
リビングに堂々と入ってきた笹里の姿を見て、すべてを思い出した。
「私の縄張りに土足で上がり込むなんて無礼なの」
キッチンからご飯を運んでくるエルが、頬を膨らませていう。
「お、食糧に餌付けして太らせるタイプか?」
「ちが……そうなの」
お互いの言い合いを聞いて、すべてを思い出した。
晃琉の日常はもうなくなっていることを。




