第五話
ふらつく足取りで教室まで戻ってきた。授業はもう始まり、国語の教員である──笹里が教壇についている。
ドアを開けた晃琉に目配せしてから、彼は無精髭を撫でた。
「おう、晃琉。どうした? うんこ言ってたか?」
その言葉にクラスの女子がきたなーいと声を上げた。
答えられずにいると、彼は半笑いを見せる。
「冗談だ。次は気をつけろよ」
席に座れと促されて、静かに従う。
自分の席に戻る間、クラスメイトたちの視線にさらされて、落ち着かなかった。どこか責められている気がするのだ。
「……月之瀬だけ?」
誰かが呟いた言葉に、どきりと心臓が飛び上がる。もしかしたら、あいつらを放ったらかしにして帰ってきたことを、何か言われるのではないかと思った。
「心配する必要はないって言ってるの」
隣の席の男子の頭に偉そうに座っているエルがいう。男子は何故だか分からない体の重さに困惑しているようだった。
「僕が心配してるのは──」
「お前の立場も守られるの」
彼女の答えを示すように、教室のドアが一斉に開く。金髪たちが帰ってきたのだ。
笹里は、ため息を漏らして座れと促した。瞬間──
「授業に遅れてしまい、申し訳ありませんでした!」
金髪が全力で頭を下げる。続けて取り巻きたちも頭を下げた。
「お、おう……?」
笹里の困惑を無視するように、彼らは頭を上げる。今度は生徒たちの方に頭を向けると、また頭を綺麗に下げる。
「皆さんの授業を邪魔して申し訳ありませんでした!」
彼らのあまりの変貌ぶりに、クラスメイトたちの動きが止まった。困惑するような空気が出る。
「と、取り敢えず自分の席につけ?」
「はい!」
とても心地の良い返事をして、それぞれが席につく。
教科書を取り出して背筋を伸ばす姿は、まるで優等生のようだ。
「えっと……じゃあ──」
笹里が何事もなかったように授業を再開する。しかし、当然クラスメイトたちはそれどころではない。
徐々に困惑がざわめきに変わり、教室中を包み込んだ。
「ここまで行くと、笑えてくるの」
エルは楽しそうにクスクスと笑っている。
「どういうこと……?」
小声でエルに尋ねると、彼女はニヤついたまま口を開く。
「下級悪魔は悪意に取り憑くの。それを私が食べたの」
つまり、金髪たちの悪意が消え去ったということ?
恐る恐る振り返り、彼と視線が合う。するとすっごい爽やかな笑顔を返された。
思わず「嘘だろ」と呟きたくなる。
「悪意がなくなったらそりゃそうなるの」
エルはいまだに楽しそうに笑っていた。
※※※※※※※※※※
「今までの僕は本当にどうかしていた。申し訳なかった」
授業終わり、金髪たちが晃琉の前に集まって綺麗な土下座を繰り広げている。
教室のクラスメイトたちは、いつもと違う雰囲気で遠巻きに見ていた。
「い、いや……えっと?」
「気が済むまで殴ってくれていい! それじゃないと僕の気が済まない!」
金髪は晃琉にしがみつき、拳を握りしめてくる。思わぬ気持ち悪さに鳥肌が立って身を引いた。
助けを求めるようにエルを見ると、彼女のニヤニヤ顔は加速している。
「ほら、お前の立場は守られたの」
「守られてないよ……!」
まさかこんな目に遭うなんて、今朝には想像もつかなかった。これではどっちがマシかなんて比べようがない。
いや、痛い目見ないだけ今の方がマシなのだろうか。
それでもクラスメイトたちの白い目が刺さり、晃琉はいたたまれなくなる。
「と、取り敢えず顔を上げて? 大丈夫だから」
「おお、あんなことをしたのにぼくたちを許してくれるなんて、慈悲深い!」
「いや、そういうのはいいから……」
「僕たちは君に一生を尽くすことを約束するよ!」
「そういうのはいいから!」
居ても立ってもいられなくなって、晃琉は教室から飛び出した。自分の背中に、金髪たちの声がぶつかった気がするがそんなことは知らない。
「まったく、お前はわがままなやつなの。嫌われるのも好かれるのもいやだなんて」
「……極端過ぎるんだよ! なんだよ、あれ! 新手のイジメ!?」
「知らないの。彼らの善意な人間像がああだっただけなの」
無責任なエルの言葉に、頭を抱える。結局周りの感性が変わったところで、地獄なのは変わりない。
もう本当にやだ。と呟いたところで──
「おう、月之瀬。ちょっといいか?」
笹里が手を挙げてこちらに向かってきた。無精髭を擦って、面倒くさそうにポケットに手を突っ込む。縒れたスーツは、彼の性格を現しているかのようだった。
「……なんですか?」
「いや、ちょっとお前に聞きたいことがあるんだ。生徒指導室に来てくれ」
唐突の呼び出しに、心臓が跳ねる。しかし、晃琉は素直に言うことを聞くしかなかった。




