75. 自尊
「はぁ、はぁ」
息を切らし走る。普段から運動神経が乏しい為、走り始めて数分で既に足が悲鳴を上げていた。だが、そんな痛みをも抑え、重たい足を必死に動かして向かう場所があった。早くしなければならない。急がなくては、きっと後悔する、と。
「はっ、は、はぁ、はぁ、はぁ、つい、は、た、」
目的地へと辿り着くと、達成感からか大きく息を吐いた。だが、ここからが本番なのだと。そう言い聞かせる。碧斗の目の前に聳え立つのは他でもない、ずっと避け続けてきた王城。沙耶と美里が無事かどうか分からない今、ただただこの場所へと急ぐ事しか出来なかった。
「と、とりあえず、裏から、回って、」
そう呟き意思を表したが、しかし。
ーいや、やっぱ少し休もう、駄目だ。今乗り込んだら確実に終わるー
自分の軟弱さに呆れながら、体力回復を優先する事にした碧斗はバレない位置に隠れながら休息を取る。
休息と言ってもただ休むだけではない。呼吸を整えながら王城侵入への対策を考える。
ーさて、どう、するか。円城寺君がどこに居るかもまだ分からないし、王城は前よりも厳重になってる可能性も高い。とするとー
悶々と進入経路を考察する。もしまだ2人を生かしているのであれば、確実に"残った人達"が王城にやってくると予想するだろう。その場合、王城内は既に戦闘状態になっているのは確実である。だが、その方が都合がいいのだ。確かにそれは碧斗の首を絞めるような状況ではある。だがそれでも、2人が生きている。つまり"残った者"が来ることを察して王城に彼らが待ち伏せをする事は、即ちそれを意味するのだ。だからこそ、王城に待ち伏せしている事を前提に、半ば願望を含めて考え始めた。
ーその場合、前と同じ裏から入る事は出来ない。だとしたら、他にはー
辺りを見回す。正直、裏口以外に安全に進入出来そうな場所は1つもない。それはつまり、1つしか侵入方法がないという事だ。
ーほ、本当に、これしかないのか、?ー
体が突如として震え始める。もし見つかったら?待ち伏せされていたら?そう"その時"を想像すると、体が思うように動かなかった。今までの様に、運良く誰かが助けに来てくれるなんて事はもう無いだろう。ならば、見つかったという時点で碧斗の死が訪れるという事を意味しているのだ。
ーもし、見つかったら、その時は煙で、いや、でもそれで全員の目を眩ませられるのか?ー
冷や汗が頰を伝う。煙が駄目だった場合、もう打つ手は残っていないのだ。それはつまり、諦めろ、という事だろうか。いや、何かあるはずだ。そう考え必死に思考を巡らせる。だが、それらしいものが浮かぶ事は一向になかった。が
1つだけ。
その方法は、今までの碧斗であれば思いつかない策である。これが成功するとは思えない。いや、まずそれが「実行される」かも不明であり、不確定な策である。それが正直な感想だった。だが、他に手段がないのであれば、賭けるしか無いのだ。
「ふぅー、ふぅー、、うん」
息を吐き、覚悟を決める。1対複数なんて、勝てるわけが無い。樹音があのグループの人達と組んでいる訳では無いのであれば、敵にする相手が更に増えるという事だ。そんな場所に乗り込むなんて正気の沙汰じゃない。自分でもおかしいのは分かっている。だが、もうこれしかないのだ。2人を助けられずに、ただ1人でずっと後悔し、このまま朽ちていくなんて事は、絶対に避けなければならない。と、脳内で自分を納得させると、目つきを変え碧斗は立ち上がった。
☆
ゆっくりと別館の裏口から入る。と、幸運な事に転生者達の姿は無かった。だが安堵と同時に、2人の行方に対しての不安が押し寄せる。しかし、そんな事を考えている場合では無いのだ、と。自分は今、いつ殺されてもおかしくない戦場に居るのだと理解し、意識を戻す。
ー大丈夫だ、2人は生きてる。後は、2人の居場所が分かればー
まるで自分に言い聞かせるかの如く脳内でそう呟き、物音一つ立てずに廊下を歩く。ただ侵入するだけならまだしも、2人が拘束されている場所が分からないのが問題だ。室内を1つ1つ確認する事すら出来ない為、聴覚を研ぎ澄ませて無音の空間に僅かに人の気配が無いか、慎重にひと部屋ごとにドアの前で立ち止まり耳を近づける。が、しかし
ーこれじゃ、いつまで経っても終わらないなー
たった1つの廊下でさえ、こんな気の遠くなる様な作業である。そんな事をこれからずっと行っていたら、おそらく皆に見つかるのがオチだろう。他に手はないかと、頭を悩ませる。とその瞬間、ガタガタと。上の階から足音が響く。
ーっ!?だ、誰、だ、?ー
突如として鳴り響いた音に恐怖が押し寄せ、碧斗は慌てて近くの部屋へと逃げ込んだのだった。
☆
ー自分を信じろ。お前は誰よりも悩み、自分で考え、努力できる力を持ってる。その力を弱い精神力で妨げるんじゃない。お前なら出来る。俺は信じてるー
この言葉に何度救われただろうか。誰かが自分の事を信じてくれている。1人でも構わない。それだけで、なんだか世界に色がついた様な感覚がした。貴方が信じてくれていたから、自分を信じる事が出来た。
昔から軽い鬱病の様なもので、何をするにも気力が無く、塞ぎ込みがちだった。そんな自分に、初めてやりたい事が見つかった瞬間が、中学の時である。帰りの下校時、通りかかった校庭でボールを蹴る人々。元々部活という存在には興味があったのだが、部活の風景を見るのはそれが初めてだった。その様子を眺め、普段何をするにも気力のない将太は初めてやりたい事が出来た。
そう、サッカーである。
彼の大きな人生の一歩であるその出会いは、そんな中学1年生の帰りに起こったのだった。
それからというもの、何をするにもサッカーの事を考えた。それが、何も出来なかった将太の原動力となっていたからだ。だが、今までサッカー以前にスポーツにあまり触れてこなかった将太には、難しい事が多かった。練習は厳しく、何度やっても上手くいかなかった。走るスピードは元から兼ね備えて生まれるものが大きい。今まで何もやっていなかった将太ならば尚更だろう。上手く出来ない、そんな自分が憎らしくて、腹立たしくて、たまらなかった。
「どうして、出来ねぇんだよ、っ!」
それが口癖だった。部活以外でも時間ができれば直ぐに練習を行った。ランニングや、筋トレは毎日行う様にしていた。全くと言っていいほどスポーツを行なってこなかった将太は、1から肉体を鍛える事より他無かった。だがそれでも、試合が訪れると皆とは大きな差が生まれていた。皆も練習していたのだろう。
「才能とは努力の量である」
そんな素敵な言葉があるが、才能というものは実在する。元から身体能力が良かったり、手先が器用だったり。元から兼ね備えたものを上手く活用し、ものにしていくことで"才能"となるのだ。では、その才能のある人物が、努力したら、どうなるだろうか。元から才能の無い人間は、どれだけ努力しようと彼らに追いつく事は出来ない。
そう、どう頑張っても。
部活中に何度も告げられる残酷な現実と、お叱りの言葉の数々に、サッカーに出会う前と同じようにだんだんと将太は塞ぎ込んでいった。サッカーのおかげで見えなかった光が現れたが、そのせいで結果的に前より更に気持ちが地の底に沈んでいったのだ。皮肉な話である。その後も時間が出来れば全てを練習に費やしたが、行っている最中であっても前は向けていなかった。いつも必ず「駄目だった時」の事を考えていた。チャンスをものに出来ないメンタルの弱さが、将太を毎日のように苦しめた。努力が足りなかったと素直に考え、次に活かせるよう計画を練って前以上練習に励む。そんな考えすら出来ない自分に、更に苛立ちを覚えた。
何をやっても駄目な自分に失望する毎日。そんな中、長い間将太の姿を黙ってただただ眺めていた監督に突如として声をかけられた。ベンチの前、今もなお胸に秘めているその言葉を、監督は将太に言い放った。
「自分を信じろ。お前は誰よりも悩み、自分で考え、努力できる力を持ってる。その力を弱い精神力で妨げるんじゃない。お前なら出来る。俺は信じてる」
そう言って彼は真剣な眼差しを送りながら強く頷いた。そうだ、信じなければ前に進めないのだ。と、その時になって初めてその結論に辿り着いたのだ。確かに初歩的な事ではあったが、簡単な事では無かった。当たり前である、普通の人でさえ自分を信じるという事は難しいというのに、それが将太ならば尚更である。今までそれとは真逆の意識をしていたのだから。だが、自分を誰よりも信じなければ、力強いプレーというのは出来ないものだ。失敗をしても素直に受け止め、自分はこんなものでは無いと自信を持ち、まだ上手くなれると信じる事で更に上へと昇る事ができる。そんな単純な事に今初めて気づいた。今でも尚、その言葉に支えられている。進まなくてはいけないのだ。信じてくれた監督の為にも。絶対に、絶対に、絶対に
「絶対にぃぃぃぃーーっ!」
「楽しくなってきたか?将太くぅーん」
「ふぅー!ふぅーー!うぅぅーー!」
目の前は真っ黒だった筈が、いつの間にか真っ赤に染まっていた。それは自分のものと、、目の前の人物のものだった。どうにかなりそうだった。それなのに、更にそれを加速させるかの様に彼、Sは「それ」を呟いた。
「にしても、お前なら出来る。俺は信じてる、、ねぇ」
「っ!?」
予想外の言葉に将太は目を剥く。それと同時に体を前のめりにしながら、枯れた声を必死に上げる。
「どうしてっ!?どうして、、それを、!?!?」
必死な様子にSは思わず笑みを漏らしながら続ける。
「俺はなんでも知ってんだよ。ここの転生者達の事はなんでもね。つまり、お前のことも」
「っ!」
険しい表情を浮かべる将太の真横をゆっくり歩きながらSは更に畳み掛ける。
「でもそんな事ずっと考えてるなんて、お前も可哀想だな」
「っ!?なん、で、かわいそう、なんだ、?」
「あ?」
珍しく声のトーンを落とし歯嚙みしながら将太は呟く。だが、Sはそれを気にする素振りも見せずに口を開く。
「だってそうだろ?その言葉が無いと何も出来ない。その言葉のおかげで変わったとか思い込んでるかもしれないが、何も変わってない。お前は結局、そいつが居ないと不安で不安でたまらなくて、前にも進めない臆病もんだもんなぁ!そんな奴に可哀想以外のぴったりな言葉ないだろぉ!?なぁ!?」
「あぇ?」
「お前ずっとぶつぶつ言ってんの知ってるぞ?いっつもなんか追い込まれるとその信じろとかいうの呟いてるよな?はっ!くだらねぇ!そんな言葉をおまじないみたいにしやがってよぉ。そんなのにずっと囚われてるとか、それこそお前自分を信じられてねぇって事じゃねぇのか?なぁ!?」
「あはっ、あははっ!あはははははははははっ!あはははははははぁぁぁーーっ!」
「あはははははっ!なんだよ急にぃ!なぁ?だんだん楽しくなって来ただろぉ?」
「いひっ、イヒヒヒヒッ!あひゃひゃひゃひゃぁぁぁーーーっ!」
「そんな言葉にもう頼らなくていい。俺が教えてやるよ。絶望や悲しみを感じなくなる方法を」
「あはは、はは?」
さっき、どうにかなりそうだったと言ったが、そうじゃない。もうとっくに、どうかしていたのだ。何を言っているのか分からないSの言葉に、意味のない声を発する。と、Sは全身が赤く染まった将太の肩に手を置き、下卑た笑みで告げる。
「もう絶望や失望、辛い思いをしなくていいんだ。しなくなるんだ。"無"になればね?」
「あえ?」
「俺は君を"信じる"よ。君なら、やってくれるって、さ」
それだけ言うと、Sは口角を上げながら赤い固まりを残して部屋を出て行った。




