31. 悲観
倉庫を振り返る事もせずに足早に街の方へと歩みを進める。碧斗1人では何もする事が出来ないのだが、とにかく進むしかなかった。
ーこれからどうする、、か。とりあえず"1人"なら雇えると言っていたところで働いて、寝袋と食事ができるくらいの資金を手に入れる。それから安定したらマーストに返す為にも稼がなきゃなー
心で覚悟を決める碧斗。時間が空いた時にはこの世界の情報や文字の勉強をして埋めるとしよう。
「そうだ、これが俺の生き方だ」
何をするでもなく、いつも自分の思うように生きる。それが伊賀橋碧斗なのだ。今までも、これからも。
「伊賀橋、君?」
考え込んでいた碧斗は声をかけられ、ハッと我に帰る。
「あ、み、水篠さん!?大丈夫だった?あれから、」
「う、うん!ありがとう、私を逃すために伊賀橋君が」
「ああ、あれは俺がどうとか言うより、進がやった事だけどな」
手を頭にやり、笑う。
「水篠さんも、早く戻った方がいいよ。まだ追ってくるかもしれないし」
「そ、そうだよね!」とびっくりしたように目を見開くと、パタパタと倉庫の方へと戻ろうとする。だが
「あれ?伊賀橋君は、?」
不審に思い、振り返る沙耶。その問いに遠い目をして、苦しそうに呟いた。
「ご、ごめん。俺、もう、戻らないから」
「え!?」
驚いた様子ではあったが、言葉の意味をよく理解出来ていないようだった。
「これからは、その、、俺が居なくても、生きて欲しい。そ、そうだよ!円城寺君だっているし、生活の事とかはマーストが居るし、きっと、大丈夫だと、思うから」
腕の骨にヒビが入りそうな程の力で右腕を握る。本当はこんな事は言いたくない。だが、それでもーー
「ごめん、これは、、俺の根性の問題だ。本当にごめん。みんなは何も悪くないのに、」
絞り出した言葉には力が無く、自分でも呆れるほどに気持ちを伝える事が出来なかった。それでも察してくれたのか、柔らかく笑う。
「そ、そっか。ちょっと寂しいけど、、それもそうだよね、今までこんなに色々してくれてありがとう!それだけで充分だよ。いつもわがまま言っててごめんね」
そう言って笑顔を作ったが、その顔は寂しそうだった。その表情に、血が出るほどに歯嚙みする。
「ごめん、でも稼げたらちゃんといい物買って、もってくから、それまで耐えて欲しい」
そうだ。これが本来の碧斗なのだ。危険なことをするというよりかは、地道に努力して陰ながらに人を支える。誰にも気付かれなくとも問題ない、それが唯一してあげられる事なのだから。
「そ、それじゃあ、ね」
もっと他の事を言わなければならなかったと思うが、その一言しか言うことはできなかった。沙耶も何かを言いかけたようだったが、上手く言葉が出てこなかったのか、口を噤む。
互いに涙が溢れそうになるのを堪えて、歩き始めた。
☆
ガチャッと、ドアが開く。普段はノックをするようにしているのだが、珍しく無言で倉庫へ入る。
「あ、水篠ちゃん!良かった、無事だったんだね」
「ただ今、碧斗様が出て行かれましたが、入れ違いになってしまいましたか?」
「...」
樹音とマーストの言葉がまるで届いていないかの様にぼんやりと遠くを眺める沙耶。その様子を不審に思い、樹音は肩を掴む。
「大丈夫!?水篠ちゃん」
「う、うう、わ、私、が、やっぱ、酷いこと、しちゃった、からっ」
突如、意味がわからない事を呟いたかと思うと、泣き始める。だが、すぐに樹音は少ししゃがみ、目線を合わせる。
「そっか、何かあったんだね、大丈夫。気持ちが落ち着くまで待ってるから、ゆっくりでいいよ」
その後、数分間沙耶のすすり泣く声が部屋に響く。その間、休む事なく隣で背中をさする樹音と、横で落ち着かせてくれているマースト。
また自分が弱いせいでみんなに迷惑をかけてしまっているのだと、心が苦しくなる。そのせいで更に目の奥が熱くなるのを感じるが、なんとか呼吸を整え話し始める。
「すいません、じ、実は、、」
「「え、」」
数分後、先程の会話の内容を大方話終わると、2人は息を吐く様にそう呟いた。
「でも、仕方ないんです。と、というか、今までこんなに色々してくれてたのが奇跡と言うか、凄く優しかったというか、、いや、今も優しいんですけど、その、」
「そっか、僕たち、無理言っちゃってたのかな、」
途切れ途切れに振り絞って話したであろう言葉に、表情を曇らせる樹音。だが、それとは対照的にマーストは勢い良く立ち上がり、外へと駆けていく。
その後ろ姿を見据えながら唇を噛む樹音だった。
☆
あの時の表情が、脳裏にこびりついて離れない。あんな酷い事を、あんな自分勝手で無責任な事を言い、今まで信じてくれていた相手を裏切って、失望させてしまった。
何を考えるでもなく、辛い思いだけが浮かぶばかりだ。その顔を思い出しながら歩くこと数分、街の方へと降りる。その時だった。
「碧斗様。捜しましたよ」
マーストの声に、無言で振り返る。
「マースト。ごめん、勝手なこと言っちゃって。水篠さんと、円城寺君をよろしくお願いします。2人を、俺が貢げるほど稼ぐまで、頼む」
力強く言って勢い良く頭を下げる。それを見たマーストは声を荒げる。
「残念です。碧斗様は、もっと人の為に動くことの出来る方だと思っていたというのに!こんな事をするなんて、わたくしの見当違いでしたね」
普段淡々としているマーストが声を上げた事により、体をビクッと震わせる。
「ごめん、それでも、これ以上は、」
「自分が傷つきたくないから、人を見捨てるのですか?」
その一言に、様々な感情が溢れ出しそうになる。それを抑えるように、それを噛み締めるように俯く。
「でも、それが、、俺だから」
「そうですか。貴方はそんな残酷で、残虐な方だったのですね」
ー残酷、?俺は、みんなのためを思って今までやってきたんだ。ここまで、足まで犠牲にしてー
マーストの冷ややかな言葉に、その気持ちが溢れ出してしまう。
「なんだよ、俺だって頑張ったんだよ!助けようとしたさ、守りたいって思った。だけど、俺じゃなんも出来ねんだよ!見ろよ、この傷。情けねぇだろ、守ろうとしてる奴がこんな弱くてよ、体力も力も何もかもが負けてんだよ!俺は!」
抑えようとしても止まる事なく口から飛び出る。
「最初からこうすれば良かったんだ。俺は俺らしく、陰でコツコツ努力しねぇと何も出来ねんだよ!誰かの為に戦う?馬鹿だろ、俺が出来るわけなかったんだ。ただの陰キャの妄想なだけだったんだよ」
止まることのない言葉の数々に、終止符を打つかのようにマーストが叫ぶ。
「なら、最初から何もしなければ良かったんですよ!貴方は!」
そうぶっきらぼうに吐き捨てると、力強い足取りで倉庫へと戻って行く。
「ま、マースト、」
いつでも味方についてくれて、いつも助けてくれていた唯一の存在が今、消えてしまったのだ。
ーなんだよ、最初からって、俺の痛みもわかってねぇくせにー
悪いのは全て自分だという事も痛いほど理解していたのだが、碧斗は心でそう呟くのだった。
☆
無言でドアを開けたマーストは部屋の奥へと消えていった。
「ち、ちょ、マーストさん?」
「ど、どうしたの、?」
「わ、分からない。何かあったのかな?」
今まで見たことのないマーストの表情に不安になる2人。恐る恐る近づく樹音にマーストは壁を向いたまま呟く。
「信じていたのが間違いだったのでしょうか」
その言葉の意味はよく分からなかったが、きっと碧斗と話してきたのだろう。碧斗はもう戻っては来ないのだろうか。聞きたい気持ちも強かったが、今その話をするのは野暮というものだろう。
仕方なく樹音は嘆息すると、沙耶の元へ戻って行った。
「マーストさん、どうだったの?」
「わからなかったけど、きっと水篠ちゃんと同じように伊賀橋君と話してきたんだと思う。今は、そっとしておいた方がいいかな」
樹音が神妙な顔で言うと、沙耶も「そ、そっか」と表情を曇らせた。その後、少し考えた後そんな沙耶に樹音は小さく耳打ちする。
「少し、来て欲しいんだ」
「え?」
突如発せられた予測不能な言葉に、間の抜けた声を上げる沙耶だった。
☆
「では、この食堂で働くということでよろしいのですね?」
「はい。よろしくお願いします」
碧斗は1人なら雇えると言っていた食堂の前へと出向くと、手続きを始めた。この世界には面接などはなくギルドハウスで頂いたプロフィール用紙に新たな職業の追加を行えば良いとのことだ。
それを知った碧斗は、店長に許可をもらいに来ている。やはり、自分には戦うのではなく、こういう面でのサポートが似合っているのだと。戦闘であったとしてもサポートしか出来ないのであれば、戦闘は非効率であると悟った碧斗は覚悟を決める。
これからは仕事に専念するのだ。異世界の感覚もなければ、能力を使うこともない。つまり、剣も魔法もなければ、魔物も死への恐怖もない。それが自分には1番合っているのだと。「いつもと変わらない」日々でいいのだ。
「それでは、この証明書をギルドマスターに見せれば追加が出来るので」
「あ、はい。ありがとうございます!」
「ですが、本当によろしいのですか?"勇者"から宿屋に転職だなんて」
普通にはあり得ない事なのだろう。焦った様子の店長を見れば一目瞭然である。だが、と碧斗はその男の目を真っ正面から見据え、真剣な眼差しを向ける。
「はい。決めたことなので」
「そう、ですか、分かりました。では、この許可書をギルドハウスにお持ちください。これが最後の選択です、これを持っていったら決まってしまいます。慎重に選んでください」
最後の念押しを受けて、頷く。何度忠告されようが意思は変わらない。碧斗はもう覚悟を決めたのだから。
これでいいのだ、いつもと変わらなくて、何故変えようとしていたのか。無理に変わらなくて良かったんだ、自分には自分のやり方があるのだから、それを根本から覆すことはきっと出来ないのだろう。
だが、そんな碧斗の脳裏に次々と言葉がよぎる。
『なら、最初から何もしなければ良かったんですよ!貴方は!』
『何もする事が出来ない。と、言うよりするつもりがないのでは?』
『今までこんな色々してくれてありがとう!』
言葉が浮かぶ度に足を止める。覚悟を決めたはずなのに、上手く足が進まない。皆を救いたいという気持ちが芽生えるが、それはただの妄想であり、ただ良い部分を考えているだけである。誰かを救うなんて事が出来るわけがないこと、自分が痛い思いをして終わりだということ。
ーそうだよ。結局助からないなら、俺が無理に戦う必要はないー
心でそう呟いた碧斗はギルドハウスへと進み出した。だが、その足取りは一歩を踏み出すのがやっとというほどに、重いものだった。




