第十話 『エルフィスザーク・ヴァン・ギルデガルド』
傷が癒えて、数日が経過した。
本来ならばもうこの村に滞在し続ける必要はないのだが、エルフィスザークは未だフェルナの家で寝泊まりさせてもらっている。
何かと理由を付けてこの村に残ろうとする自分に、エルフィスザークは少し驚いていた。
「はぁあ……相変わらず嬢ちゃんは力持ちだな」
「村の男衆もあの子の前じゃ型なしになっちまう」
大量の木材を軽々と持ち上げるエルフィスザークに、村人達が感嘆の声をあげる。
この木材は周囲の森から運ばれてきたもので、製材されて建物の改修に使われるらしい。
今年は特にガタがきた建物が多いようで、必要な木材も例年に比べて多い。
その運搬を、エルフィスザークは買って出たのだ。
「ぐ、うぎ」
「おいおい、ライ。嬢ちゃんに負けてるぞ! もっと腰入れろ!」
エルフィスザークの後方で、大量の木材を抱えたライが苦悶の表情を浮かべている。
畑仕事をしている村人達は、顔色一つ変えないエルフィスザークと比べ、ライに茶々を飛ばしていた。
「うるさい、そいつが異常なんだ! なんでお前はそれだけの量を持って、平然としていられる!?」
「む? これぐらいは普通だろう。本気を出したらあと数倍は持てるぞ」
「馬鹿な!」
牙を剥き出しにしてライが歩調を早めるが、前方との距離はまるで埋まらない。
張り合おうとして転びかけるライに嘆息し、エルフィスザークは歩調を緩めた。
「二人とも、お疲れ様!」
そうこうしている内に、自分の仕事を終えたフェルナが向こう側からやってきた。
「はー、エルフィはすごいね。私、そんなに木材を持ったらムギュって潰されちゃうもの。大丈夫? 無理してない?」
「うむ。私は何の問題もない。だが」
エルフィスザークがチラリと後ろに視線を向ける。
つられて後ろを向き、普段よりも多く木材を持つライを見て、フェルナは「もう」と唇を尖らせる。
「またエルフィと張り合ってるの? 駄目よ。人には人のペースがあるの。無理してエルフィに合わせようとすることはないわ。ライにはライに合ったペースがあるんだから」
「その通りだ。この私と張り合おうという気概は認めるが、それで体を壊しては意味がないからな」
「このぐらい、何の問題も……ない!」
二人の親切心からの言葉に心を刺され、より一層歩く速度を上げるライ。
エルフィスザークを追い抜いて、先に歩いていってしまう。
そんな様子に村の大人達が笑い声をあげる。
「…………」
この村に来て、もう何度も見た光景だ。
しかし、不思議と何度見ても胸が温かくなる。
この村でのやり取りが、エルフィスザークは嫌いではなかった。
日が暮れ、仕事が終わった後はフェルナの家に帰る。
仕事を終えた後に浸かる湯は、心身に染み渡るほど気持ちが良い。
その後に食べる料理は、頬が地面に落ちるほどの美味しさだ。
食後は明日に備えて、早めに床につく。
フェルナと同じ部屋だ。
その日の出来事や、昔のことなど、他愛もないことを語り、眠くなったら眠る。
その日も、そんな平凡な一日だった。
――異変がおきたのは、夜明け頃だ。
エルフィスザークは、激しく扉を叩く音で目を覚ました。
寝ぼけ眼のフェルナとともに扉を空けてみれば、外には険しい表情をしたライが立っていた。
「どうしたの、ライ」
「少し前に結界の一部が破壊された。中に雪崩込んできた魔物を、見張りの戦士達が対応している」
「……! 怪我人は?」
「まだ出ていないが、時間の問題だ」
「すぐに準備するわ!」
頷き、フェルナは家の中に飛び込んでいった。
それを一瞥した後、ライは黙って話を聞いていたエルフィスザークに視線を向ける。
「お前はこの村の戦士ではなく、ただの客人だ。だが……」
「もちろん私も同行する。世話になっているからな」
当然のように言ったエルフィスザークに、ライが頭を下げる。
「……感謝する」
「礼など良い。それよりも、こうした魔物の襲撃は良くあることなのか?」
問いに、ライは即座に首を横に振った。
「ないな。そもそも、この辺りで結界を破壊できる魔物は極わずかだ。結界の外に出て襲われることはあっても、結界を破って村に入ってきたのはこれが初めてだ」
「では、通常ならば起こり得ない出来事というわけだな」
顎に手を当て思案顔で呟くエルフィスザークに、ライが察したように頷いた。
「俺もお前と同じことを考えている。恐らく、結界を破壊してこの襲撃を手引きしたのは例の化け物だ。今のところ、あいつの姿は確認できていないらしいがな」
「大方、周辺の魔物を結界付近まで追い立ててから、結界を破壊して村の中に逃げ込ませたのだろう。今は姿を隠して、魔物と戦う戦士達の様子を伺っているはずだ」
「……何なんだ、あの魔物は」
ライの疑問に、エルフィスザークは答えを持たない。
しかし、ここ数日である考えが頭を過るようになっていた。
あの化け物は魔物ではないのではないか、という考えだ。
化け物の魔力は、今まで見たことがないほど異質だった。
複数の魔力が入り混じっており、それでいて存在がどこか希薄だ。
強いて似ている魔力をあげるのならば、遠巻きに一度だけ目にしたことのある、今代の魔王のそれだろうか。
「…………」
嫌な予感を覚え、エルフィスザークは目を細めた。
「おまたせ! 準備できたわ!」
そこで、戦闘用の装備と杖を身に付けたフェルナが家から飛び出てきた。
フェルナの母親に一言言って、三人は破壊されたという結界の方に向かう。
道中、ライが「恐らく黒い化け物の仕業」だということを伝えると、
「でも、どうしてこの村の位置が分かったのかしら。結界で覆われていて、見つけられないはずでしょう?」
走りながら不思議そうにフェルナが首を傾げる。
それに対して、ライは苦々しい表情で答えた。
「俺達の後を付けていたんだ。黒い化け物を見つけられなかったのは、最初から俺達があいつに監視されていたからだろう」
「そんな……」
「奴はそれほどの知能を持っているということだろう。既に説明したが、あの化け物は強いぞ。この村の戦士も高い練度を誇っているが、アレと正面からぶつかれ勝機はない」
「ともあれ、事が大きくなる前に他の戦士と合流した方が良さそうだな――」
カンカンカンと、ライの懸念に合わせるように村中に鐘の音が響き渡る。
鐘は、有事の際に鳴らされるものだ。
「チッ、言ってる傍からか」
「何かあったみたいね。皆が心配だわ。急ぎましょう!」
不吉な鐘の音に急かされるように、三人は速度を上げた。
◆
――魔術の灯りに照らされていたのは、四足歩行のどす黒い化け物だった。
戦士達が囲み、四方から攻撃を仕掛けているが、化け物は物ともしない。
無造作に手を振り回すだけで、鍛え抜かれた戦士達がいとも容易く吹き飛ばされていく。
戦闘が始まってから十分も経過していないにも関わらず、既に大勢の戦士があちこちに倒れ伏していた。
戦っている戦士達も化け物に圧され、半ば陣形が崩れつつある。
明らかな劣勢だった。
そこに、エルフィスザーク達三人が駆けつけてきた。
「間に合った! “広範囲治癒”」
駆け付けると同時に、フェルナが上位の治癒魔術を発動する。
その場にいる負傷した戦士や、倒れ伏している戦士の傷が瞬く間に癒えていく。
「はァ!!」
「魔眼・灰燼爆」
助太刀に入ったエルフィスザークとライが、荒れ狂う化け物に攻撃を叩き込む。
どす黒い巨体に二つの攻撃が直撃し、その動きを止める。
その隙を見逃すことなく、戦士達は化け物から距離を取り、崩れかけていた陣形を立て直した。
「危ないとこだった。三人とも助かった!」
「凄え魔眼だ。いや、嬢ちゃん、戦士じゃねぇってのにすまねぇな」
礼を言う戦士達に頷き、エルフィスザークとライも戦線に加わった。
フェルナは後方で負傷した戦士の治療と、戦闘のサポートを行っている。
そうして陣形が整ったところで、止まっていた化け物がエルフィスザークの方へ首を傾けた。
『――ルル、ル』
化け物の口から漏れる奇妙な声を聞きながら、エルフィスザークは表情をより険しくする。
視線を前に向けたまま、周囲の戦士に向かって低い声で忠告した。
「数日前に遭遇した時よりも、遥かに大きくなっている。内包している魔力も桁違いだ。この化け物……相当に強いぞ」
中型の魔物程度のサイズだったはずが、今は見上げるほどの巨体に変貌している。
口からは数本の牙が覗き、数日前はなかったはずの眼球が二つ、顔に当たる部分で蠢いていた。
「そのようだな。とはいえ、我ら戦士が逃げるわけにはいかん。何があったとしても、他の者達が逃げるまでの時間は稼ぐのだ」
覚悟を決めた面持ちで、戦士達は武器を構え直す。
戦士達の敵意を感じ取ったのか、化け物は低く嘶いて動き始めた。
「ライ、嬢ちゃん。奴の体には常時魔力が纏わり付いていて、攻撃をほとんど通さない。弱点を探したが、体全体を覆ってやがる。だから、もう一点突破しかねえ。奴の顔面に集中攻撃して、あの魔力をぶち破る! 二人も協力してくれ!」
二人が頷き、戦闘が再開された。
エルフィスザーク達の方向に向かって、化け物が地面をのたくるように走り出す。
後衛の魔術師達が地面を隆起させて、化け物の動きを阻む。
そこへ身軽な戦士達が接近し、素早い身のこなしで撹乱する。
エルフィスザークも魔眼を放ち、化け物の動きを止めた。
「今だ!」
直後、力を溜めていた戦士達が一斉に攻撃を放った。
化け物の顔面に、戦士達の渾身の攻撃が叩き込まれる。
だが、
『――ル』
化け物は無傷だった。
虫を落とすように手を払い、戦士達を吹き飛ばしていく。
死角からライが飛びかかるも、見えているかのように躱し、横薙ぎの一撃でライを地面に叩き付けた。
「ライ!」
フェルナの悲鳴を聞きながら、エルフィスザークは理解した。
今のままでは、この化け物には勝てないと。
数日前の化け物ならば、この場にいる戦士と協力すれば勝ち目があっただろう。
だが、今は無理だ。
あの化け物の魔力を突破するだけの威力がない。
「……仕方ないな」
迷っている暇はない。
エルフィスザークは、『偽装の腕輪』を外した。
封じ込まれていた魔力が、爆発的に解放される。
吹き荒れる魔力に化け物は動きを止め、戦士達の視線もエルフィスザークに向けられた。
腕輪を外したことで、戦士達にも黒い双角が見えているだろう。
驚愕の視線を受けたまま、エルフィスザークは正面の化け物を強く睨み付けた。
『――ル。ル、ルルルルルルルル』
化け物が低く嘶いた。
バキバキと小枝を折るような音が連続し、化け物の体が変形していく。
背中から無数の腕が突き出し、眼球が増殖し、空洞のような口が倍ほどの大きさに広がった。
そのまま、エルフィスザークを丸呑みにしようと、化け物が走り出す。
「おい! 逃げろ!」
これまでが比にならない速度で疾走する化け物に、倒れ伏したままのライが叫ぶ。
エルフィスザークは動かない。
ただ、紅に染まった双眸を静かに見開いた。
「――消え失せろ」
世界から、音が消えた。
眩い輝きとともに、化け物の体が爆ぜた。
爆炎は戦士達を巻き込むことなく、化け物を押し潰すように収縮していく。
数秒後、爆炎は跡形もなく消え去った。
その代わり、地面が大き抉れ、一部が溶岩のように茹だっている。
そこに、化け物の姿はない。
だが、エルフィスザークの表情は険しいままだった。
「あれから、逃れるだと……?」
化け物は爆発に呑まれた直後、胴体を半分に切り離したのだ。
半分は爆炎によって消滅したが、もう半分は音もなく森の中へと逃げ込んでいくのが見えた。
化け物の得体の知れなさに眉を寄せていたエルフィスザークだが、自分に視線が集まっていることに気付いた。
「今のでは仕留めきれなかったが、弱ってはいるはずだ。すぐに追撃して……」
言いかけ、向けられている視線に怯えが混ざっていることに気付いた。
「あ、あんた……魔族だったのか……?」
静まり返った中、誰かが小さく言葉を零した。
シン、と静まり返る戦士達。
フェルナとライも、魔眼が創り出した惨状に唖然としている風だった。
それまでとは違う視線を向けられ、何故か胸がざわついた。
「…………」
何か言おうとしても、上手く言葉が出てこない。
初めての感覚だった。
ただ、この場にいたくない。
この視線を向けられるのが嫌だった。
「……今まで世話になった。その礼として、あの化け物は私が始末する」
それだけ言い残し、エルフィスザークは逃げるように村の外へと飛び出した。
◆
――どうしてしまったのだ、私は。
森を駆けながら、エルフィスザークは戸惑っていた。
強い力は、時に他人を畏怖させるものだ。
これまでの経験で、そんなことは理解しているはずだった。
魔族の村でも、圧倒的な力を持つエルフィスザークに怯えの視線を向ける者はいた。
あの時は何も感じなかったというのに、どうして今はこんなに胸がざわつくのだろう。
最近は、分からないことばかりだ。
魔族、人間、亜人。
すべてが仲良く暮らしている、あの村の温かさ。
いつの間にか、自分もその一部になったつもりでいたのかもしれない。
お前は笑わないな、というライの言葉が頭をよぎった。
どういう時に笑えばよいのか、エルフィスザークは分からなかった。
「……少なくとも、今ではないのだろうな」
その呟きとともに思考を切り替え、エルフィスザークは化け物の探索に意識を集中した。
森の奥へと、濁った魔力の残滓が続いている。
油断なく、その後を追う。
森はシンと静まり返って、明け方だというのに鳥の囀り一つ聞こえない。
嫌な空気だった。
「!」
やがて、エルフィスザークは視界に化け物の姿を捉えた。
大樹にもたれかかり、痛みを堪えるように半分になった体を小刻みに震えている。
接近するエルフィスザークに気付いた様子だったが、体力が尽きたのか動く素振りを見せない。
罠だ、とエルフィスザークは即座に判断した。
弱った振りをして、接近するのを待ち構えているのかもしれない。
足を止め、遠距離から化け物を睨み付ける。
「――!」
目を凝らし、エルフィスザークは息を呑んだ。
魔眼を強めた途端、大樹に横たわっている化け物の姿が幻のように掻き消えたからだ。
それまで視界に映っていたのは、魔力で編まれた幻影だった。
「幻魔眼だと?」
その力の正体を理解し、エルフィスザークが驚愕するのと同時だった。
『ル――――ラ』
木に登っていたのか、頭上から化け物が降ってきた。
動揺しながらも、即座に魔眼を撃ち込むエルフィスザーク。
だが、化け物は大口を開き、魔眼を飲み込んだ。
「――――」
魔脚を発動し、即座に後ろへ跳ぶ。
僅かに回避が間に合わず、エルフィスザークは左肩を食い千切られた。
痛みに顔をしかめながらも、そのまま化け物から距離を取る。
「……無様な」
左肩から下――左腕が完全になくなっていた。
魔力で傷口を塞ぐも、やはりいつものように再生速度が遅い。
化け物は追撃することなく、食い千切った左腕を咀嚼している。
音を鳴らしながら嚥下し、顔をあげる。
顔にある眼球の一つ、化け物の左目が紅く輝いていた。
「やはり、魔眼か」
化け物の左目は、エルフィスザークの双眸と同じ色を宿していた。
魔眼を始めとする“魔”は、基本的に先天的に体に宿るものだ。
急に発現することなど、ありえない。
「……まさか、喰らった私の魔眼を自分のモノにしたのか?」
最初の会った時に、エルフィスザークは眼球ごと頭を抉られている。
あの化け物が取り込んだ者の力を使えるとしたら、魔眼が発現していることにも頷ける。
「貴様は、一体何なんだ?」
『ハ――――ィア』
「……何?」
化け物の口から発せられた掠れ声に、目を細める。
聞き返すエルフィスザークだが、化け物に対話の意思はないらしい。
『ァ――アアアアアア、ルルルルルルルル――ッ!!』
絶叫とともに、エルフィスザークに牙を剥く。
「させん」
先手を打ち、重圧潰を放つエルフィスザーク。
しかし、化け物はそれよりも早かった。
「――――」
弾けるように、化け物が跳躍した。
直後、化け物はエルフィスザークの眼前に迫っていた。
左腕を失ったせいで、体がいつものように動かない。
エルフィスザークは回避を諦めた。
迎え撃とうと、残った右腕に魔力を込め――、
『エ、ル――ルルルル』
「!」
化け物の左腕が凄まじい魔力を纏っていることに気付いた。
同じ、魔腕だ。
腕を振り下ろしたのは、エルフィスザークの方が早かった。
魔力で生み出された五爪が、化け物の体を大きく抉る。
しかし、化け物は止まらなかった。
化け物の魔腕が、エルフィスザークの腹部を貫いた。
「が、ふっ」
体に大穴を開け、大量の血を撒き散らしながら吹き飛ばされる。
樹木を何本かへし折って、ようやく止まった。
血を吐きながら化け物に視線を向ければ、あちらもエルフィスザークと同じように深手を負っていた。
『ル……ル……』
ズタズタになった体を震わせ、化け物は弱々しく鳴く。
その眼球は、真っ直ぐにエルフィスザークを睨み付けていた。
「――――ッ」
エルフィスザークが魔眼を放つ。
化け物は先程と同じ様に体の半分を切り捨て、それを回避した。
体は小さくなったが、開かれた口は魔族一人飲み込むには十分過ぎる大きさだ。
不覚を取った、とエルフィスザークは悟る。
村での出来事で、心が乱されていた。
それでも全力を出せばあの化け物を倒せると、己の力を過信していた。
最初の奇襲も、もっと注意深く周囲を警戒していれば防げたはずだったのだ。
いくら膨大な魔力を持とうと、あの化け物に喰われればどうなるかは分からない。
もしかしたら、すべての魔力を取り込まれて、蘇ることはできないかもしれない。
息を呑み、エルフィスザークは己の死を覚悟した。
――後に、エルフィスザークは天月伊織にこう語る。
「大した話ではない」と。
何故なら、その後に起きたのは本当にありふれた出来事だったからだ。
ありふれていて、当然のことだったからだ。
刹那、地面が勢いよく隆起し、化け物の体を大きく上に突き上げた
『ル――――ル?』
宙を舞いながら、化け物が戸惑う。
「ら――アアアアアァァァ!」
咆哮とともに、そこに一つの影が突っ込んでいった。
浮いた化け物に対し、握る薙刀で叩き付けるように打撃を叩き込む。
弾かれたボールのように、化け物が吹き飛んでいった。
「良かった、間に合った!」
聞き覚えのある声に、エルフィスザークが目を見開く。
息を切らしてこちらに駆け寄ってきたのは、
「フェル、ナ……」
「急に一人で飛び出していって、とってもびっくりしたんだからね。……って、エルフィ!? 手が!!」
叫ぶなり、治癒魔術を発動するフェルナ。
そこへ、大勢の足音が近づいてきた。
「おい、大丈夫か嬢ちゃん!」
「お前達……」
やってきたのは、村の戦士達だった。
「急に飛び出して行ったから、何事かと思ったじゃねえか。……な、大丈夫かその怪我!」
「ちくしょう、すぐに追いかけてりゃ! すまねえ嬢ちゃん」
「こんな可愛い嬢ちゃんを傷モノにしやがって、あの黒いの許せねえ」
心配そうな声、化け物への憤った声。
エルフィスザークを守るように、戦士達が陣形を作っていく。
「な……何故……?」
「何故って、エルフィ一人を戦わせられるわけないでしょう? こんな怪我までして! これ、ちゃんと治る? 大丈夫なの?」
「う、うむ。時間が経てば、目の同じように治るが……」
「あぁぁ! 良かった! みんな、エルフィの腕治るって!」
次々に安堵の息を吐く戦士達に、エルフィスザークの理解が追いつかない。
エルフィスザークは、彼らに対して正体を隠していた。
その上、いきなりあれだけの力を見せたのだ。
怯えられて当然だ。
だというのに、どうして自分を助けに来てくれたのか。
「意外と馬鹿だな、お前」
薙刀を肩に担いだライが、呆れたように息を吐いた。
「いきなり飛び出していく奴がいるか。そりゃ、いきなりあれだけの力を見せられたら固まるに決まってるだろ。けどそれだけだ。お前が良い奴だなんてこと、ここ数日で分かりきってる。助けに来るのは当然だろ」
「ライ……」
人が、亜人が、魔族が。
種族など関係なく、エルフィスザークの周りに並んでいる。
この村ではこれがありふれた光景で、自分を助けに来るのは当たり前のことだったのだ。
「すまない」
「エルフィ。そこはすまないじゃなくて、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいわ」
「ああ」
絞り出した言葉に、フェルナが優しく告げ、ライが小さく頷く。
「分かった」
エルフィスザークが頷いたのも束の間だった。
『ル……エ』
そんな微笑ましい光景を壊すように、化け物の声が響く。
ブルリと大きく体を震わせた後、化け物が起き上がった。
「ま、話はあいつを倒した後だ」
武器を構え、ライ達が化け物を睨む。
「とはいえ、俺達の攻撃じゃあいつを殺しきれねえかもな」
「……三分だ。三分だけ時間を稼いでくれ。そうすれば、私の魔眼であいつを消し切る」
二度も体を二つに分け、魔腕を受けた状態だというのに、まだ化け物には余裕があるように見える。
その得体の知れなさに、エルフィスザークは全力を出すことに決めた。
そのための、三分だ。
「よし来た」
「任せろ」
「奴は相手に幻覚を見せる魔眼を使う。魔術耐性の低い者は不用意に近づくな」
それから、自分の傍らで治癒魔術を使い続けているフェルナに頼む。
「あの化け物が逃げられないよう、周囲に結界を張ることはできるか? 今ここで仕留められなければ、もう手が負えなくなる」
「できるわ。でも、治癒魔術との同時使用は無理なの……」
「私はもう大丈夫だ。結界を頼む」
フェルナが結界魔術を使用し、周囲に半透明の壁を作り出した。
化け物が結界を一瞥し、低く唸る。
結界を破壊しようとすれば、化け物はエルフィスザーク達に隙を見せることになる。
狡猾なあの化け物は、それを良しとしないだろう。
『ルル――ッ』
化け物は結界から視線を外し、エルフィスザーク目掛けて走り出す。
自分を殺せるのが、エルフィスザークだけと理解しているからだ。
しかし、戦士達がそれを許さない。
「おらよォ!」
化け物の足場が大きく隆起し、その動きを遮る。
しかし、化け物も学習したのか、小柄になった体型を活かして軽やかにそれを回避した。
「甘え!」
化け物が跳んだ先に、突風が吹き荒れる。
たたらを踏んだ化け物に、ライが斬撃を叩き込んだ。
ダメージこそないが、化け物はさらに数歩後退る。
そこから、何度も同じ攻防が繰り返された。
戦士達は化け物に距離を詰めさせないよう、様々な魔術を駆使していく。
無傷だが、小柄になったせいで踏ん張りの効かなくなった化け物は何度も後退させられた。
だが、拮抗状態は長くは続かなかった。
このままでは埒が明かないと理解した化け物は、幻魔眼を使用した。
エルフィスザークが即座に警告を飛ばすが、視覚の変化に戸惑った戦士達の動きが鈍る。
化け物はそれを見逃さない。
魔術を潜り抜け、戦士達に接近。
腕の一振りで戦士達を軽々と蹴散らす。
そのまま、一直線にエルフィスザークに向かっていく。
まだ、三分には届いていない。
「させないわ!」
フェルナが動く。
連続して魔術を放つが、化け物は歯牙にもかけない。
フェルナを喰い殺そうと、目の前まで跳躍した。
『!』
その瞬間、ズンと音を立てて化け物の姿が消えた。
「やった!」
フェルナが魔術で密かに作っていた落とし穴に引っ掛かったのだ。
そのまま、フェルナと他の戦士達が落とし穴の中に巨大な岩を叩き込んだ。
同時に結界を張って、入り口を封じる。
その手際の良さに、エルフィスザークが感心したのも束の間。
岩と結界をぶち破って、化け物が地上に飛び出してきた。
即座に結界で化け物を囲むフェルナだが、化け物は“魔腕”でそれを引き裂く。
苛立ちのまま、化け物がフェルナに左腕を振り下ろす。
「わっ……」
「逃げろ、フェルナ!」
回避は間に合わず、魔腕がフェルナを引き裂く――その直前。
両者の間に、ライが飛び込んだ。
「フェルナに触るんじゃねえッ!!」
ライの薙刀が、魔腕に触れた瞬間。
ズッと魔腕の軌道が不自然にズレた。
魔腕は二人を傷付けることなく、大きく空振った。
ライが何らかの魔術を使ったのかも知れない。
しかし、それを確認する暇はない。
三分、経ったからだ。
「ご苦労だった、戦士達。後は任せるが良い」
紅蓮の双眸が、化け物を捉えた。
窮地を自覚したのか、魔腕でエルフィスザークを引き裂こうと、なりふり構わず化け物が走る。
「やっちまえ、エルフィ!」
刹那、魔眼が発動した。
「――“魔眼・虚空孔”」
現れたのは、黒い孔だった。
跳躍した化け物が、その孔に触れた瞬間。
その体が、孔の中に飲み込まれた。
『ル――ラ、ラ、ラ、ル』
化け物が孔から逃れようと、必死に抵抗する。
バチバチと魔力が迸る。
抵抗が続いたのは、ほんの数秒。
『エ、ル――――』
やがて化け物の体が完全に孔に呑まれ、見えなくなった。
スッと、孔も消滅する。
それで、終わりだった。
化け物の姿も、孔の痕跡もすべてが消え去り、森に静寂が戻ってくる。
呆気に取られていた戦士達に、エルフィスザークが告げた。
「私達の、勝利だ」
「お、おおおおおおおおおお!」
遅れてあがる、戦士達の歓声。
――こうして、黒い化け物との戦いは幕を閉じた。
◆
その後。
怪我人の治療や、村を守る結界の修復など、急ピッチで後処理が行われた。
エルフィスザークも、負った傷や失った腕の治療を受けていた。
「こうして、誰かと協力して戦うのは初めての経験だった」
治療室に訪れたフェルナとライに、寝そべったままエルフィスザークは言った。
「私より強い者など、身近にいなかったからな。誰かの手を借りる必要など、ないと考えていた」
「今はどう?」
「悪くない、と思った。誰かに背を預けて戦うのも、良いものだ」
自分は、今まで他人と向き合うということを蔑ろにしてきたのかもしれない。
一番強く、一番賢いのは自分だからと、驕っていたのだ。
この村に来て初めて、しっかりと他人と向き合うことができた。
フェルナとライの顔を見て、エルフィスザークはそう思った。
「どんな力を持っていようと、絶対にできないことはあるからな。そこを他人に補ってもらうのは、悪いことじゃない」
「うん、私もそう思う。ライもね、昔は何でも一人でやろうとして、たくさん無理してたのよ? それで私と喧嘩になったりして」
「フェルナ! その話は関係ないだろ!」
懐かしそうにするフェルナに、ライが血相を変えて叫ぶ。
もしかしたら、あまり人に聞かれたくない話なのかもしれない。
そうしている内に、ふとエルフィスザークは思い出した。
「話は変わるのだが、ライよ」
「何だ?」
「お前、戦っている時に私のことをエルフィと呼ばなかったかった」
げ、と露骨に顔を顰めるライ。
「これまでは、私のことを『お前』もしくは『エルフィスザーク』としか呼んでいなかったはずだ」
「そういえばそうね! ずっとエルフィって呼ばなかったのに!」
「お前の名前は一々長いからな。焦って短く呼んだだけだ」
「あら、ライったら、照れちゃって。ライもエルフィともっと仲良くしたいでしょ? エルフィって呼べば良いじゃない」
「照れてなどいない!」
「何だライ。照れる必要などないぞ? ほれ、エルフィと呼ぶが良い」
「だから照れてないって言ってるだろう!」
顔を赤くして叫ぶライに、フェルナが口元を抑えて笑う。
早口であれこれと弁明するライを見て、
「ライ、分かったぞ」
エルフィスザークは、ようやく理解した。
「……何をだ」
聞き返してくるライに、エルフィスザークは言った。
「――こういう時に、笑えば良いのだな」
その笑みに息を詰まらせ、ライがそっぽを向く。
それから、
「まあ……何というか、あれだな。お前は笑ってた方がマシだな」
「うむ。私もそう思う」
照れたようなライの言葉に、大きく頷くエルフィ。
「何だか二人とも、仲良しさんね」
「ッ。別に、そういうんじゃねえよ。勘違いするな!」
嬉しそうなフェルナに、慌ててライが否定する。
それを見ていると、不思議とエルフィスザークの顔にも笑みが浮かんだ。
◆
傷が癒えるまで滞在した後、エルフィスザークは村を出ることにした。
別れを惜しんでなくフェルナや、少しだけ寂しそうにするライ達に別れを告げ、自分の村に戻る。
村での出来事を経て、一度村の皆としっかり向き合いたいと思ったからだ。
しかし、その願いが叶うことはなかった。
村は、なくなっていた。
聖堂騎士団の襲撃を受け、焼かれてしまっていた。
エルフィスザークがいなくなった間に、人間の村をいくつも襲ったらしい。
その帰りを聖堂騎士団に付けられ、襲撃を受けた。
村の人達のほとんどは、聖堂騎士の手によって殺されていた。
エルフィスザークの両親もだ。
「……そうか。死んでしまったのか」
焼かれた村の隅に作られた、簡易的な墓地の前。
一人、エルフィスザークは両親の墓標を見下ろす。
「せっかく、笑顔を覚えてきたというのに」
家族仲が良かったとは言えない。
村の人達とも、親密な関係が築けていたわけではない。
「……これでは、笑えないではないか」
それでも悲しくて、エルフィスザークは泣いた。
エルフィスザークは生き残った村の者とともに、魔王軍が管理する別の村で過ごすことになった。
その後、魔王軍と人間の争いはより勢いを増していく。
殺し合い、憎み合い、お互いに復讐を繰り返す。
そんな不毛なことが続けられた。
その後、数ヶ月に一度程度、エルフィスザークはフェルナ達の村に通っていた。
ある時、戦争が激化していることを警告しに、エルフィスザークはいつものように村へ向かった。
そこでエルフィスザークが見たのは、焼け焦げた村の残骸だった。
魔術と魔術がぶつかりあった痕跡が残っていた。
魔族がやったのか、人間がやったのかは、分からない。
だが、フェルナ達の村は争いの結果、なくなっていた。
彼らがどこかに逃げてくれたことを、信じるしかなかった。
どうして、彼らが襲われなければならなかったのだろう。
彼らはただ、穏やかに過ごしていただけなのに。
すべての種族で共存していた彼らが、種族間の争いに巻き込まれるなんて、皮肉だと思った。
「……こんなのは、間違っている」
あの村を見て、分かったのだ。
魔族も、人間も、亜人も、姿形や得手不得手が違うだけなのだと。
どの種族にも優れたところがあるのだ。
だから、どの種族が優れている、という考え方は間違っている。
今、魔族も人間も亜人も、お互いに向き合うことなく、ただ憎み合っている。
自分達が優れていて、自分達が正しいのだと、どの種族も思っている。
それは嫌だと、エルフィスザークは思った。
あの村のように、皆がしっかりと向き合って欲しいと、そう思った。
「世迷い言だな……」
こんな考えは子どもが見える夢物語だなんてことは、理解している。
世界は複雑で、正しいことや理想だけでは回らないのだと、分かっている。
それでも、エルフィスザークはそんな世界を作りたいと思った。
それが、それこそが。
他者より少しだけ優れた自分の『生まれてきた意味』だと。
そう、自分で決めた。
――だから、エルフィスザーク・ギルデガルドは魔王になったのだ。
◆
「――さらばだ。エルフィスザーク・ギルデガルド」
オルテギアが、大剣を振り下ろした。
漆黒の大剣が軌跡を描き、纏う魔力が斬撃として放たれる。
極光が瞬き、その斬撃は空間ごとエルフィスザークを斬り裂いた。
その一撃に魔王城の一室を跡形もなく吹き飛ばし、暴風が激しく吹き荒れる。
世界を塗りつぶしていた極光が引いていくにつれ、裂けた空間がゆっくりと修復されていく。
その一撃は、確かにエルフィスザーク・ギルデガルドを殺して余りある威力だった。
だが、
「一つ、訂正するぞ」
「――――」
声が響く。
薄れゆく極光の先に一つの影を見つけ、オルテギアは初めて動揺に目を見開いた。
「馬鹿な」
小さく言葉を零し、オルテギアは二つの異常に気付く。
所有していた物が二つ、なくなっていた。
異常に気付いたことで、目の前の光景の理由を理解した。
苦しげに顔を上げたオルテギアの視界の先で、言葉が続けられる。
「私の名を間違えるな、オルテギア」
極光が完全に消えた先に、一人の魔族が立っていた。
長い銀髪の髪を揺らし、黄金に輝く瞳に強い戦意を浮かべた少女だ。
側頭部からは、漆黒の双角が天を突くように伸びている。
ただ一つ、彼女の外見には変化があった。
その素肌を蛇のように這う紋章――“魔王紋”。
魔王の座を追われ、色を失ったはずのその紋章が半分だけ、色を取り戻していた。
そして、それと同じくして、オルテギアの体にあった魔王紋が半分、色を失っていた。
「貴様……!」
それが意味することは、つまり。
「聞くが良い。我が名は――」
そして、少女は告げる。
「――“魔王”エルフィスザーク・ヴァン・ギルデガルドだ」
魔王の再臨に、魔王城に激震が走った。




