第4話 深まる溝
伊織と芽依の二人の間には沈黙が訪れていた。芽依は必死に考える。
好きなところなんて、ないのに。
ぐるぐると回る思考回路。伊織は頭を悩ませる芽依の姿を、自身も考えるふりをしながら見つめていた。
芽依ちゃんが、僕のことを考えている……っ♡今、芽依ちゃんの頭の中は僕でいっぱいだ。僕だけを考えて、悩んで、表情を変えている。なんて、最高な一時なのだろう……!ずっとこの時間が続けばいいのに!
長い沈黙の最中、ガチャリとドアの開く音が微かに二人の耳に届いた。どうやら、お隣は既にクリアしたようだ。
……急がねば、と芽依は腹をくくった。仕方がない。ここは『尊敬する先輩』として答えよう。
「ええと、私からいきますね」
覚悟を決めた芽依が口を開く。
「まずは、ファンへの心遣いですね。気配りの出来るところが尊敬……いえ、好きです」
あああっ♡好きって♡好きって言った♡♡♡
伊織は内心で歓喜のあまり悶絶し、天を仰ぎそうになるのを必死に堪えた。表面上は涼しげな人気アイドルの笑みを崩さないようにしているが、瞳の奥にギラギラとした特大の熱が宿ってしまう。それを見た芽依はゾクッと悪寒を感じて思わず半歩後ずさった。
「次に……ダンスが上手なところです。私は苦手なので、す……素敵だなって、思います」
違うっ!違うよ芽依ちゃん!君のダンスはとても愛らしく、見る者を魅了してやまないのさ……!
愛しい人の自虐に、伊織は「そんなことはない、君のダンスは世界一可愛いよ!」と喉まで出かかった言葉を飲み込むのに必死だった。力強く首を振って否定したい衝動を抑え込むため、彼は笑顔のまま固まってしまう。
「さ……最後、は。……歌、あ、あの。声!そうです、声が素敵です。私もファンの心に響く歌声になりたいです!」
何を言っているんだい?君はそのままで充分素敵なのに……!
彼女の言葉一つ一つに全力で内心のツッコミと賛美を送りながら、言い終わった芽依と目が合う。伊織はここぞとばかりに、とても甘く優しく微笑みかけた。しかし、芽依にとってはそれが逆に恐怖を煽ったのか、バツの悪そうな、あるいは何かに怯えるような顔でパッと目を逸らされてしまった。
ああ、照れているんだね。芽依ちゃんは可愛いなあ。
伊織は都合よく解釈し、芽依に向かって話しかける。
「では、次は僕の番だね。僕は君の優しいところが好きだよ」
伊織は、ファンが直視すれば秒で失神しそうな極上の人気アイドルスマイルを浮かべながら言葉を紡いだ。
「誰に対しても分け隔てなく接する、その思いやりのあるところかな」
……例えば、楽屋で差し入れのお弁当を選ぶ時、いつも他のメンバーやスタッフさんが好きなものを優先して、自分は一番最後に残ったものを選んでいる時の、あの控えめで優しい微笑み!あぁ、いっそ僕が君専属のシェフになって毎日フルコースを作ってあげたい……!!
「あ、ありがとうございます……」
芽依はビクッと肩を揺らしそうになるのを必死に堪えた。ごく一般的な、当たり障りのない褒め言葉のはずなのに、なぜか爬虫類に舐め回されているような悪寒がする。しかし、ここで露骨に怯えたり避けたりしたら、逆にこの人を逆上させてしまうかもしれない……!と生存本能が警鐘を鳴らした。芽依はひきつりそうになる頬に無理やり力を込め、なんとか曖昧な愛想笑いを浮かべてやり過ごそうとする。
「ふ、二つ目は……?」
努めて平静な声で促すと、伊織は少し目を伏せ、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「二つ目は、君の笑顔だ。見ているだけで元気をもらえる、太陽みたいな笑顔が好きだよ」
……誰もいない深夜の公園で、一人でダンスの練習をして、上手く踊れなくて泣きながらも最後は自分を励ますように笑う時の、あのいじらしい表情! 君のマンションの向かいのビルから、最新型の高性能双眼鏡で毎晩見守っているその姿は、僕の命より重い宝物だ……!!
「……先輩にそう言ってもらえるなんて。嬉しい、です」
なんなの、この人……。言ってることは普通なのに、目の奥が全然笑ってない……!怖い、早く終わって、ここから出して……!
心の中では悲鳴を上げながらも、芽依はアイドルとして培った処世術をフル稼働させ、『謙虚で純粋な後輩』として伏し目がちに微笑み、必死に本心を誤魔化した。
伊織は最後の言葉を選ぶのに、ほんの少しだけ間を置いた。言いたいことは山ほどある。彼女の甘いシャンプーの匂い、爪の形、食事の時の頬の膨らみ、そして今自分に向けられている大きな瞳の美しさ――。しかし、それを口にすれば確実に警察沙汰になることだけは、彼のギリギリ残された理性が警告していた。
「……最後は。君の、アイドルとしての『芯の強さ』が好きだよ」
伊織の声が、わずかに熱を帯びる。
「どんな逆境にも負けず、ステージに立ち続ける姿勢……心から魅力的だと思う」
……勝手に僕のめいちゃんを盗撮するなんて、あの記者は本当に許せない。あの飲み会の後から少しずつ仲良くなろうと計画していたのに、最悪だった。めいちゃんと恋人になりたかったから事務所に『否定コメント』を出させなかったのは、本当に申し訳ないと思っている。……でも、僕はずっと待っていたんだよ。君が僕を頼ってくれるのを。炎上しても誰かに頼るわけでもなく、一人で立ち直ろうとするなんて。僕を頼ってくれないのは残念だったけど、懸命に努力している君は最高に素晴らしいよ……!
「っ……!」
『逆境』という言葉に、芽依の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。それが一年前のあの熱愛報道を指しているのは明白だったからだ。
わざとだ……! やっぱりこの人、あの時のことを面白がってわざと言ってるんだ……!
込み上げる恐怖と屈辱。それでも、ここで顔を引きつらせてはいけない。芽依は震えそうになる唇をギュッと噛み締めると、精一杯の、けれどどこかぎこちない笑顔を作って小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。これからも、頑張ります」
その瞬間――。
『素晴らしい愛の叫びだったぞ!』
スピーカーから、興奮で少し裏返った狐面の声が響き渡った。同時に、扉の上部にあるランプが緑色に点灯し、重厚な鉄の扉がガチャリと音を立てて開く。
モニタールームの紬希は、高級なレースのハンカチを噛み締めて感涙していた。
伊織くん……っ!ただの社交辞令じゃなくて、ちゃんと芽依ちゃんのアイドルとしての不遇や頑張りを見てくれてるなんて……!これは脈アリ!?絶対脈アリよ!!しかも芽依ちゃん、恥じらうように微笑んでお辞儀しちゃって……最高すぎる……っ!!
一方通行の重すぎる愛、実際には恐怖で引きつっているだけなのだが必死に笑顔でやり過ごそうとするすみっこアイドル、そして全てを都合よく『尊い』と解釈するおせっかい令嬢。見事にすれ違う三人の思いを乗せたまま、二つ目のゲームは幕を閉じたのだった。
つづく




