レベル133 人間というのは自分勝手なもんなのでしょう、たぶん
変化は少しずつ形になっていった。
まだ完成ではないが、田畑の開墾作業は確実に進展している。
堀や柵が出来上がり、水路を作り始めていた。
溜め池も含めてそれらが終われば本格的に田畑を作っていく事になる。
収穫がまだまだ先なのは変わらないが、いずれここから作物がとれる事への期待は高まっていった。
それと共に、新たに出来る田畑を巡る思惑も動き出している。
基本、開墾作業に従事してる者達に渡される事にはなっている。
それでも、そこに何とか入り込めないかと画策する者は出てくる。
作業をしている者の間でも、誰がどの土地を手に入れるのかという事で牽制が始まってもいる。
彼らだけではなく、彼らの家も含めてそれは起こっていた。
面倒な摩擦やいざこざの原因になってしまうが、防ぎ止める事はできない。
トモノリとしては、可能な限り公平な田畑の割り振りを心がけるしかなかった。
トモノリも一族に自分の所で働く者を打診していく。
評判はまずまずで、それならばと立候補する者も出て来ている。
冒険者の一団に加わえようとしたらこうはいかなかっただろう。
領主の仕事の補佐ならば、貴族としては妥当なところである。
新規の田畑の事もあり、将来性もある。
それを見込んで子息を送り込もうとしてる家もあった。
同時に、妥当な女を引き合わせようという動きも出てきていた。
以前の奥方の事は既に一族の周知事項と言ってよい状態になっている。
その後添えを狙ってる者も出て来ていた。
トオルの結婚相手を探していたトモノリだが、自分の再婚の方が先になるかもしれなかった。
それはそれとして、トモノリは一族からの登用をある程度積極的にやろうと思ってもいた。
冒険者を実際に見せるために。
今でもトオルの一団に人員を入れる事を諦めたわけではない。
それが出来なくても、トオルとの接点は何かしら必要になってくる。
まだまだ冒険者は必要とされている。
折衝を担当する人間は必要になっていくだろう。
それを見越しての事である。
少しでも早く冒険者というものを知っておいてもらいたかった。
そうする事で冒険者への偏見を捨ててもらたいとも。
一団にねじこむにしても、相手への嫌悪感や拒絶感があってはどうにもならない。
それらが相手を知らない事から来るのであれば、まずは実態を把握する事から始めねばならない。
知った上でどうにも馴染めなかったり理解出来ないなら仕方がない。
よりよく知った相手が本当に救いのない、人間の屑であるならばこれもどうにもならない。
だが、誤解に基づいての判断だけはしてもらいたくなかった。
世の中には決して相容れない人間もいるし、認めてはならない存在もいるが。
それが決して地位や立場で決まるわけではない事を、この機会に学んでもらいたかった。
その為にも人との接点が必要になる。
貴族の中にいては気づかないそれを、トモノリはここで感じとってもらいたかった。
村に出入りしてる行商人も色々と考えていた。
村が発展していくなら彼の商売も拡大していく。
トオル達だけでなく村を相手にした商売も出来る。
今も、様々な道具を持ち込んで結構な売り上げになっている。
トオルから手に入れる素材以外にも商売の種が転がっていた。
(これなら……)
可能性の一つとして考える。
(ここで店を構えてもいいかもな)
実現するには様々な手間がかかるが、採算があうならやる価値はある。
まだそこまでは行ってないから検討だけにとどめているが。
そんな雰囲気を感じつつも、トオルはいつも通りであった。
田畑が拡大し、それに伴って色々な動きが出ていても、それに巻き込まれる事もほとんどない。
良くも悪くも部外者であるので、村の中での出来事に関わる事も巻き込まれる事もほとんどない。
ただ、そういった動きに伴って出て来るなんらかの変化に対応は必要ではある。
全てを無視するわけにもいかないのが悩ましい。
ただ、村の拡大や発展が自分達にどう影響しどう関わるのかが分からない。
さすがに対処のしようがなかった。
あるいは、そんな村に働きかける事で、自分達を有利にする事も出来たかもしれない。
そこまで考える事が出来なかったので、傍観してるしかなかった。
それにトオルはトオルで、自分の一団の今後を考えておかねばならなかった。
住居を自分達で用意して、抱えられる人間を増やすというのは捨ててはいない。
その為に必要になる働きかけはしていくつもりだった。
その前に、レベルを上げて資金を稼がねばならない。
目下の所、他の手を出してるより自分の周囲をどうにかする方が先だった。
そんな調子で各自が各自の利益のために行動していた。
その一つ一つは決して他の誰かの為といった者ではないだろう。
むしろ、相手の動きを見て自分の有利になるように、といった欲望に基づくものである。
個々に見たら損をする者も出て来るかもしれない。
しかし、その一つ一つが村の発展から来るものである。
誰もがそれを優先していく中でのものだった。
田畑の開墾を妨げるという方向でのものではない。
そのせいかどうかは分からないが、各自の思惑による行動は、各自の受け持ってる部分における最適化にもなっていた。
不思議な事であるかもしれないが、誰もが己のやりたい事をやりながら、全体の利益や発展に寄与していた。
誰もが無意識のうちに、目的に沿った行動をとっていた。
無意識の事なので、誰もがそれに気づく事もなかったが。
おかげで誰もが何かしら不平や不満を抱き、その原因である(と思ってる)他の誰かへの文句を抱いていた。
他の誰かがまた、最適化されていく中で文句を言ってる者のための何かになってもいたりする。
変わっていく中で変わっていってる事にも気づかず、自分にとっての最善を求めていた。
その事に気づく事もなく。
「どうにかならねえかなあ」
トオルの嘆きがそんな動き中における、各自に思いを短く表していた。




