Story-9 『ホーリー・パンプキン』
町を歩いていると、やたらと黄色い物体が目についた。
ふと足を止めて、その異様な物体を見つめる。
その黄色い物体は、本来なら食べるためのものだ。
しかし今、目につくそれらは不気味な顔となっている。
不気味と言っても、どこか愛嬌のある不気味さだ。
「そうか。今日はハロウィンか」
中身がくり抜かれ、食べ物からただの装飾品と化したカボチャを見ながら、俺はそう呟いた。
今日は十月三十一日。俗にハロウィンと呼ばれるイベントが行われる日だ。
別段、俺には何の関わりもない事だ。
そもそもハロウィンという行事自体、あまりよく知らない。
子どもがお化けの格好をして、お菓子を貰うもの。
そんな程度の知識しかない。
だから俺には何の関係もない。
そう思い、俺は再び歩き出した。
そんな時だ。
何処からともなく、幼い声が聞こえてきた。
「とりっく・おあ・とりーと!」
驚いて、声がした方を振り返る。
いつの間にか、後ろに“そいつ”は居た。
大きなカボチャの被り物をした子どもが、俺の事をじっと見つめていた。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」
その子どもは、そんな事を言ってきた。
いきなり初対面の子どもに、お菓子をねだられるとは思ってもいなかった。
いや、恐らくは欧米ではこれが流儀なのだろう。
だが生憎ここは日本だ。見ず知らずの子どもにやるお菓子など俺は持っていない。
俺は正面に向き直り、帰路を急ぐ事にした。
「ちょ、待ってよおじさん!」
カボチャ頭の子どもが袖を引っぱってきた。
「誰がおじさんか。俺はまだ二十歳だぞ」
「じゃあお兄さん。おいらにお菓子をちょうだいよ。くれないと、いたずらしちゃうよ」
そう言って、より強く俺の袖を引っ張るパンプキンヘッド。
「分かったから袖を離せ」
子どもを袖から引き離し、取り敢えずなだめる。
「きみ、名前は?」
「おいら、ジャック・オー・ランタン」
聞き慣れない名前に眉を顰める。どうやら日本人ではないようだ。
「取り敢えず、その変な被り物を取れ」
ジャックと名乗った子どもの頭の手を掛け、そのカボチャを引っ張ってみる。
だがいくら引っ張っても、カボチャの被り物は取れなかった。
まるで、本当の頭みたいだった。
「痛い! 痛いよお兄さん! 頭取れちゃう!」
俺の手をぺちぺちと叩くジャック。
どう足掻いても取れないと分かり、手を離した。
「ひどいや! おいらをいじめるなんて!」
挙句の果てに、ジャックは泣き出してしまった。
「す、すまない」
焦った。こんな街中で子どもを泣かせてしまうとは。
いくら変な被り物を被っていたとしても、相手は幼い子供だ。
下手したら警察へ通報されてしまう。
どうしたものかと辺りを見渡す。
ふと、一軒のお菓子屋が目に入った。
「すまん、俺が悪かった。お菓子を買ってやるから泣き止め」
俺はジャックにそう言った。
「本当かい。お兄さん」
「ああ、本当だとも。そこの店へ入ろう」
ジャックは嬉しそうに頷き、また俺の袖を掴んだ。
そして俺を引きずるようにして、ずんずんと店の方へ歩いて行く。
俺はひたすらに、財布の心配をするのだった。
*
ジャックは本当に不思議な奴だった。
今まで、お菓子屋に入った事がないのだそうだ。
ショーケースにずらっと並んだクッキーやらケーキやらを、目を輝かせながら見つめていた。
店員の女性は、ジャックの事を物珍しそうに見ている。
なんだか、俺は一人だけ蚊帳の外だ。
やがて、ジャックはショーケースの隅の方を指さして、元気に
こう言った。
「おいら、これがいい!」
それは、小さな袋に包まれた、とても小さなクッキーだった。
値段的にも、ワンコインあればお釣りが出る程度のものだ。
「本当にそんなものいでいいのか?」
「おいら、これがいいんだ。お姉さん、このクッキーちょうだい」
キラキラした瞳で、ジャックは店員の女性にそう言った。
俺はその時、気付かなかった。
その小さなクッキーには、ジャックが被っているのとそっくりなカボチャがプリントされていることに。
*
お菓子屋でクッキーを買った後、俺たちは公園のベンチに腰掛けた。
ジャックは相変わらず、大きなカボチャの被り物をしたままだ。
「えへへ。初めて“人間”からお菓子貰っちゃった」
「何か言ったか?」
「ううん。別に」
本当に不思議な奴だと思った。
初めは、変な被り物のせいで、このジャックという子どもの事がよく分からなかった。
でも、今こうして嬉しそうなジャックの姿を眺めてみると、よく分かる。
ジャックは、本当にただの無邪気な子どもなのだ。
「クッキー、食べないのか?」
「まだ食べない。お兄さんに貰った、大切なクッキーだから」
そう言うと、ジャックは小さなクッキーを大切そうに懐にしまい込んだ。
「お兄さん。何かお話しようよ」
「ん? 別に構わんが。家には帰らなくていいのか?」
流石に、幼い子どもを遅くまで連れまわす訳にもいかない。
「ちょっとだけなら大丈夫だよ」
「それもそうだな。じゃあ、ちょっとだけ……」
ジャックは、とても嬉しそうに頷いた。
*
ジャックと話を初めて、それ程時間はたっていない筈だった。
いや、実際時間を計っていた訳ではない。
だが、どう考えても可笑しかった。
既に、時計の短針は二十二時を指していたのだ。
気が付くと、辺りは暗闇に包まれ、人などほとんど居なくなっていた。
可笑しい。
先ほどまでは、まだ微かにだが日は出ていた筈だ。
「ああ、もうこんな時間なんだ」
ジャックはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
「お兄さん。今日はありがとう。とっても楽しかったし、嬉しかったよ」
そう言うジャックの声色は、先ほどまでと何ら変わりない、無邪気なものだった。
「これは、おいらに付き合ってくれたお礼だよ」
そう言うと、ジャックは右手を突き出してきた。
恐る恐る、右手を差し出す。
俺の手の平に、ぽとりと何かが落ちてきた。
それは、とても小さなカボチャの種だった。
「それと、ごめんね。お菓子貰ったのに、いたずらしちゃった」
「何の事だ?」
ジャックの言っている意味がよく分からなかった。
「お兄さんの時間に、ちょっといたずらしちゃった。もっとお兄さんと一緒に居たかったから」
カボチャで見えない筈のジャックの顔が、笑っているように見えた。
「ジャック、きみは一体……」
「最初に言ったよ。おいらはジャック・オー・ランタン。またの名を、ウィル・オー・ウィスプ」
「ウィル、何だって?」
「鬼火って意味さ」
気が付くと、ジャックの姿はどこにもなかった。
ただうっすらと、先ほどまでジャックが居た場所に、青白い炎がちらついていた。
だがそれも、やがて暗闇に消えてなくなった。
俺の手元には、小さなカボチャの種だけが残った。
「はは、夢みたいだな」
ふと、思い出した。
昔、誰かに聞いた事がある。
ジャック・オー・ランタン。外国のいたずら好きな妖精だ。
大きなカボチャ頭が特徴の、幽霊の一種。
俺がさっきまで話していたのは、そいつだったのかもしれない。
だが不思議と、悪い気はしなかった。
「さて、帰るとするか」
ジャックから貰った小さなカボチャの種を握りしめ、俺は帰路につく。
俺にとって、ハロウィンなんかは別に何の関係もないイベントだ。
だが、今年は違った。
いたずら好きな妖精に騙された、そんなひと時。
だけど、それも悪くないと思った。
願わくば来年も、ジャックに会いたいと、そう思えた。
*
これは余談だが、次の日公園のベンチへ行ってみると、俺がジャックに買ってやったクッキーの袋が落ちていた。
どうやら、ジャックはあのクッキーをちゃんと食べてくれたらしい。
あのカボチャ頭がクッキーを美味しそうに頬張る姿を想像して、少しだけ可笑しくなった。
そのカボチャの頭は、きっと笑顔なんだろう。
END
俺も、お菓子欲しいな~(・_・;)