Last Story 『ブックカバー』
「先輩は僕のこと、好きですか?」
対面に座り弁当を食べている彼女に、いつもの様に尋ねた。セミロングの綺麗な髪を揺らしながら、彼女はゆっくりと僕を見据える。
「ああ、好きだ」
表情一つ変えずに、彼女はまた同じことを言った。この質問も、もう何度目になるだろうか。数えるのも馬鹿らしい。
高校一年生の僕―星野―と、一つ上の先輩―野原―が付き合い始めて、もうすぐ一か月が経つ。最初こそ浮かれていた僕だったが、最近は彼女の真意がよく分からなくなっている。
彼女は感情を表に出すことが極端に少ない。何を聞いても、最低限のことしか答えず、表情一つ変えない。他の男子共は、そこがクールで好いとか言っている。だけど僕からすると、正直何を考えているか分からず、ちょっぴり不気味だ。
だからだろうか。僕は毎回、彼女に同じ質問を投げかけてしまう。その度に彼女は、同じ答えを返すのだ。
弁当を食べる手を休め、彼女は僕の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。
「君は毎回同じことを聞くのだな、星野」
感情がこもっていない瞳で見つめられ、僕は愛想笑いを浮かべるしかなかった。どうして僕たちは、付き合っているんだろうか。
*
放課後、委員会へ行く準備をしていると、友人が話しかけてきた。
「おう星野。また野原先輩と一緒に飯食ってたな」
彼女は毎回昼休みになると、僕の教室に弁当を持って来る。勿論、僕と彼女の二つ分。有り難いことに、彼女は毎日僕に弁当を作って来てくれるのだ。
「いつものことだろう。いちいちネタにしなくていいから」
肩を組んでくる友人を鬱陶しそうに押しのける。彼女が来る様になってからもう随分経つ。何故今更絡んでくる。
「しかし不思議だよな。お前と野原先輩が付き合ってるなんて、いまだに信じられねぇ」
不意に友人が、そんなことを言い出した。僕の表情が、一瞬曇る。そのことを友人に悟られない様に、彼から視線を逸らした。
「そう思ってるのは、僕自身だよ」
誰にも聞こえない様に、ひっそりと呟いた。彼女の感情をうまくくみ取れず、苦悩しているこっちの身にもなって欲しい。
そんな時、教室の扉ゆっくりと開かれた。目を向けると、件の彼女が顔を覗かせている。
「星野。委員会の時間だ。行くぞ」
*
僕は緑化委員会に所属している。仕事は単純で、放課後に花壇の花に水をやるだけだ。本当はもっといろいろあるのだろうが、下っ端の僕にはよくわからない。
彼女も僕と同じで、緑化委員会に所属している。最近は、彼女とこうして水やりをするのが僕の日課だった。
「君は、何故緑化委員会に入ったんだ?」
不意に彼女がそんなことを聞いてきた。この人がこんな質問をしてくるなんて珍しい。普段なら無駄話一つしない筈なのに。
「そうですね。敢えて言うなら、花が好きだったから、ですかね。柄じゃないってよく言われますが」
こう見えて、僕は花が好きだ。別段花のことが詳しい訳でも、何か鼻を育てている訳でもない。ただ純粋に、花を眺めていたり、水をやったりするのが好きなのだ。
「そんなことはない。君らしいと思うぞ。私も、花は好きだ」
今日の彼女は何だかいつもと違った。表情はいつもと変わらないが、どこか口数が多い。普段の彼女とは大違いだ。
「先輩は、どんな花が好きなんですか?」
少し気になったので、思い切って聞いてみることにした。彼女が自分のことを話すなんて滅多にないことだから。
「薔薇だ。私も、柄じゃないとよく言われるがな」
どこか恥ずかしそうに、彼女はそう答えた。見ると、若干頬が赤くなっている。僕は何だか嬉しくなった。彼女が表情を変えたのを、久しぶりに見た気がした。
「いいですね、薔薇。僕も好きですよ」
僕は笑って、彼女にそう答えた。彼女の表情が一瞬、笑っている様に見えた。
*
委員会の仕事も終わり、僕と彼女は一緒に帰路についた。委員会がある日は必ず、僕と彼女は一緒に帰っている。
「また、何か読んでるんですか」
帰り道で、彼女はいつも本を読んでいる。茶色のブックカバーが掛かっているので、何を読んでいるのか分からない。視線は本に向いている筈なのだが、車が近づいて来た時はちゃんと避けるのだ。
「ちゃんと前見てないと、危ないですよ」
そんな言葉を、彼女に投げかける。まあ、忠告しなくても彼女の場合大丈夫か。そう考えていた時、彼女が不意に歩みを止めた。
「先輩? どうかしましたか?」
何事かと思い、彼女を振り返る。彼女は読んでいた本を鞄にしまい、僕をゆっくりと見据えた。相変わらず、その瞳からは何の感情も感じられなかった。
「私は、君のことが好きだ。星野」
彼女はいきなり、そんなことを言い出した。一体どうしたというのだろう。先程の花の話といい、今日の彼女はどこか変だ。
「ええ。それは毎回、聞いてます」
今まで幾度、その言葉を聞いただろうか。言葉としては、今まで数えきれない程聞いてきた。だがその全てに、彼女の感情は篭っていなかった様に思う。
「君は、私の事が、好きか?」
僕の眼を見据えたまま、彼女はそう尋ねた。一瞬、時が止まる。僕は、直ぐに答えることが出来なかった。彼女のことが好きでない訳がない。そんなことは、僕自身よく分かっている。でも何故か、僕はそのことを口に出すのを躊躇った。
沈黙が流れる。思い空気が、僕と彼女との間に流れた。彼女は幾度となく、僕のことを好きだと言ってくれた。だけれど彼女の本心は、ブックカバーに隠れてしまった本の表紙みたいに、全く分からない。そのことが、僕に言葉を紡ぐことを躊躇わせる。
そんな空気に耐えられなくなり、僕は彼女から視線を逸らし、身体を前方に向けた。僕はまた、彼女の視線から逃げ出した。本心が読み取れない彼女の視線がただただ怖かった。
視線を変えた僕の瞳に飛び込んできたのは、一匹の子猫だった。車通りの少ない交差点の真ん中を、子猫が歩いている。それだけではない。僕の視界にはもう一つ、別の何かが飛び込んでくる。嫌な予感がした。大きな鉄の塊が、子猫に向かって真っ直ぐ進んでくる。
そこから先は、自分の意志とは関係なく身体が動いていた。持っていた鞄を投げ捨て、子猫に向かって一気に走り出す。
急いで子猫を抱え立ち上がる。速くこの場から離れようと視界を上げた瞬間、目の前には真っ赤な車が迫って来ていた。
間に合わないと直感的に判断し、身を屈める。そんなことをしてどうにかなる訳ではないが、他に出来ることはなかったと思う。
身体が吹き飛ばされる感覚を待っていたが、僕の身体は宙を舞うことはなかった。代わりに、耳障りなクラクションと、ドライバーの罵声が聞こえてくる。
「危ねぇだろガキが! 轢き殺すぞ!」
そう言うと、僕の脇をすり抜けて、赤い車は行ってしまった。
「はは、死ぬかと思った」
子猫の無事を確認し、ゆっくりと立ち上がる。すると目の前には、彼女が立っていた。相変わらずの無表情で、僕を見つめている。
「無事か?」
彼女はそう問いかけてくる。僕はそれに笑顔で応じた。
「無事ですよ。ほら、気を付けて行けよ」
抱えていた子猫を放してやると、こちらも見ずに走ってどこかへ行ってしまった。本当に、無事でよかった。
「そうじゃない! 君のことだ!」
突然彼女が声を荒げた。僕は一瞬身体を強張らせる。
「はい、大丈夫です」
そんな間抜けな答えを言うと、彼女は僕の胸に抱きついて来た。
「ちょっと、先輩?」
彼女の瞳から、大粒の涙が零れ、僕の制服を濡らす。
「心配を、掛けさせるな」
彼女の声はいつもとは違い、とても弱々しかった。
「君はいつもそうだ。一人で勝手なことをして。心配するこっちの身もなってくれ」
そういうと、彼女は僕の腕の中で嗚咽を漏らしながら、只管に泣きじゃくった。僕は何だか申し訳ない気持ちで一杯になった。
「はい。すみませんでした」
そう言って、彼女の頭を愛おしそうに撫でた。
*
「さっきは取りみだしてしまった。すまない」
あの後、泣きじゃくる彼女を宥め、僕たちはまた歩き出した。
「いいえ。こちらこそ、危ない真似してすみませんでした」
一つ、思い出したことがある。僕は以前、彼女の泣き顔を見たことがある。委員会に入りたての頃、ちょっとした事件が起きたのだ。花壇の花が、犬か何かに荒らされていた。綺麗な花たちが無残に引き裂かれ、見ているこっちまで心が痛くなった。そんな花壇を見つめて、彼女は一人、涙を流していた。
その頃の僕は、彼女のことを無表情で気難しい人だと思っていた。だから、彼女が不意に見せたその表情に、見惚れてしまった。
「手伝いますよ、野原先輩」
気が付くと、僕は彼女にそう話しかけていた。恐らくそれが、僕と彼女の第一歩だったのだろう。
「さっき先輩は、自分のことが好きかどうか聞きましたよね?」
彼女の目をしっかりと見つめる。今度は、視線を逸らさない様に。
「ああ。君がいつも私に聞いてくるものだから」
僕は黙って、彼女の話に耳を傾ける。
「私は気難しい性格だ。他人とどう接していいかも分からない。こんな性格だから、君は私のことが嫌いになったのかと」
そう言って、彼女は表情を曇らせる。思うに、先輩は不器用なだけかもしれない。自分の感情を、表に出すのが苦手なのだろう。
「先輩は、どうして僕のことが好きなんですか?」
今となってはどうでもいい疑問だったが、敢えて聞いてみることにした。今の彼女ならきっと答えてくれるだろう。
「君が毎回、嬉しそうに花に水をあげている姿が気になってね」
僕がまだ緑化委員会に入りたての頃、委員会の仕事とは別に、放課後毎日花壇に水やりをしていた時期があった。どうやら、彼女はそれを見ていたらしい。
「それに花壇が荒らされた時、君は進んで私の手伝いをしてくれた」
正直、驚いた。あの一件は、僕が彼女に好意を抱いたに過ぎない出来事だと思っていた。ところがどうやら、彼女にも何かしら思う所があったらしい。
「僕はそんな先輩が大好きです。時折見せる照れてる仕草とか、直ぐに涙を流す所とか、そういう所、全部含めて」
彼女を少しでも安心させようと、僕は笑顔でそう答えた。
彼女は一瞬嬉しそうに頬を緩ませた。が、次の瞬間にはまたいつもの無表情に戻り、さっさと歩きだしてしまった。
「あ、待ってくださいよ先輩」
内心、やっぱり彼女はこうでなくてはと思いつつ、僕はゆっくりと歩き出した。彼女のことが少し、分かった気がした。
*
「ところで先輩、毎回何を読んでいるんですか?」
不意に彼女が読んでいる本が気になって、聞いてみることにした。
「ああ、これね」
彼女はブックカバーを外し、本の背を僕に見せてくれた。
『Le Petit Prince』
そこにはそう書かれていた。
「れ、ぺてぃ…… 英語ですかこれ?」
彼女は悪戯っぽく答える。
「残念。フランス語だ」
そう言って彼女は、優しそうに笑った。
「置き去りにした薔薇を一途に思う、幼い王子さまの話だ」
END
ここまで読んで下さり、ありがとうございます<m(__)m>
短いお話縛り……ということで勝手に挑戦してみたシリーズですが
如何だったでしょうか?
もちろん、意味不明な話もあったかと思いますが……
とりあえず、短編ってかなり難しいって常々思いましたね。
でも、この短い話の中で何か伝えることができたら
きっと物書きとして成長できるんではないかなと感じました。
今後も、機会があれば練習してみようと思うこのごろです。
では、重ね重ね、読んでいただきありがとうございました。
バゴでした、それでは~<m(__)m>