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Story-1 『HAPPY BIRTH』

「(ああ、まただわ……)」

風も吹いていないのに、哀しそうに揺蕩う布切れが視界の中に入り込む。もう見たくないのに……優子はそこから目を逸らした。


季節は夏から秋に変わろうとしていた。

日没の時間が日を増す毎に短くなり、代わりに夕暮れ時の真っ赤な空が占める時が長くなっている。


学校から家へ向かう帰り道、風を薙ぎながら自転車のペダルを漕ぐと、ベルとは違う涼やかなチリンという音が耳に響いた。

その音色はゆっくりと耳から離れ、少しずつ沈みゆく太陽と共に消えていった。


綺麗……それだけは紛れもない事実だ。

でも――その音色では、優子の心の澱は洗い流せなかった。


優子の学校は、少し前から二学期が始まった。高校二年生の二学期、それに進学校ともなれば進路先のことや受験勉強などの話が出てきても何ら不思議はない。

小さい頃の勉強は楽しかった。何もかもが新しくて、新鮮で、初めて見る学校そのものに魅力を感じることができたから。


だから、優子は勉強を頑張れた。先生から褒められることが何よりの励みになるからだ。

だが、高校生にもなると成績にはムラが出るようになる。


単純に考えただけで理解できるほど、この時期に重要視される問題は解くことはできない。昔は昔、小さな頃は上位だったが、今は真ん中に入れればいいほうだ。

最低ラインである赤点はいつも免れていたが、今のままでは通用しないと、面談ではよく注意をされていた。教師は生徒に皆平等とは言うけれど、その平等の中には見えない差別が隠れている。


簡単に言ってしまえば、上位、下位の隔たり。

上位の者にはそれを伸ばせと頭を撫で、下位の者には口を酸っぱくして苦言を呈す。


確かに理屈には叶っているけど、優子にはそれが理解できなかった。

自分でも分かっている現実を教師にダメ押しされると、お前は馬鹿な子だと言われてる気がして心が萎んでしまう。


悔しさをバネに、なんて言葉があるけど、人間そう簡単に弾める程上手くできてはいない。


「はあ……」


暗くなり始めた空の中、優子は自転車を走らせる。

小さい頃は、たくさんの夢があった。

信じて止まなければ、絶対に叶うと信じていた。光り輝く成功の旅路が目の前に広がってくるとばかり考えていた。


お菓子屋さん、コックさん、デザイナー、看護婦……。

たくさんのことに思いを馳せては、わくわくしながら前を歩けた。大人に近づくつい最近まで、教師はそれを言い続けてはいた。


「君たちには、無限の可能性がある」そう繰り返す教師の言葉を何の疑いもなく鵜呑みにしてきた。

だけど、現実はそんな甘いものじゃない。


今の自分が何よりの証拠だ。

ちょっとの点数の違いに気を揉み、遅くまで勉学に精を出す。


目に見える、と言えるほどの成長も特にできない。

輝いていたはずの未来も、今では霞がかってほとんど見えない。

気付けば教師たちの希望の言葉もほとんどかけられなくなっていた。


そう、結局人生には「優遇」、「不遇」が付き纏うんだ。

品物に限ったことじゃない。むしろ品物のほうはテコが入れば酌量の余地はある。でも、人間にはその理論は通用しない。


どうしてか、結局は自分次第という言葉で片付いてしまうから。

できないのはやる気がないから、顧問の教師がよく口にする言葉だ。彼は成功している人間、言葉に説得力はある。きっと正しい事実だ。だけど、全てがそれだけとは限らないかも……なんて言いたい自分は、ダメな生徒だろうか?


中には努力をしてるけど、なかなか芽が出ない子だっているかもしれない。

それをどうにかするのが教師という仕事なんじゃないのかな?

……これもきっとただの屁理屈に過ぎないんだろう。


巷でよく噂になっている天才高校生、彼らが羨ましい。

将来、夢、この二つは才能とイコールで結ばれている。

彼らのようにライトを浴びる存在になれたのは、消えない熱意と実行力が備わっていたからに違いない。


そんな彼らを育てた教師たちだって、きっと自分の学校の先生よりも上等な教師なんだ。

口先だけで何にも手伝ってくれないくせに、夢とか希望を一方的に投げかけてきた一般教師とは違う存在なんだ。


未来の道は、鋳薔薇の道、それを一番理解しているのは大人たちなのに……それなら世の中の不条理、無秩序、左遷とかを伝えてくれたほうがいい、心構えができる。

歴史に名を馳せた人物は、それを知った上で目標に向かい、成功したんだ。今の人たちみたいに、綺麗事を声高らかに語ることはしなかった。


だから今を生きる若者にはふらふらしてる人が多いんだ。

漠然と広がるだけの未来に、活路なんて見出せるわけもない。

……心が重かった。


「はあ……」


ため息ばかりが零れ落ちる。


……このまま消えてしまうのも一考、何てことが頭に浮かぶ。

こんないつ崩れ去るか分からない道を歩くぐらいなら、何も感じずにいたほうがどれだけ楽なことか。

何処かの作家が言っていた、人はみな死にたがっている。


今なら、それも少し分かる気がする。

死というものにはマイナスのイメージしか付かないけれど、今の優子には安らかなものに感じることはできた。死なんてきっと睡眠の延長のようなもの、気分を害すなんてことはない。むしろそういうことだって感じなくなる。


でも、自分で死ぬ勇気なんてない。

苦しいのは嫌、だからせめて、消えてしまいたい。

そんな負のスパイラルが優子の頭で展開される。

――そんな時だった。


「……ん? 何?」


物思いに耽りながら自転車を漕いでいると、目の端に何かが映り込んだ。ひらひらと視界に右往左往する白い布切れ。

見間違いとは言えないほど、はっきりと見えてしまった。


すっかりと暗くなって視界も悪くなってるはずなのに。


「(ああ、まただわ……)」


優子はその布切れから目を逸らした。

最近よく、優子はその類のものを見ることがあった。

ただ布切れのようなものが翻っただけ、なのかもしれないが回数を増す毎に自然と不安が高まってくる。

幼少の頃から、優子の周りには不思議とそういうものが「視える」友人が多かった。


そんな中、優子だけは何も見えないと豪語してきた。

わざわざ見る必要なんてこれっぽっちもないし、そんなの見えたところで不快感しか残らないと、幼心にも理解できた。


主人公が特異体質でそういうものが見えて苦しい、何ていう漫画は好んで読んでいた。自分と同じような境遇の人がいて、どこかで安堵を得ようとしていたのかもしれない。

しかし、最近の優子には、そんな余裕なんてない。


怖い、怖い、怖い。背筋に悪寒が走り、冷や汗が額から頬をつたって流れ落ちる。うなじを滑るぞわっとする感覚から逃げようと、ペダルを漕ぐ足に力を込めた。


「(早く帰ろう、それが一番いいわ)」


しかし……。


「……っ!? ど、どうして?」


先程まで動いていたはずのペダルが、突然動かなくなってしまったのだ。足に力を込めても、まるで鉛のように重くて前に進まない。

水に足を取られたように、夢の中で足が縺れて走ることができないように、思い通りに動かすことができない。


「動いて、よ!」


刹那――。


「……っ!?」


今度は突然ペダルが猛スピードで動き出した。スピードはぐんぐん速くなるばかり。制御も聞かず、家路を逸れ、人気のない、延々と続く田んぼの畦道を直走っていく。

自分でも分かるほど、気持ち悪い汗が噴き出ていた。あまりの恐怖に心臓から胸が飛び出しそうだ。

自分の体が誰かに操られている、現実味のない現象に処置の施しようもない。自分の意思とは裏腹に動く自分の両足の不気味さと言ったら……。


「やめて、やめてっ!」


どうしていいのか分からない。優子はただ叫ぶことしかできなかった。髪を振り乱し、涙が零れ落ちる。こんなに大声を張り上げているのに、どうして誰も気付かないのか。本来ならあるはずの民家も人影もない。いよいよ辺りの禍々しい雰囲気が際立ち、優子は全く来たことのない林に紛れ込んでいた。鬱蒼と生い茂る草木に肌を傷つけられ、腕に付いた傷口から血が流れ出す。


塗装もされていない砂利道に上体を取られながら、それでも足は止まろうとはしない。


「やだ、やだやだやだやだやだ……助けてっ!」


悲痛な叫びが辺りに木霊した直後、優子の視界が開けた。

体がふっと宙に浮かぶ。目の前に広がるのは、明かりを灯した家々が立ち並ぶ光景。温かくも懐かしい、その明かり。


反動で四肢は投げ出されていた。溢れ出る涙が粒となって同じように宙を舞う。足は何事もなかったかのように止まっていた。

――落ちる、落ちていく。


「(いや! 死にたく、ないよ……)」


さっきまで、消えてしまいなんて考えていたのに。

優子の心の奥から溢れ出した思いは――。

生きることに対する貪欲な精神だった。


……………………。


翌日、優子は町外れの崖下で気を失っているところを発見された。近くの民家に植えられた生垣がクッションとなって衝撃を和らげてくれていたらしい。全く妙な話だ、民家の「み」の字もなかったというのに……。


目が覚めたとき、たくさんの人が自分の周りを覆っていた。家族に友人、みんな目頭に涙を浮かべ、優子の無事を喜んでいた。


自分のために……それに気づいたらもう、死にたい、消えたいと考えてようなんて思えなかった。

何故あんなところに居たのだ、そんなに思い詰めていたのかと、両親は涙を流して優子に問うた。

確かに悩んではいたが、自殺未遂を敢行する程ではなく、かといって真実を身近な大人に説明するのも気が引けた。


だが親しい友人と、年の近い姉には、事の顛末を素直に話した。

そして、あることを教わった。


姉たちの話によれば、そこは「ミドロの崖」と言われている場所なのだという。地元で語り継がれている昔話で、心に迷いがある者や精神が不安定な人間を見つけてはその場所に誘い込み、あの世に連れていこうとするらしい。普段はどうしてか見ることは叶わず、近くに住む住人ですら、その場所が見えるだけで


そこに辿り着くことはできないらしい。言われてみれば納得のいく話である。

そんな作り話のような体験に自分が巻き込まれたなんて信じがたい話であったが、体で味わったその言いようのない感覚は今も残っていた。


あれから優子は、そういうものを視ることがなくなった。あからさまにそういう体験に巻き込まれなくなっただけかもしれないが。

それに、優子は気付いたことがあった。


自分が生きて帰ってこれたこと。

それは、生きることの喜びを理解したから。

四肢が投げ出された時に優子は自分が生きたいと思う気持ちに気がついた。確かに、迷いや悩みがなくなったわけではない。


だけど、まだ自分にはやれることが残ってるはずだ。

勉学が上手くいかないくらいで消えたいと考えるなんて、自分の考えの浅はかさを痛感した。

自分だけじゃない、世の中にはもっと苦しんでいる人がいる。

勝手な見解だが、優子を連れて行こうとした丘の者たちは、それを自分に気付かせようとしたのかもしれない。


終わらせる決断ができるなら、続きを選ぶ恐怖にも打ち勝てる。

今の自分の問題が解決したわけではないけれど、あの衝撃的な体験を思い出せば、きっと全てにおいて悲観的に考えることはなくなるだろう。


「もっと、頑張ってみよう」


優子はそう決心した。               



END


お読みいただきありがとうございます。

人間、どんなことがあってもあきらめなければ何かあるんじゃないかな……ってことが伝われば幸いですね(>_<)

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