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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第四話 白と黒
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其の五

 パチリ、パチリとテレビのチャンネルが移り変わる。夜彦はその様子を自宅のリビングの椅子に座り、コーヒーを飲みながら見ていた。頻繁に映像が切り替わるその様は、軽い混乱状態にある夜彦の心情を反映しているかのようで、どうにも落ち着かなかった。

 夜彦はコップを置きながら、そのテレビのリモコンを握ってソファに寝そべっている少女に目をやる。

 彼女こそ幻妖界からやってきた黒き狐、ヒチセである。

 彼女は数時間前、夜道で突如夜彦の前に現れ、慌てふためく夜彦に対して、謎の連続通り魔事件の調査の協力をすると言い出した。その後、まだ十分に事情が飲み込めていない夜彦を無視し、彼女は半ば強引に説き伏せ、こうして、夜彦の自宅にまで侵入してきたのである。

 夜彦としては、彼女が自分に対して害意を見せていない、という理由から、とりあえず家に招いたものの、どうしたらいいものかと対応を考えている。

 果たして、事件の調査に協力する、という彼女の申し出に対し、許可するか否か。

 その選択に迷っているのである。


 しかし、それにしても――。

 夜彦はそこでほうっと重い溜息をつく。

 両親がたまたま用事で出かけていて良かった。

 もしも、運が悪ければ、両親と彼女が鉢合わせる結果になっており、そうなると、いろいろと面倒な言い訳をしなければならないところだった。

 人間に化けた彼女は外見的には夜彦と同年代の少女に見える。そのため、夜彦の彼女ではないかと勘違いされてしまう、という危険性もあったわけである。

 しかし、夜彦のそんな安堵も全く気がつかないヒチセは、テレビの映像に釘付けになっている。おそらく、妖にとっては、人間の機械が珍しいのだろう。

 夕方のテレビはどこもニュース番組をやっていて、どこかの国の地震の様子や、選挙の速報、芸能人のスキャンダルがキャスターたちの口と映像によって語られていた。


「人間の世はいつだって賑やかだね。夜彦君」


 ヒチセがぽつりと言う。


「全く、賑やか過ぎてずっと見ていても飽きないよ」


 そうだね、と夜彦は応じる。


 しばらくして――。

 ヒチセのボタンを探る指の動きが急に止まった。

 テレビ画面がニュース番組を映す。そこにたまたま流れていたのは、とある連続強盗団のニュースだった。彼女の瞳がなぜかきゅっと縮んだのが分かった。多分、強盗という物騒な文字に反応したのだろう。


「これ、確か、隣町の事件だよ」


 と夜彦はそうヒチセに告げた。くるりと彼女が夜彦を振り向く。


「へえ、そうなんだ」

「もう何件か宝石店や高級ブランドショップが狙われていて、被害は数千万円だって話さ」


 テレビの映像では、強盗団によって破壊された店の入口や、盗まれた宝石のショーウィンドウなどが映しだされている。

 すーせんまん?

 彼女は首を傾げた。どうやら、理解出来ないらしい。夜彦は慌てて説明を付け加える。


「ああ、円は人間の世界のお金の単位だよ。数千万円ってのは、とてもたくさんのお金。ええと、家が一軒立つくらいのお金って言ったら分かるかな」


 彼女はいまいちピンと来ていない表情だったが、とりあえず、とんでもない金額であることは伝わったようで、


「そいつは大変だね!」


 と、目を丸くした。


「そんなにたくさん人の物を盗むなんて酷い話だね。僕なんて、そんなこと考えたこともないよ。聞いたこともない」

「妖の世界ではそんなことは起こらないの?」


 すると、彼女はふんふんと食いつき気味に頷いた。


「起こるわけ無いよ。みんなのんびりしたもんだし。適当に食べて、適当に遊び、適当に寝る。それが僕達の暮らし。誰とも争うことなんてない。そもそもそんな必要はないんだ」

「へえ……」

「まあ、喧嘩なんかはときどき起こるけれど、滅多に大したことにはならないよ。みんな人間みたいにせかせかしてないからね」


 まあ、だからこそ、退屈でもあるけれど。

 ぼそ、と彼女は言葉の端に隠すように、そう呟いた。夜彦は彼女が一瞬見せた、そのうんざりとした表情が気になったが、興味は彼女の住んでいる世界に向いていた。


「あのさ、ヒチセさん」

「なんだい?」

「ヒチセさんが暮らしてる、幻妖界のこと、いろいろ教えてくれないかな」

「幻妖界の、ことを?」

「うん」


 夜彦は頷く。


「実は俺、あんまり詳しくなくてさ」

「葛葉ちゃんに教えてもらわないの?」

「ああ、あいつ。そういう事には面倒臭がりだからさ」


 夜彦は手のひらをひらひらとさせる。


「ただ幻妖界が『妖によって妖が保護された世界である』ということくらいのぼんやりとした情報しかないんだ。全く、困ったもんだよ」


 夜彦は葛葉の事を思い出した。

 彼女の役職は幻門白狐。その役職には、この世に置いて、人間と妖の理想的なバランス状態を目指すことであると同時に、行き場を失った妖たちを救済し、幻妖界へと導く目的がある。そのために、この世と幻妖界とを繋ぐ、幻妖門を管理しているのだ。

 保護された妖たちはその幻妖門を通り、幻妖界へと行くらしいのだが、夜彦にとってその世界はただ、妖たちにとって、安全が約束された場所、という程度の情報しか知らない。


「あれま、そうなんだ。そいつはかわいそうに。いいよ、僕が知っていることならなんでも教えてあげる」


 彼女はにこりと微笑むと、リモコンを放り出した。そして、するりと立ち上がったかと思うと、いつの間にか夜彦の向かい側に座っていた。目にも止まらぬ素早さである。


「いい? 夜彦君。君がどれほどの認識を持っているかは知らないが、幻妖界ってのは、実はとてもとても新しい世界なんだ」

「新しい、世界?」

「そう。僕らのボス。ああ、彼女こそがあの幻妖界を創りだした張本人なんだけれど……なぜ、そんなことをしたのか。君には分かるかい?」

「ええと、この世で居場所を失った妖たちを救済するため、だよね」

「うん、まあその通りだね。彼女は数百年前、人間の技術革命によって闇を奪われ、住処を追われた妖たちの未来を危惧し、どうにか出来ないものかと考えた。そして、この世界を抜け出て時空の間をさまよった結果、妖たちにとって、とても住み心地のよい空間を見つけたんだ。それが幻妖界の始まりだよ。彼女はそこに新しい世界を築いた」

「あの、その『彼女』って」

「ああ、いい忘れてた。トウカ様だよ、トウカ様」


 彼女は言う。

 あまりにも長い年月を生きたが為に、この世のすべての妖狐を超越し、今や神と等しき存在となった狐さ。


「神となった、狐……」


 夜彦は彼女の言葉を繰り返した。

 そんな存在があるのか。

 夜彦にはあまりにも途方もない話でちっとも想像がつかない。一体どれほどの長い時間を費やせば、そうなれるのだろう。その疑問が、夜彦の好奇心を刺激した。

 ヒチセの説明は続く。


「彼女はできたてホヤホヤの世界を創造すると、しばらくしてから、そこに現世の妖たちを呼び寄せたんだ。当初は、本当に生活に窮した妖たちの避難場所といった色合いが強かったんだけれど、時を経るに従い、その世界は広がった。村が町になり、そして都会へと変貌するように、幻妖界にも妖たちの生活が、文化が創り上げられた。そうして、幻妖界は今の姿をだんだんと創りだしたんだ。今では十分過ぎるほど大きくなったんだけれど、トウカ様がいる限りは、これからもどんどん膨らんでいくんじゃないかな」

「……その、すごい方なんだね、そのトウカ様って」

「そうだよ、僕なんかの力じゃ、足元にも及ばないね。葛葉ちゃんですら、全く歯がたたないくらいに強いんじゃないかな」

「あ、あの葛葉ですら!?」


 夜彦は絶句した。

 今まで夜彦は幾度となく妖たちと遭遇してきたが、その中でも葛葉を超える者は誰も存在しなかった。いつもは無気力きわまりない彼女でも、その気になれば、その辺の人間が百人束になったって敵わないことくらい夜彦でも知っている。

 そんな彼女を超える妖とは、想像もつかない。

 すると、そこで彼女はむふふ、と笑い、


「ちなみにそのトウカ様、葛葉ちゃんのお母さんの友達なんだよ」


 そう言った。


「へ?」


 当然、夜彦は仰天する。


「え、えええ!!」

「おおっと、そんなにびっくりしたかい?」

「びっくりしますよ。だって、あ、あの葛葉に母親がいたなんて!」


 そっちかよ、とヒチセはずっこけた。


「あの無愛想なあいつにお母さんがいたとか、似合わない……」

「だ、誰にだってお母さんはいるでしょ。いくら妖と言ったって、生物と同じように誕生と消滅があるし。特に僕らは元々生物である狐から変異した妖だしね。母があり子がある存在さ。当然、僕にだって母親はいるし」

「……ち、ちなみに、葛葉のお母さんってどんな人?」


 夜彦は気になって訊いた。


「ああ、僕は知らないよ。見たこともない」


 すると、彼女はあっけらかんと答える。


「へ?」

「まあ、結論から言うと、もう死んじゃったんだよね」

「し、死んだ……」


 その言葉が、夜彦の胸にずんと重く沈んだ。つい数秒前までは存在すら知らなかったというのに、もう居なくなった存在だと聞くと、なんだか急に胸が寂しくなるのが分かった。

 知らなかった。

 あいつ、母親が、いないのか。


「残念だけれどね」


 とても、仲のいい、親子だったらしいよ。ヒチセが言った。

 夜彦は少しだけ、瞼を閉じてみる。

 その向こう側に、いつもむすりとしている葛葉の顔が浮かんだ。

 夜彦が笑わせたって、ちっとも笑わず、興味のない顔をしている彼女。怪談を聞かせると、決まって不機嫌になる彼女。

 そんな彼女は、自身の母親が死んでしまったとき、どんな顔をしていたのだろうか。やっぱり、悲しんだよな。あいつが泣く顔なんて、想像出来ないけれど……。

 けれど、それはあいつにとって、心の中にある塞げない傷跡になったはずだ。

 それを思うと、夜彦は急に葛葉が自分に近づいた気がした。それと同時に、夜彦の中で抑えられない彼女への好奇心が沸き上がってくる。


「あの、ヒチセさん」

「うん?」

「葛葉のこと、もっと俺に教えてください。幻妖界の事だって知りたいですけれど、それと同じくらいに、あいつの過去のこと、何でもいいんで知りたいんです」

「おや、君も彼女のことに興味が出てきたかい? 目がきらきら光ってるよ」

「はい、お願いします」


 夜彦は丁寧に頭を下げた。

 すると、彼女は唇に指を当て、目を左右に意味ありげに動かす。


「……そうだね、教えてあげようかなー、どうしようかなー」

「お願いします!」

「……ふふふ、やっぱりダーメ」


 彼女はいたずらっぽく舌を出した。


「ど、どうして!」

「続きは本人から直接聞けばいいじゃない。それに、僕が葛葉ちゃんの許可なく彼女の過去をこれ以上ペラペラ喋るのは、ルール違反のような気がするしね」

「でも、あいつ、そういうことは嫌いで」

「大丈夫だよ。夜彦君なら」

「え?」


 と、夜彦は面食らう。なぜなら、またしても彼女が至近距離で、夜彦の顔を覗き込んでいたのだ。

 その漆黒の瞳に、夜彦は引きこまれそうになる。


「君なら、きっと彼女の固く閉ざされた心を開ける」

「……ヒチセ、さん……」

「僕は、そう信じてるから」

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