2.地を這うもの、空を飛びたい①-3
「ムズカシーよー!」
とうとう白夜が泣きだした。
巨体の目からは大粒の涙がぼろぼろと溢れだす。
土まみれになった弥彦は彼を気の毒そうに彼の頭を撫でて労わった。
「人数が増えるとこんなに難しくなるんだね……」
同じく転げ落ちるロフティも土埃を払って気を遣うように話しだす。
「夕凪さんも言ってた通りよ。神獣の得手があれば不得手もあるということ。多人数を――しかも非異能者も神力による不調を与えず運べたアヴァロカナはその域では随一ということになるわね。あれは逆に見習っちゃダメよ」
「キュウ、キューウ」
リシェットも白夜を励ますように彼の前に跳びだしてひと鳴きする。それに白夜はズズッと鼻水をすする。
「なんかアドバイスくれよぉリシェットぉー」
「キュ⁉ キュウゥウ……」
リシェットは困ったように耳と尾を垂れ下げて俯いた。だがしばらくして顔を上げて表情を引き締めた。
「キュッ!」
まるで頑張れ! と応援しているようだ。だが白夜は――。
「何言ってるか分からないよー!」
とめそめそと再び泣き、リシェットはあわあわとした。
「あの……そういえばリシェットさんってどうして白夜たちみたいに話せないんですか? もしかして僕と白夜だけ聞こえないとか……」
「そんな不安そうに思わないで大丈夫よ……。あたしにも聞こえないから」
「そうなんですか?」
神獣の声は神獣に認められていれば鳴き声ではなく人語として認識できるようになるという。その理論でいけば、もしかして自分はリシェットに嫌われているのかもしれないのでは――? と弥彦は勘ぐっていた。だが神獣でもある白夜も言語として認識出来ていない。自分だけではないのだとわかると、弥彦はほっと一安心する。
ロフティは悩ましく腕を組んで息をひとつ吐いた。
「前例が少なすぎるからなんとも言えないけど、セツラの見解は言語障害かもしれないって話をされたわ」
白夜が鼻水をずずっと吸い込んで尋ねた。
「ゲンゴショーガイってなんだ?」
一度も聞いたことのない言葉なのだろう。白夜が首を捻った。
「うまく喋ることができないってこと。人間なら脳の病気とか心の不調で起こり得るの」
「神獣でもなってしまうんですか……」
「まあ……可能性の話だし、今のところ言葉が分からなくても問題ないわ。この子は常に何かを伝えようと努力を欠かさなかったし、あんたたちみたいに巨大化が出来なくても、あたしたちなりの方法で何十件も任務をこなせているもの。ね」
「キュッ!」
ロフティの自信の宿る眼差しを向けられたリシェットは彼女に嬉しそうに飛びつく。受け止めてくれたロフティの腕の中で、喜びを表すように尾を大きく激しく振った。
神獣とそのパートナーはそれぞれの関係性を築いている。
リシェットとロフティはまるで年の離れた姉妹のような仲睦まじい様子で、眺めていた弥彦はなんだか微笑ましく思う。
だが勝気に笑っていたロフティの表情が一変した。
「――っ⁉」
弥彦も遅れて鳥肌が立った。
ずんっと空気の重みが全身にかかる。そして直感的に頭に警鐘が鳴り響いた。
黒の侵蝕の気配だ。
「これは、もしかして近くなんじゃ……!」
弥彦は気配のした方向へ視線を向けた矢先。
「危ない!」
ロフティが必死の形相で弥彦に跳びかかった。
「なっ⁉」
弥彦は抗えず倒れた。背中の痛みと、圧し掛かるロフティの重みを感じながら、目を見開いた。
黒い影が二人の頭上を通り抜けた。強い風が吹き抜け、ロフティの長い銀髪が舞い乱れる。
「ロフティさん無事ですか⁉」
「無事! 早く立って!」
即座に態勢を整えたロフティが、片腕にリシェットを抱えた状態で弥彦の腕をグイっと強く引いて立たせる。そして目の前に佇む〝それ〟を互いに注視した。
黒い塵の群集だ。
風で巻き上げられた塵のようなものがこちらの様子を見守るかのように空中で留まっている。まるで生き物のようだ。
「これは――」
見覚えのあるそれに弥彦は驚愕した。
「なによ、知ってるの⁉」
「サハテハイで白の光の柱に向かう途中で、これを操る双子の女の子に襲われたんです」
「あの報告書の……! 形を変えて攻撃してくるっていうあれね!」
「はい、あんな感じにっ!」
黒い塵の群集が急に動き出した。二本の繩状に形をつくり、同時に弥彦へ襲い掛かる。弥彦は咄嗟に横に回避した。二本の繩は先端を尖らせて通り過ぎていくと、その先にある木を貫いた。
――あんなのに刺されたらやばいっ!
ぞっとする中、パートナーを狙われた白夜は怒りの声を上げた。
「ヤヒコ⁉ んのヤロォ!」
白夜は遊泳しているような黒い塵の群集に牙を向けて突撃した。
バクン! と噛みつく。だがそれは塵ひとつひとつが意志を持つようにふわりと避け、天高く舞い踊っていく。だがそれも束の間、数多の塵は凝固して礫となり、豪雨のように降り注いだ。
「ロフティさん、リシェットさん!」
弥彦は彼女たちの元へ駆け寄り、半透明の鱗を胸ポケットから取り出し頭上にかざした。
鱗は即座に輝きを六角形の盾に変化する。礫はけたたましい音をたててそれに衝突するが、盾はそれら全てを弾き返し、弥彦達の周囲へ散らばっていく。
だがそれも一時しのぎにしかならない。
「リシェット!」
先に動いたロフティは掌にのせた何かを周囲に吹き付けた。
「キュウ!」
ロフティの肩に乗るリシェットがひと鳴きすると、ロフティと共に輝いた。
周囲に散らばった礫がドクンと脈打つその時、ロフティの吹き付けた細かな白い繊維が礫の上で一斉に変貌した。
雫だ。
舞った繊維ひとつひとつが変化し、繋がり合う。そして脈打つ礫の上から水の塊となって覆いかぶさった。
「すごい……」
神力の宿る水に、礫となった黒い塵は動けない。ロフティとリシェットの対応力に弥彦は感嘆とした。
「ぼーっとしない!」
「うわっ⁉」
手首をロフティに捕まれて弥彦は走らされる。
「な、ロフティさん⁉」
「いいから白夜の背に乗る!」
「おっ、乗れ乗れ!」
言われるがまま先導するロフティと共に白夜の背に乗る。その間に水溜りに異変が起きた。
遠目でも分かる。水溜りが細かく振動をたてた。
「白夜走り出して!」
嫌な予感は当たる。水溜りは弾け、黒い塵が勢いよく宙に吹き上がった。
「おう!」
白夜は淡く光り駆け出した。
最速だ。それに弥彦だけではなくロフティもリシェットも振り落としていない。
「凄いよ白夜!」
「え、なにが――ってオレスゲー!」
「ちょっバカっ後ろ見ないで前よ前!」
「げ、やば⁉」
白夜が弥彦達に感動するも一瞬で焦燥に変わる。白夜の後ろから大群の蜂のように黒い塵が追いかけてきているからだ。どう襲いかかろうとしているのか、想像すると背筋が凍る。弥彦は思わず顔をしかめた。
「わるいわね。全方位から串刺しにされなければいいと思って依代で動きを止めたけど、大した足止めにはならなかったわ」
「いえ、悪い事は何もありません、すごく助かりました。多分あの状況では白夜の依代でも全方位はカバーしきれませんし、僕の異能はなおさら抵抗出来ませんでした。これからどうしましょうか」
「あんたの言う双子が身を隠して攻撃しているなら探し出して止めるしかないけど、今さっき発生した黒の侵蝕が気に掛かるわね」
「僕も同意見です」
黒の神獣使いと認めた双子もオリジンの行動は目障りになるのだろう。だが、奇襲をするならば今回は不意を突ける絶好のタイミングが他にあったはずだ。黒の侵蝕が発生した後に襲ってきたのならば、その順番に理由がありそうだと感じてならない。
「どのみちあの塵が邪魔ね。黒の侵蝕を治めると知ったら、相手にとっても格好の的よ」
「黒の侵蝕の中心地で対応しなくちゃいけないから、ですね」
ならばそこに矢先を向けていれば確実に仕留められる。これほど簡単な狩りはないだろう。
「そういうことなら、あとは話が早いわ。弥彦、どこに黒の侵蝕があるか分かる?」
「ここから二時の方向でしょうか」
「あたり。いいわ、あんたたちはそっちに向かってちょうだい」
まるで算段が立ったように言ったロフティは肩にリシェットを伴わせたまま白夜の背から立ち上がった。
「ちょっロフティさん危ないですよ⁉」
「大丈夫よ。白夜がちゃんと意識してくれてるの、分かってるから」
ロフティは白夜のうねる体の上でありながらその場で屈伸をし、体幹を捻るようストレッチをした。そうして彼女は美しい髪をたなびかせながら話を続ける。
「あたしの異能、知ってるでしょ? 囮ほどあたしに向いてる仕事はないから。白夜、あたしが跳んだらもっと速く行くのよ!」
「これ以上か⁉」
「やってもらわないと困るわ! 囮と言っても長く持つとは思えないから、そっちは任せたわよ!」
ロフティは足に力を込めるように身を屈めて言った。
もうスピード勝負のようだ。弥彦は自分が囮を引き受けようと思っていたが、その言葉を飲み込んで告げた。
「分かりました。どうかご無事で!」
「そっちもね!」
そう言い残して、彼女は白夜の背を蹴って黒い塵へ跳び込んだ。
その姿はすぐに小さくなっていく。弥彦は白夜に向き直って言った。
「僕たちの仕事をこなそう、白夜!」
「おう!」
ロフティとリシェットがいなくなり身軽になった白夜は加速した。




