2.地を這うもの、空を飛びたい①-4
ロフティは跳んだ。
黒い塵の群集に身を投じるように、その体を翻して挑んでいく。
だがその群集はロフティを避けるように二又に分かれ、走り行く白夜を追っていく。
「あくまでもそっちを優先するってことね」
黒い塵は最初から弥彦を狙っていた。目的は弥彦の抹殺なのか。ならば彼に囮を命じなくてよかったとロフティは思う。弥彦が標的じゃなかったにせよ全力疾走すれば白夜の方が速い。残るなら自分の役割だろう。
「悪いけれど、相手になってもらうわよ」
――異能発現!
ロフティは着地した瞬間、ブレスレットの共鳴石を輝かせた。
範囲は自身から半径数十メートル。弥彦達が入らない程度に異能の効果範囲を絞る。
彼女の視線が上がった時には、弥彦達に向かっていた黒い塵の全てがロフティに進路を〝変えさせた〟。
ロフティの【注意操作】の異能を受けたことによって困惑しているのか、塵の群集が僅かにまとまりなく、まばらにこちらに押し寄せようとしてくる。
「ふうん。案外近くにいるのね」
黒の侵蝕の近くにいる可能性も考えたが、そうではないらしい。異能が利いたならばこちらが有利だ。少し余裕ができれば、こちらに向けた注意を一本の糸のように感じ取り、相手の居場所を絞れるだろう。
「まあ、数は減ってないから油断は禁物だけど」
ロフティは腰についている収納ケースから小分けにしていたリシェットの毛束を取り出した。
「そうやすやすと倒れないわよ。力を貸して、リシェット!」
「キュウ!」
リシェットの神力が毛束に注がれる。鋭く細い光の線になり、やがて刃を携えた白いハルバードに変貌した。
ロフティはそれを構え、走りだした。
黒い塵はいくつかの塊となってロフティに飛びかかる。
ロフティは軽い足さばきで避けながらハルバードを振り回す。白の神力を放つそれは、触れる黒い塵を更に霧散させていく。
気配が背中をぞわりと撫でる。背後から襲いかからんとする黒い塵の気配だ。それを曲芸のようにハルバードを背中に回しながら切り込んでいく。ロフティにとって、注意を操作している対象が自身のどこに意識をしているかは手に取るように分かるのだ。
リシェットのハルバードによって、迫りくる黒い塵は枯れ葉のように粉々になって消えていく。
危険はない。だが、際限もない。
黒い塵はどこからともなく周囲から現れている。消滅させても補充されるようだ。
――ただ妙なのよね……。
黒い塵は弥彦たちを追わずにロフティに襲い続けている。ちゃんと異能が利いている証拠だ。
――でもなにかしら……いつもとなにか違うのよね……。
ロフティは槍のように突進してくる黒い塵の群集を片手間にひと薙ぎして、悩むように眉間に皺を寄せた。もう目を閉じても対応しきれそうな雰囲気に、リシェットは彼女の肩の上で愛らしく小首を傾げた。
「きゅう?」
「――考えても仕方ないわね、杞憂杞憂!」
「きゅうきゅう!」
吹っ切れたロフティと笑顔のリシェット。今までのオリジン案件で対応してきた黒の神獣よりも楽な相手に鼻で笑う。
「体力勝負にもっていくならそれでいいわよ、あんたたちがあたしを倒すか、弥彦たちが黒の侵蝕を治めるか、それともあたしたちがあんたたちを見つけるのが先か競い合おうじゃないの――おぉっ⁉」
そうロフティが踏み込もうとした時、足が動かなかった。
足が、傍の茂みから伸びるようにして現れた黒い塵に絡まれたのだ。
「ウソでしょ……?」
足を引っ張られた。ロフティは為す術なく地に倒れた。
「きゃっ!」
「キュッ!」
その衝撃でリシェットは肩から転がり落ちた。
周囲を舞う黒い塵は挑発的にくねりくねりと動いている。まるで面白がっているかのようだ。
「腹立つわー!」
ハルバードを握りしめ立ち上がろうとするが、黒い塵はこれまでと比べて異常に早く集まり、大きな姿で凝固していく。
それは、真っ黒な、どこか既視感のある大蛇のように形どった。
――⁉
反射的に背筋をなぞるかのような嫌悪感がロフティを襲った。まるで巨大化した白夜のようだ。だがそれは白夜には備わっていない威圧感を宿していた。
それの鼻先は、驚くことにリシェット〝に〟向いていた。
――どうして⁉ っ――!
いや、考えるよりも、とロフティはハルバードの石突を足に絡む黒い塵に当てて消滅させた。
ロフティは地を蹴った。ハルバードを勢いよく下ろして、黒い大蛇の首を叩き斬る。大蛇を模した黒い塵は気泡のように舞い上がり消滅した。
おかしい。異能で強制的に注意をロフティに向けさせているはずだ。なのにリシェットを狙うのはおかしい。ロフティはふと自身に向けられている敵意に意識を研ぎ澄ませた。
――そんな、うそ。
先程感じ取った違和感の正体、その輪郭を掴んだ。
感じ取れる敵意がひとつしか感じないのだ。
――二人で黒い塵を操ってるんじゃなかったの……⁉ まさかもう片方があたしの異能から逃れて……!
「キュウ!」
リシェットが焦りの一声を上げる。ロフティははっとなり、リシェットの鳴いた方向を向いた。
消えゆく大蛇の塵、その合間から新たな黒い塵がこちらに噴き出した。
「――⁉」
黒い塵に飲み込まれた。豪風が荒れ狂う。
苦しい。息をする間も許されない、ロフティはリシェットを守るよう前に立って必死に踏みとどまった。
いつの間にか目を閉じていた。風を感じなくなって、暫くしてからロフティは息の仕方を思い出す。
「いき、てる……?」
高鳴る心臓とじっとりと全身に感じる汗が生を実感する。だがそれでも信じられない心境で恐る恐る目を開いた。
赤い世界が広がっていた。
目を焼くような眩しい赤――それを火だと認識するのに時間を必要としなかった。
「きゃっ⁉」
熱気で焼けるほど熱いのに鳥肌が立つ。ここはどこだと周囲を見回す。
低い天井、四方の壁はすぐ近く――どうみても小さな部屋だった。
――やだ、やだやだやだやだ!
ロフティはハルバードを落とす。重い音が鳴ると共に、自身の震える体を抱いた。
思考が、心が恐怖に支配される。いったいどうして、こんな場所に、あの時のような――。終わりなく脳裏を過る思考は次第に過呼吸を起こしていく。
火の壁の向こう側には窓がある。それはすでに開いており、燃え盛る火は勢いを増していく。
――あのときと、おなじ……。
ロフティは両膝が崩れる。
苦しいと同時に、虚無も襲ってくる。
これは、あたしの終わりだ。
また、終わりがきた。
苦しく死ぬなら、罰に相応しい。
「キューーーーーー!」
「っ⁉」
背中からずんっと重みがのしかかった。炎とは違う暖かさがロフティの意識を引っ張った。
「リシェット……!」
リシェットの神力が体中に巡る。燃え盛る炎は勢いはそのまま変わらないのに、放つ熱は冷めていくのを感じる。
「キュウ! キュウウ!」
「っ! くそったれがああ!」
ハルバードを握り締める。一歩踏み出し、それを振り上げた。
白い斬撃が空間を走る。その一線から緑が見え始めると、紙が切り裂かれたかのように炎に囲まれた狭い一室は炭になって消えていく。
緑茂る森の中。舞い上がる炭の向こうに、小柄な人影がひとつ――いや、寄り添うようにふたつ、視界に捉える。ロフティは一息で駆け出し、ハルバードを振り下ろした。
「はあぁぁぁあ!」
刃は届いた。影が実体を得たような小柄なそれらは、白の神力に当てられて姿を陽炎のように揺らめかせた。それらは、はっきりと見分けのつく口元で、笑うように細月を浮かべる。そうして景色に溶け込むように姿を消していった。
「な、なんなのよこいつら!」
気配が無くなった。黒い塵も湧いて出てこないようだ。肩で息をするロフティは思わず苛ついて拳をつくった。
「きゅうぅ?」
額に汗の浮かぶロフティの顔。リシェットは彼女の肩から心配そうに覗き見た。
「大丈夫よリシェット。助けてくれてありがとう」
ロフティは気遣ってくれたリシェットの頭を撫でまわし、顎下をくすぐる。リシェットは気持ちよさそうに目を細めてリラックスした。それだけでロフティは強張った心が少しだけ解れる。いつの間にか浅かった呼吸に気付き、意識して大きく息を吸い、深く吐く。そうしてロフティは視線を人影たちのいた場所に向けた。
――いったいなんなのよ……。
子供ほどの大きさだった。普通なら攻撃することに躊躇う。だが今回躊躇わなかったのは、あの人影から黒の神力が溢れていたからだ。
――きっとルデレと同じ、黒の侵蝕が人の形となったもの……。ほんとに……?
あの炎の一室、炎の向こうにあった窓。忘れもしない。あれは、過去に遭遇した記憶のままの景色だった。
黒の侵蝕や神力に当てられた人間は精神に支障をきたす。これがそうであるのなら、確かに気が狂ってしまうだろう。
だがロフティは異能者であり白の神獣使いだ。黒の侵蝕の中でも活動出来るほど、黒の侵蝕や神力に強い耐性が備わっている。そんな自分が果たしてただの神力で精神汚染を受けるのだろうか。
――白兎の神獣は自分の神域内でトラウマを引き出す神力を当ててきた。そっちの方がまだしっくりくる……。
そう言われると白兎の神獣も異様だ。話に聞くと、精神攻撃を仕掛けた半面、物理的な攻撃手段は単調だった。しかもその攻撃手段を補填している時に弥彦に利用されて接近を許したというほど、目障りに飛ぶアヴァロカナとリアイゼルに感情的になっていたと思える。
パートナーのいる神獣なら個性が見られるが、ロフティの経験上では不規則に姿を現す白の神獣は落ち着いて理性的であり、黒の侵蝕で現れた黒の神獣は縄張りを守る野生の獣の暴力性とそう変わらなかった。ただの溢れ出る神力で非異能者が精神汚染を受けるなら自然だが、意図して精神攻撃をしようとする個体がいた記憶はない。
パートナーのいない感情的な神獣に、人の形をとる黒の侵蝕。どちらも異様な存在だ。
「今年からおかしいことが目立つわね……。次の任務はなにが起きるのかしら……」
胸騒ぎがして仕方がない。
弥彦はオリジンに加入してからまだ半年と少し。彼の成長は目まぐるしいほどであり、自身が新人だった頃と比べて強くなっていると感じられる。だがまだ二十歳にもなってないのだ、命を張ることにはまだ抵抗があってもおかしくないのに危険を回避しようとする本能を踏み越えようとする危ない理性を感じる。それに加えて他者を守ろうとする気持ちが強い。早死にしそうだ。これからの任務では内容に応じて任せつつ、無茶させ過ぎないよう気を配らなくてはならないだろう。
――あたしが夕凪さんみたいに振舞えるかしら……。
「ロフティさーん!」
一抹の不安が脳裏を過った時、遠くから弥彦の声が放たれた。どうやら白夜が恐ろしい速さで戻ってきたようだ。ロフティはそれを察すると、発生した黒の侵蝕がいつの間にか収まっていたことにやっと気付いた。
一方、ロフティと弥彦が合流したと同時に、どこかの暗闇でくすくすと笑い合う二人の少女がいた。
「とってもざんねんだわ。追い詰めたと思ったらまったく分離しないんだもの」
「とってもふゆかいだったわ。あと少しで手が届きそうなのに、混ざった色は元に戻らないんだもの」
「これじゃあアドレディだけどアドレディじゃない」
「でも収穫はあったわ。混じりものはみっつ」
「偉大なお方の神託通りね。もどりましょう、融け合うために」
「尊いお方の啓示通りね。かえりましょう、愛し合うために」
幼いながら妖艶さを秘めた笑顔の少女たちは、ロフティに熱い視線を向けて闇に消えた。




