5.帰郷②
「わかりました。僕らは早々に黒の神獣を見つけて、ゼルさんに加勢しましょう」
時間を無駄にはできない。時間をかければ西区のように神域が広がり、王城を中心にサハテスを飲み込んでしまうだろう。
だが相変わらず神獣特有のプレッシャーを感じない。気配だけではどこにいるか見当もつかない。
「アヴァロカナさん、居場所についてゼルさんは何か言っていましたか」
そう尋ねると、アヴァロカナはどこか遠くをしばらく見つめる。しばらく経ってから弥彦と白夜に言った。
「主から〝解〟を得た。この先にある階段を昇り、右手にあるバルコニーにいる。場所を移される前に行くぞ」
「はい!」
「おう!」
アヴァロカナが先を飛び、弥彦は首もとに白夜を伴わせたまま走り出す。
王城は広いながらアヴァロカナの案内により階段を見つけ二段飛ばしに駆け上がる。
開放的な廊下が続くなかで、天井がなく開けた空間――バルコニーがすぐに見えた。
――あれのことに違いない!
未だに感じることのない神獣の気配。それでもリアイゼルが〝そこにいる〟と言うのであれば間違いない。
そう思えるぶん、足は軽く、そこへ直進する。
だが、息を切らして辿り着いた先には、何者もいなかった。
「いない、ですね」
辺りを見回しながら警戒する。
バルコニーには青々とした観葉植物で彩られていた。天から燦々と降り注ぐ太陽を一身に受け、生き生きと天に伸びている。
バルコニーから地上を見下ろすと庭園が広がっており、澄みわたる水路と赤やピンク、黄色の花々で涼しさと活気さを演じている。眺めの良い場所だ。
「なーんもねえなあ」
白夜が鼻先をあちらこちらに向けて話す。
アヴァロカナも疑問にバルコニー縁に着地し怪訝そうに目をしかめる。
「おかしい……主の異能は外れない。だがどうみても神獣の姿を確認できない……」
「あいつが間違えることもあるんじゃねーの?」
「貴様、これだけ我が主の異能に頼りながらなんたる無礼か」
――ん?
アヴァロカナが白夜を睨み付けるのを余所に、弥彦は耳をたてる。
なにか連続的に大きな音が聞こえてくる。
なにかが崩れるような、そんな物騒な音だ。弥彦は恐怖を飲み込む。
音は下からなような気がして、おもむろに庭園をまた見下ろした。
その直後、庭園に面していた城壁が巨大な音をたてて破裂した。
「――!」
壁から飛び出たのはリアイゼルだ。強い打撃を受けたのだろう、弥彦がそうだったように、その巨体を背中から庭園の花壇に強打させた。
「がっ!」
「ゼルさん⁉」
「主!」
アヴァロカナが驚愕し声を上げる。
リアイゼルはそれに気づいているのか、はたまた気づいていないのか、その壁の向こうを注視しよろめきながらも立ち上がる。
リアイゼルの見る方へ弥彦も視線を向ける。
そこからは先ほど相対した仮面の男が外套をはためかせ、ゆっくりと姿を現した。
「久しく帰郷した王子がどれほど腕を上げたか楽しみにしていたのだが――期待外れだ」
「勝手に期待しといてそりゃねえぜ……それに俺はまだ立ってる。一方的に勝ちを確信するなっての」
口の端から流れた血を指で拭うと、仮面の男は鼻で一笑する。
「貴様の底は知れた。無闇に期待するほど、私は愚かではない」
それよりも――と言葉を止めると、仮面の男はまるでずっと目で追っていたようにこちらを見上げた。
「そこの少年のほうが、歯応えありそうだ」
ぞっとするほどの享楽一色の目に、弥彦は全身の毛が逆立つ。
得たいの知れない恐怖だ。こちらを一方的になぶり殺すかのような絶対的な自信。それと、どこか暴力に酔いしれているようなどす黒く、しかしどこかギラギラした殺気が突き刺さる。
――僕じゃ手に負えない……!
腹部にめりこんだ仮面の男の拳の痛みが恐怖を思い出せと悲鳴を上げ、弥彦は苦悶の表情で押さえた。
「はは、言うじゃねえか。なら、俺を倒してからにしな!」
リアイゼルは強く言葉を投げると仮面の男へと走る。
右手に握りしめたナイフを逆手に持ち、敵を目前とする。
そんな仮面の男は呆れたかのようにため息をひとつ吐く。一人だけ時の流れがゆったりとしているようにも感じるその間で、仮面の男も動き出す。
リアイゼルのナイフをひらりと避けると、それを見越していたのかリアイゼルは流れるように回し蹴りを頭部に目掛けて繰り出す。だが仮面の男は最低限に一歩後ろにかわした。
「んにゃろっ!」
リアイゼルは拳を握りしめ仮面の男の顔面に目掛けて振り下ろす。
仮面の男も拳を作り、恐ろしく低い声で呟いた。
「愚者が」
踏みしめ、拳を打つ。
互いに互いの顔面を捉える。
先に拳を放ったのはリアイゼルだ。
だが、先に届いたのは仮面の男の拳だった。
リアイゼルの左顔面に拳をめり込ませる。その勢いは留まらず、リアイゼルを地に叩きつけた。
「――なっ!」
ただ見る事しかできない弥彦は愕然と口を開けた。
ただただ純粋な力――それでリアイゼルを打ちのめした。
驚いていたのは弥彦だけではない。アヴァロカナも信じられないようにその景色を見つめる。
「お、おい。これ、やばくねえ?」
流石の白夜もどこか緩い言い方ながら焦燥にかられる。
やばいなんてもんじゃない。
黒の神獣を止めないといけないというのに、明らかな強敵が立ちはだかっているのだ。
逃げながら黒の神獣を探すしかない――しかし宛は無くなってしまった。
だが、ここで踏みとどまることこそ何にもならない。
弥彦は口の端を噛み、痛みで恐怖を払って言葉を放った。
「当てずっぽうでも、ここから動かなくちゃ……!」
そんな中、仮面の男は遠くから弥彦を見上げていた。
「逃げの一手か――悪くはない。そこからなにを取捨選択するか……見定めようではないか」
言葉の端に愉快な調子を滲ませると、仮面の男はそちらに向かおうと歩きだす。
だが、片方の足を握られ、踏みとどまった。
「まだ、行くんじゃねえよ……」
「気絶しなかったか。そのまま死んだフリをしなかったのは、愚かな選択といえよう」
「……戦わなくちゃいけねえ時に、立ち向かわねえでどうするってんだ……!」
リアイゼルは頭から血を流しながらも仮面の男を睨む。足を握り潰すほど手に力を込めた。
「ならば、ひとつ教授しろ」
仮面の男はリアイゼルに向き直ったかと思うと、リアイゼルの胸元を取り、立ち上がらせ――いやそれ以上に片腕で浮き上がらせた。
「なぜ異能を使わない」
「…………」
「その手首のモノは飾りではないだろう。だが絶対的強者を前になぜ使わなかったのかと、問うている」
リアイゼルは両手で仮面の男の手を掴んだ。
「勘違いも大概にしろよな……」
頭を強打し朦朧とする中で、リアイゼルは仮面の男を睨んだ。
「俺らの敵はハナからテメエじゃねえんだよ! この戦闘狂が!」
「……なに?」
途端に、リアイゼルの共鳴石が瞬く。リアイゼルは頭に舞い込んだ〝解〟にハッとなり、弥彦に叫んだ。
「来るぞ! 後ろだ!」
――⁉
リアイゼルの指示が飛び、弥彦は訳が分からず振り向いた。
青い空に太陽が雲に隠れる。そんな頭上で、誰かが書き足したかのような不自然な黒い靄がそこにあった。
ズズズ……と、重い物を引きずる音を立てたかと思うと、そこから勢い良く何かが噴出した。
現れたのは、あどけなさの残る十歳ほどの少年だ。楽しい物を目の前にした顔をしている少年は弥彦を視界に収めると、振り上げていた手の爪を立てて空を切った。
少年の振り切った爪の先から黒い液体が線を引く。
その線はまるで空間を裂いたかのように、ホースの出口を狭くしたような激しい水の音を上げて荒々しい水飛沫を噴出させた。
「――っ⁉」
真っ黒な液体が刃となって弥彦へと襲いかかる。避けなくては、と思う間に距離を詰められる。
白夜が口を開き神力を使うその束の間。
「遅い!」
アヴァロカナがその合間に割って入り翼を重ねる。盾になったそれに水の刃は激しく水飛沫を散らばして霧散する。
「あ、ありがとうございます!」
「礼は後にしろ! そして爬虫類は説教だ!」
「ナンデー⁉」
首元の白夜がアヴァロカナの一言に動揺する。それをよそに、弥彦は少年に注意を向けながら距離をとるように後方へゆっくりと移動した。
――どうしていきなり男の子が……?
そう疑問に思う中で、少年は不気味に笑った。
「あは、あははははは! お前ら喋れるのかよ! すげえじゃん、楽しいじゃん!」
突然上機嫌な少年に襲われた弥彦はぞっとして眉間に皺を寄せた。
「な、楽しいってどういう……いや、そんなことより、キミはいったい何者なんだ」
「オレ? オレはルデレ」
「……それだけ?」
「他になにがあるんだよ」
あまりにも短すぎる説明に弥彦も心の中で唸る。聞きたいことは沢山あるが、まず初めに気になることを捻出した。
「どうして僕を襲ったんだ」
「なんだ、当たり前じゃん。オマエ、邪魔者だからだよ」
――僕が邪魔……? それってどういう……。
心当たりのない言われように訝しんでいると、痺れを切らした白夜が尻尾を立て目を吊り上げた。
「こんの小僧ぉ! ジャマモノはオマエの方だろーが!」
「ア⁉ ニョロニョロがきっしょいな! 喋るんじゃねえよ!」
「なっ⁉」
切り返された罵倒に、白夜は驚きを隠せず固まった。リアイゼルは相手にしなかった分、人間に真正面から言い返されたのがよっぽど衝撃的だったようだ。
――おかしい……。
違和感に気付き、弥彦はすぐにそれを尋ねた。
「……どうしてキミはみんなの声が聞こえるのかな?」
〝お前ら喋れるのかよ!〟〝ニョロニョロがきっしょいな! 喋るんじゃねえよ!〟――どちらも白夜とアヴァロカナの声が聞こえているとしか思えない台詞だ。
神獣の声は適性のある人間にしか聞こえない。彼らが言葉を交わそうにも鳴き声としか認識できないはずだ。
それが、ルデレはあたかも聞こえているようだ。
だがルデレは問いかけにげんなりとする。
「なんだそれ、聞きたいことが分からねえよ。そんなことよりさ」
ルデレは低い姿勢をとって構えた。
「さっさと死ねよ」
「――っ!」
今度こそ弥彦はルデレの動きを見逃さない。
真正面から駆け出す少年の足は速い。
爪を立てた手を振り下ろす。そこからは新たな水の鎌がいくつも現れ弥彦に襲いかかる。
弥彦はルデレの大きな腕の振りを観察して、床を蹴って横へと避ける。
「なんだよ、避けるなよ!」
左手を床へと近付けた少年はその腕を大きく上へ振りぬく。すると五枚の刃を重ねた黒濁色の水刃がこちらに目掛けて放たれた。
「白夜!」
「おう!」
声に応じて白夜は口を大きく開く。
神力解放――麟盾。
白夜の鱗を思わせる六角形の透明な盾を形成、弥彦の身一つを隠すほどの大きさになったそれは黒濁色の水飛沫を受けきる。
「あー! オレの最強必殺技がー!」
攻撃を塞がれて愕然とする少年に弥彦は声を張り上げた。
「ルデレ君、ちょっと待ってくれないかな! 僕はキミと戦う理由がない!」
「はあ? あるに決まってるだろ!」
――駄目だ、話が通じない!
どこか興奮している少年に弥彦は迷いが生じ、一筋の汗が頬を伝う。
自分よりも幼い子供がこちらを襲う理由は分からない。正当防衛になるだろうが、成人のそれと相対するのでは訳が違う。
何か理由があるはずだ。理由が分かれば、争い以外の道を選びとることも出来るだろう。
だがルデレはそれ以外の選択肢はまるで無いと言わんばかりに異能を放ってくる。それを避けつつ言葉をかけ続けた。
「キミの言ってる事こそ僕には分からないよ! どうして僕に死んでほしいのか教えてくれないかな!」
「はあ? そんな事言わなくたって分かるじゃん」
「分からない!」
「えぇ? 話が違うんだけど……なんかやる気無くなってきた」
ルデレは先ほどまでとは打って変わってげんなりとした顔をして動きを止めた。
攻撃が止んだことに弥彦は安堵する。だが、それは淡い希望だった。




