ロベリア様は我慢の限界です!
公女に憑依した男が主人公です。性格が悪いのでご注意ください。
「我が王妃として――フォウ公国の公女、ロベリア・フォウを指名する!」
王太子カリオスの宣誓が響き渡り、会場は歓声と拍手に包まれる。
ロベリア――に憑依している俺は、王太子が差し出す手をとり優雅に微笑んだ。
「嬉しいですわ、カリオス様。私が王妃に選ばれたということは、ジュリア様は……」
「側妃として迎えようと思ったが国へ帰すつもりだ。その方がお前も安心だろう?」
ギチギチッ。
思わず握る手に力を込めると、カリオスの顔が歪む。
照れ隠しだとでも思ったのか、やんわりと指を外そうとしてきたので、さらに力を込めた。
「ロベリア。少し、痛むから力を緩めてくれないか」
「――国に帰す? 今、そう言ったか?」
睨みつけるとカリオスは一歩後ずさる。周囲もざわめき始めたがそんなもん知ったことではない。
「お前、自分のこれまでの悪行を忘れたわけじゃねぇよな?」
「そ、それについては……本当に申し訳なかった、と……。だが、今では本当にお前を――」
「誰がてめぇの王妃になんかなるか、この糞王子がっ!」
カリオスの手を乱暴に引き寄せ、そのまま拳を鳩尾に叩き込む。「ぐぇっ」と情けない声を上げた男の頭を踏みつけると、生徒たちの悲鳴が会場に響き渡った。
各国の貴族の子どもたちが集まるこの学習院で、今代の王太子の伴侶を選ぶ『王妃選定の儀』という悪趣味な催しが始まったのが三年前。
名門フォウ公国も例外ではなく、公女ロベリア・フォウも学習院へ入学した。
――が、何の因果か、そのロベリアの身体に俺が入り込んでしまった。
百連勤の果てにエナドリを飲み過ぎたのがいけなかったのか。デバッグ作業を山ほど残したまま日本とおさらばする羽目になった俺にとって、これは非常に不本意な出来事だった。
「――あ、貴方はだれ? どうして私の頭の中から声がするの……?!」
どうやら俺は転生でも転移でもなく、俺の趣味ではないが見た目だけはレジェンド級の小娘に憑依してしまったらしい。
頭の回転が決して早くないこの娘になんとか状況を説明し、さらにここの世界観を聞き出すのに三時間。実に無駄な時間だった。
「つまり……貴方は悪霊ということね?」
(だから違うって言ってんだろうが……!)
何度試してもロベリアの身体を乗っ取ることはできず、俺は右も左も分からぬこの世界でイマジナリーフレンドとして存在するしかなかった。
そして始まった学園生活。
ギャルゲーのようなお楽しみイベントは何一つ起こらない。
ただの地獄だった。
「初めて私を目にする者も多いだろう。我が名はカリオス。王太子という立場ではあるが、どうか気兼ねなく話しかけてほしい」
入学式の後にそうのたまったのは、この王妃選定の儀の主役である王太子カリオス。
王族なだけあって見た目は悪くない。
だが、上級国民特有の傲慢さは隠しようもなかった。
「――ロベリア。次の魔道具実技は私と組まないか?」
「お声がけいただき光栄です。足を引っ張らなければいいのですが……」
「なに、私に任せておけば万事問題ない。不安なら、お前は後で見ているだけでもいいぞ?」
イラッとする物言いだが恋する乙女には頼もしく映るらしい。一目惚れしたロベリアは毎日が楽しそうだった。
(あんなののどこがいいんだ。趣味が悪いにもほどがあんぞ)
(カリオス様はとてもお優しい方よ? 堂々として素敵じゃない)
(俺には分かる。あれはモラハラするタイプだ)
ガキ共が織りなす恋愛リアリティショーにおいて、俺は当事者ですらない。ただ野次を飛ばすだけの観客だ。
それでも宿主が幸せなら、それでいいかと思っていた。
紅薔薇のような真っ赤な髪と瞳。豊満な胸と尻。
ド派手な見た目に反して内気で弱気な公女様。
王妃など務まるのかとは思ったが、公女としてのマナーや品格は持ち合わせている。
この異世界における重要ステータス、『魔力』には恵まれなかったが、それでも王妃として選ばれる資格はあった。
――ただし、それも有力なライバルがいなかったからに過ぎない。
学年が上がるタイミングで、ロベリアにとって最大の脅威となる存在が編入してきた。
「初めまして、わたくしはジュリア・ミュゼと申します。仲良くして頂けると嬉しいですわ」
優雅な仕草に方々から感嘆の息が漏れる。
流れる銀糸の髪、透き通るアメジストの瞳。
そして――学園随一と称されるほどの膨大な魔力。
(……なんだ、あの女は。本当にお前とタメなのか?)
(あの方はミュゼ公国の公女よ。ミュゼの人間が学習院に入学することなんてこれまでなかったのに、どうして……!)
儚げな雰囲気を纏う彼女に、子息たちは庇護欲を掻き立てられ、子女たちは憧憬の眼差しを向ける。
学習院の注目の的は一夜にして彼女となった。
成績優秀。眉目秀麗。謙虚ながらも芯は強い。
生徒たちは冷静に情勢を分析し、華やかさだけのロベリアから一人、また一人と離れていく。
魔法学の教師たちも、圧倒的な魔力を前に早々に篭絡された。
カリオスがロベリアを誘うことはなくなり、ジュリアと行動を共にすることが増えていった。
それでもロベリアは、嘆くだけで何も変えようとしない。
俺でさえ苛立つのだから周囲も同じだったのだろう。
王太子の態度が冷たくなるにつれ、取り巻きたちも次第に侮蔑の色を強めていく。
抗議の一つでもすればいいのに、生来の気の弱さがそれを許さない。
ロベリアはただ曖昧に微笑むだけ。
それが相手をつけ上がらせ、悪循環を生み出した。
――勢力図は完全に、ジュリアの手で塗り替えられていた。
不運は重なるものだが――年に一度の魔力測定会ほど、最悪な思い出はない。
「……なんだ、ロベリア。貴様はまだ魔力が開花しないのか?」
測定結果表を覗き込んだカリオスが、呆れたように吐き捨てる。
ロベリアは慌てて用紙を隠そうとするが、カリオスはそれを素早く奪い取った。
「ゼロ、ゼロ、ゼロ。……なんだ、全てゼロか」
奴は嘲笑を隠しもせず、無造作に用紙を放り捨てた。
「カリオス様……どうしてこんな酷いことを……」
「酷いのは貴様の能力だろう。無魔力者に我が王妃が務まるとでも思っているのか?」
「そんな…! 魔力がなくとも、私には誇れるものがあると仰って下さったではないですか……!」
「誇れるもの? お前の取り柄など、その顔だけだろう。それすら今となってはジュリアの前に霞むのだから……救いようがないな」
止まらぬ罵倒にも、ロベリアは肩を震わせるだけ。大人たちの目の届かぬこの環境下で、さぞかし殴りがいのあるサンドバッグなんだろう。遠巻きにしていた生徒たちからもクスクスと嘲笑が漏れ聞こえてきた。
「カリオス様、こればかりは生まれ持ったものですから、仕方のないことですわ。……それにカリオス様は、わたくしのことを魔力だけでご覧になっているのですか?」
カリオスの腕にそっと絡むジュリアの問いかけに、彼は驚いたように目を瞬かせる。ジュリアはけしてロベリアを詰らない。巧妙に誘導するだけだ。
「……そんなわけがあるまい。お前ほど聡明で美しい心を持つ者はいない」
それだけ言い残し、カリオスはジュリアを伴いその場を後にする。
飽きた観衆は、もはや未来の王妃が誰かを確信していた。
ジュリアの周囲には人が集まり、称賛の声が飛び交う。
対照的に、ロベリアの傍には、もはや誰一人として残っていなかった。
(……お前は、ここまでコケにされても嘆くだけかよ)
「――黙って頂戴!」
ロベリアは叫び、拳を床に叩きつける。
硬い大理石にヒビが走るが誰も気に留めることはなく、「また癇癪を起こしている」とせせら笑う声だけが響いていた。
――決定打となったのは、舞踏会だ。
ロベリアは魔力こそ持たなかったが、身体能力に優れ、ダンスの技術は一流だった。
この日も、燃えるような真紅のドレスを纏い、王太子カリオスの誘いを静かに待っていた。
王妃候補である以上、彼が彼女らと踊るのは当然の責務――そのはずだった。
「……カリオス様、わたくしはもう十分でございます。ロベリア様とも踊って差し上げてはいかがですか?」
「あれと踊っても己の技術をひけらかすばかりで何も楽しくはない。今日はお前と踊れれば私は満足だ」
壁際で待つロベリアの元に、カリオスが来ることはなかった。
無表情で佇む彼女に向けられるのは好奇の目だけで、誰も誘おうとしない。
それなのに、静かに大広間を去ろうとしたその背に、鋭い声が突き刺さる。
「――待て!」
カリオスだ。
もう何も期待するなと、あれほど言い聞かせたのに。
ロベリアは、喜色を浮かべながら振り返る。
その先にいたカリオスは、ジュリアを腕に抱え、侮蔑の目でロベリアを見下ろしていた。
「今日、この場で貴様に問わねばならんことがある。……ロベリア、貴様、ジュリアに勝てぬと見るや、呪具などというものを扱ったな?」
呪具?
自分にはまるで関係のないはずの言葉に、ロベリアはぽかんと口を開ける。
――これもあれだけ言ったのに、何の対策もしてこなかったこの娘に心底腹が立つ。
同時に、公平性という言葉を完全に見失っている、この糞王子にも。
「ジュリアの元に届いた手紙を知らぬとは言わせぬ。筆跡も貴様のものと一致し証拠は揃っている。その手紙を読んだジュリアは体調を崩し、しばらく寝込む羽目になったのだぞ!」
「カリオス様、まったく身に覚えのないことでございます! だって私は……魔力が無いのですよ?」
「ふん、その手紙は魔力がなくとも扱えるそうだ。私の愛を得られぬと悟り、どうせ父親に泣きついて手に入れたのだろう」
嘲笑を浮かべ、カリオスは言い放つ。
「――さぁ、申し開きがあるなら今この場で言え! ……何だ、何も言えないのか? まったく、ここまで無能で愚かな娘だったとはな。貴様の処罰も決めねばなるまい。追って沙汰を待つのだな」
ざわっ、と、大広間がどよめく。これは、決定的な断罪だった。
呪術や呪具の類は禁制品。ただ所持しているだけでも罪に問われるのに、それを王妃候補のジュリアに使ったとなれば――。
ロベリアの絶望が、全身を覆い尽くしていく。
(……こんな苦しいだけの世界、もう嫌……!)
身体の中で、紅い光がゆっくりと消えていく。
それを見届けた俺は、長い眠りから覚めたかのように、深く息を吐いた。
――仕方のねぇヤツだ。
大きく息を吸い込み、陽炎のように揺らめきながら立ち上がる。
爛々と輝く瞳がジュリアを射抜いた瞬間、異変を察した彼女の眉がピクリと跳ね上がったが、たおやかに微笑んだ。
「……カリオス様。きっと何かの間違いに違いありませんわ。ねぇ、ロベリア様?」
ここで慈悲を見せつけるとは、やってくれるじゃねぇか。
俺も応じるように、じっとジュリアの紫色の瞳を見つめ、緩む口角を無理やり引き締めた。
――ここからは俺のターンといきますかね?
「――まぁ、なんと寛大なお言葉でしょう! 仰る通り、呪具については一切覚えがありませんし、筆跡もどうせ魔法でどうにかされたのでしょうけれど、こうして疑われた以上はすべて私の不徳の致すところですわね。これからは心を入れ替えて……王妃選定の儀、最後までやり遂げたいと思います!」
堂々と宣言すると、つい先ほどまでロベリアの苦境を楽しんでいた聴衆は、呆気にとられたまま沈黙した。
「……気でも狂ったのか?」
その質問には答えずに、優雅に一礼し、すたすたとカリオスの前へ歩み寄る。
そして、迷いなくその手を取り、力任せにくるくると回してやれば、虚を突かれたカリオスは俺の手の中で翻弄されるように舞い始めた。
「な、なにを……!」
戸惑いながらも抵抗しようとするカリオスだったが、手をがっちりと握りしめ、さらに腰をぐいと引き寄せると――一瞬で大人しくなった。
「――ジュリア様とばかり踊っていらして、ロベリアは寂しゅうございましたわ。どうか、私とも踊ってくださいませ」
「貴様、不敬にも程があるぞ!」
怒りを滲ませるカリオスに、鼻で笑う。
「あら、不敬? それは面白いことをおっしゃるのね。腐ってもフォウ公国の公女であるこのロベリア・フォウを、散々蔑んでくださったのは貴方ではなくて? 王太子としての品性も知性も欠片も無いご様子、しかと記録しておりますわよ?」
その言葉にカリオスの表情が凍りつく。
この女は、本当にロベリアなのか?
そんな疑念が伝わってくるようだった。
「き、記録とは何のことだ……!」
「魔力がなくとも、魔道具くらいは扱えますからね?」
豊満な胸元から小さな魔道具を取り出し、スイッチを入れる。
直後、先日の魔力測定会でのカリオスの言葉が二人の耳に流れてきた。
――あの日、ロベリアに向けられた言葉は、仮にも王太子の口から出るべきものではなかった。
事前聴取という過程をすっ飛ばして行われたこの不必要な断罪劇も、国王やフォウ大公の耳に入れば、謹慎どころでは済まされまい。
「私を脅す気か!」
「脅すだなんて、とんでもございませんわ。ハラスメント対策として証拠を残すのは基本でしょう?」
にこやかに微笑みながら、流麗に言葉を紡ぐ。
「これに懲りたら、どうぞこれからは公平な目で私を見てくださいませ? 私は、王妃選定の儀にどうしても勝利せねばなりませんの」
「ふん……母国のためか? だが、魔力のない貴様が選ばれることなど――」
「貴方様のようにちっぽけな魔力に縋らずとも、勝るものなどいくらでもございますわ。どうぞ王としての視野を広げてくださいませ、矮小で愚かなカリオス様」
音楽とともにダンスが終わると、会場にはしばしの静寂が訪れる。
そして――遅れて、周囲から拍手が湧き上がった。
呆然と立ち尽くしていたジュリアは、その音にようやく我に返ったようだったが、拳を握りしめ、ただ睨みつけてくるだけだった。
――こうして、肉体も手に入れた俺は、これまでの鬱憤を晴らすようにその日から好きなように振る舞った。
実技の授業でも、ロベリアが『野蛮だから』とひた隠しにしてきた力を思う存分に披露した。
「カリオス様ったら、五秒も保たないなんて。もう少し鍛えたほうがよろしいのではなくて?」
茶化すように投げかけると、地面に尻をついたカリオスは顔を真っ赤にした。
問答無用で投げ飛ばしたのだが、不敬だと喚かれたので、「手加減するほうが不敬ですわ、ねぇ?」と涼しい顔で返してやった。
「……ロベリア様は、魔力が無い代わりに武術が得意でいらしたのですね?」
どこか皮肉を効かせてきたジュリアの声。
つい喜色を浮かべて振り返ると、想定していた反応と違ったのか彼女の頬が引き攣った。
「まあ! ジュリア様もお相手してくださるのですか?」
「わ、わたくしはあまり体が強い方ではないので、遠慮しておきますわ」
「それなら寝技なんていかがかしら? マッサージで体を解すのも良いと思いますわ。遠慮なさらないで。手取り足取り、付きっきりで教えて差し上げますから!」
「け、結構ですわ!」
そう叫び、ジュリアは逃げるように教室へと戻っていく。
どうやら挑発しに来たつもりのはずが、見事に返り討ちにしてしまったらしい。
この一件以来、密かにジュリアを快く思っていなかった派閥からのロベリアに対する評価は、一気に上がった。
「――ロベリア! なぜ私の元へ謝罪に訪れぬ!」
「謝罪? はて、何の件でしょうか?」
「罪状が多すぎて分からぬか! ジュリアとの食事会の場所を勝手に変更しただろう!」
「あぁ、それでしたらご安心ください。ジュリア様とは、楽しいひと時を過ごしましたから」
今日も今日とて、カリオスはご立腹の様子で俺のもとに通ってくる。
とはいえ、一方的に言い募るカリオスを軽くあしらっているだけなのだが――怒りながらもどことなく楽しそうなカリオスの様子に、周囲はこそばゆい思いで見守っているようだった。
一方のジュリアは、カリオスに近づくことすらままならず、ついには俺の顔を見るだけで逃げるようになっていた。
「ジュリア様はロベリア様に弱みでも握られているのかしら……」
「ひょっとして、あの呪具の件も自作自演だったのでは?」
生徒たちは熱い手のひら返しを見せ、陰口の矛先をジュリアへと向け始める。
そして、半年が経つ頃には――王妃選定の盤面は完全にひっくり返っていた。
卒業を控えた前夜。
王妃選定の儀の最後を締めくくる、王太子による誓約の場。
そこでカリオスが王妃に指名したのは――ロベリアだった。
そして冒頭の宣誓へと繋がり、俺の足元には無様に這いつくばるカリオスの姿があるわけだが――。
「ロベリア、これはいったいどういうつもりだ……!」
「俺はどうしても勝たなくちゃいけなかったんだよ。――ジュリアを王妃にさせるわけにはいかなかったからな」
そう、ロベリアの志を継いだつもりなんて、これっぽっちもない。
王妃の座にも興味はなかった。
ただ、公女として振る舞いながら味方を増やし、時折カリオスを「可愛がる」ことで私怨を晴らしつつも歓心を得るように立ち回っただけだ。
こういう手合いには、「おもしれー女」扱いされるのが一番手っ取り早い。
思惑通り、カリオスはあっさりと俺に鞍替えした。
まぁ、事あるごとに殴り飛ばしたのがショック療法となり、ジュリアの呪術の影響から逃れたのもあるだろう。彼女が密かに呪術に頼っていたことを知るのは、この俺だけで十分だ。
何も理解できていないカリオスは、訳が分からないという様子で、うつ伏せのまま俺の足首を掴んできた。
「なぜだ、ジュリアのことがそこまで憎かったのか!?」
「はぁ? ばぁか、逆だ逆。あんないい女、お前なんかにくれてやるわけねぇだろうが。ジュリアは――俺のもんだ!」
――そう。ロベリアの視点を通して初めてジュリアを見たとき、俺はあっさりと恋に落ちていた。
こんなに美しく、気高く、覚悟を背負った女を、日本では見たことがなかった。
顔と年収と肩書に惹かれて纏わりついてきた女とは、まるで違う存在だったのだ。
元のロベリアがいる間は、胸の内に秘めていた。
当然ジュリアが王妃に選ばれては全てが水の泡。王妃に選ばれる必要はあった。
だが――もう遠慮する必要はない。
鬱陶しくて仕方なかったドレスを首元から力任せに裂き、中から白い軍服を露わにする。
「道を開けやがれ、この糞モブどもが!」
壇上を飛び降り、一目散に扉へと向かう。
王妃選定の儀でロベリアに軍配が上がった今、もうこの学園に用はなかった。
今から彼女を迎えに行けば、どんな顔をするだろう?
この半年で、それなりにアプローチはしてきた。大丈夫、きっと受け入れられる。
それに昨夜だって、ようやく二人きりになれた時を見計らって、ちゃんと伝えたのだ。
明日、お前を迎えに行くと。
「――あなたはいったい誰なの? ロベリア様はどこへ行ってしまったの?」
「気付いてただろ? 俺はこことは違う世界の人間だ。ロベリアはたぶん……俺の世界に行ったと思う」
「……そう。それならどうしてまだ王妃になろうとするの? わたくしを勝たせてくれても良かったじゃない……」
「王妃になりたいんじゃない。お前を王妃にさせたくなかっただけだ。……明日、お前を迎えに行くから。国に縛られる必要はねぇ。俺と一緒に、どこかで二人きりで暮らそう、な?」
その言葉に、ジュリアは小さく頷いてくれたんだ。
だというのに。彼女の姿は、すでに学園のどこにもなかった。
部屋の机に置かれたのは一枚の紙。そこには、たった一言だけ。
『探さないでください』
「……おかしいな?」
確かに迎えに行くと言ったはずなのに。
身の危険でも感じたのか、それとも王妃の座を渡さなかったことを怒っているのか。
どちらにせよ、ジュリアは敗北を確信すると迷うことなく逃げたらしい。
「仕方ねぇなぁ。迎えに行くか、国まで」
「ロベリア! 貴様、私を置いてどこへ行くつもりだ! 戯れにしては度が過ぎているぞ!」
「うるせぇ! もうお前には用はねぇんだよ! 死ね!」
ジュリアに逃げられた苛立ちはカリオスへぶつけるに限る。思い切り拳を叩き込み、そのまま学園を出る支度を急いだ。
「逃がさねぇぞ、ジュリア……! こちとら三年間も我慢させられたんだからなぁ!」
二年半もの間、この身体の元の持ち主である気弱な公女ロベリアの中で、イマジナリーフレンドに甘んじてきた。
そして、この半年間は主導権を握ったものの、王妃に指名される必要があったから猫を被る日々だった。
――もううんざりだ。
この世界に来てからというもの、まるでストレス耐性テストでも受けているかのような、屈辱と我慢の連続だった。
だが、卒業した今、そんな日々とももうおさらばだ。
出来の悪い妹のような存在は、きっと俺と入れ替わる形で、今頃は日本で楽しくやっていることだろう。
この世界で生きるしかない俺に残された目的は、ただひとつ――ジュリアを手に入れることだけだった。
俺は改めて決意を固め、厩舎に繋がれていた馬に跨る。
追いすがるカリオスには、親指を下に向けて別れの挨拶をした。
――王太子の入学とともに行われる王妃選定の儀。
勝者不在のまま幕を閉じたこの行事は、後年、見直されることとなったという。
なお、ロベリア様は10年後、下記の作品にてご活躍されております。(Ep066~)
元JK配信者、異世界で愛され配信者を目指します~チート魔力が欲しいとは言ってないんですよね~
*下の方にリンク貼っています。
活動報告に少し補足を入れました。