化け物登場
【帝国兵サイド】
「お、おい……! あいつはいったいなんなんだ……?」
田園都市ミュンヘルの東に展開していた守備隊のうち、隊長が隣の副隊長へと声をかけていた。
既に辺りは大分暗くなってきている。それでも、姿形がわかるぐらい、彼の目に映った異形の存在はあまりにも衝撃的な姿をしていた。
全身を真っ黒い獣毛に覆われた巨人。
巨大な雄牛が二足歩行しているような見た目。
あまりにも非常識なその出で立ちに、彼だけでなく、その場にいた数十名の兵らも騒然となっていた。
「わ、わかりません。ですが、魔獣か何かの類いであることには間違いありません」
「当たり前だ! あんなのが人間であってたまるか! 勿論、獣人でもな!」
「し、失礼しました! で、ですが、隊長! このあと、俺たちはどうすればいいんですか? どうも、ハンターたちは魔獣たちに襲われて全滅してしまったようですが……」
先程、怪我人を背負ったハンターの一人が北の大地へと逃げていった姿だけは目撃している。
奴らが示した凶悪な犯罪者たちは依然、生き残っているようだったが。
「皇后様からの指示では絶対に動くなということだった。だが、もしあの魔獣がこちらへ来たらどうすりゃいいんだ?」
「た、隊長! 絶対にやばいですよっ。あんなのと戦ったら、俺たち全員、奴らの二の舞ですよっ」
「……だろうな。だが、俺たちがここで引くわけにはいかないだろう? もし逃げたら、町の連中が全滅するし、何より、敵前逃亡だの、命令無視だのと言って、皇后様にお仕置きされるのがおちだ」
「た、確かに、あの方ならやりかねません……! あまりお見かけしたことはありませんが、ですが、見るといつも怪しげに微笑んでいますし」
「あぁ……しかもだ。俺は一回だけ見ちまったことがある。この町の守備隊隊長に叙任されたとき、皇帝陛下と共に玉座に座ったあの方のご尊顔を……! 今思い出しただけでもゾッとするぞ……」
隊長が顔面蒼白で呟いたとき、ふわりと、二人の背後になんらかの気配が湧いた。
それに気が付いた副隊長が今しも泡を吹いてぶっ倒れそうになる。
「た、たたたたた、隊長……!」
しかし、隊長はまったく気付かず、前方の化け物を見据えたまま、
「やべぇぞ、あの方は。もしかしたら、あの化け物なんて足下にも及ばないぐらいの化け物かもしれねぇ。なんせ、性悪女がおもちゃを見つけたときみたいに愉悦に歪んだ顔で舌なめずりしていたからな……」
彼はそこまで言って、副隊長を見て眉間に皺を寄せた。
「おい、どうした? お前、顔が真っ青だぞ?」
「ひぃっ~~!」
隊長のその一言が合図になったかのように、遂に副隊長はその場にしゃがみ込んで地面に額をこすりつけてしまった。
「あ?」
隊長は意味がわからず、呆然としたのだが、そんな彼に、背後から突然声がかかった。
「うっふふ。化け物とか性悪女とか、それって、誰のことですの?」
妖女を思わせるような甲高くも毒々しい妖艶な声色。
聞く者すべての肺を握り潰して、窒息死させてしまいそうなそれ。
その声が誰のものか瞬時に悟った守備隊長は副隊長同様、一瞬にして顔面蒼白となり、ギギギと後方を振り返って息を飲んだ。
金の刺繍が施された豪奢な黒いドレスを身にまとった傾国の美姫。
長くて緩く巻かれた白銀の髪と、同様に白銀の柳眉に長い睫毛。
やや垂れ目がちな切れ長の瞳と、艶やかな赤い唇。
そのすべてにおいて、帝国内で彼女以上に美を奏でられる者など存在しない。
元ヴァルトハイネセン王国第一王女にして現在、帝国皇帝レオンバルドスの后である皇后テオドラだった。
「へ、陛下ぁぁぁ~~~!」
隊長は止まっていたときを再び動かして、ブルブル震えながら飛び跳ねるようにその場に土下座した。その場に居合わせたすべての兵らも一斉に膝をつく。
「どどどどどど、どうしてこちらにぃぃぃっ~~!」
「あらあら、うふふ。どうしてそんなに怯えているのかしら?」
ドレス同様、黒いレースの扇で口元を隠しながら、艶然と笑うテオドラ。
目尻がこれでもかと言わんばかりに垂れ下がっており、今しも頭を垂れている隊長の頭を踏んづけそうな雰囲気だった。
「そ、そそ、それはっ!」
そこまで言って絶句してしまう隊長をしばらく見下ろしていた皇后だったが、ふと、興味を失ったかのように前方を凝視した。
既に彼女の顔からは笑みが失われており、目が細められている。
「陛下」
そんな彼女へ、彼女の背後に控えていた背の高い青年が声をかけた。
「いかがなさいますか?」
「……そうですわね。転移魔法を使ってでもこちらに来て正解だったといったところかしら?」
「では……?」
「えぇ。あなたも加勢に行きなさい。ですが、あの化け物は間違いなく妖魔。瘴気の塊といってもいいですわね。ですから――」
そこまで言って、振り返る。
彼女の眼前に佇んでいた白銀の鎧を着込んだ金髪碧眼の美青年は心得たように腰を折った。
「承知つかまつりました。瘴気を浴びぬよう、最善を尽くします」
「頼みましたよ。アルガイル・アーレンカイオス。私の側近として、恥じない戦いをお見せなさい」
「御意に」
それだけを告げ、彼は戦場へと駆けていった。
「さて」
再び地面に跪く大勢の衛兵らを見渡しながら、皇后テオドラはおもちゃを見つけた幼子のように楽しげに笑った。
「あなたたちも、加勢に行きなさい?」
「……は? い、いえ、皇后様! 私たちには動くなという命令が……!」
兵らを代表して低頭したままくぐもった声を吐く隊長。そんな彼に、テオドラはこれ以上ないというほどに愉悦に歪んだ笑みを浮かべた。
「ですから、こうして命令を変更しているのではありませんか。いいんですの? この私が出向いたら、この辺一帯すべて焼け野原となりますわよ? うっふふ」
艶然と笑う彼女の言葉に、守備兵らすべてが悲鳴を上げ、一斉に立ち上がった。
「ぜ、是非、行かせていただきます!」
隊長は敬礼しながらそう叫ぶと、悲鳴を上げながら我先にと、白銀の騎士のあとを追いかけていった。
「ま、待ってくださいよ~! 隊長~!」
そのあとを数十人の兵らが慌てて駆けていく。
それらを黙って見送る形となったテオドラは、
「さて。この試練に無事打ち勝って、王国に救いの道をもたらせるかしら、イリス? そして、うっふふ。私の元に来て跪きなさい、フレッド。そうしたら、た~っぷりかわいがってあげますわよ、私の可愛い坊や。うっふふふ……」
黒き魔女は一人、目尻を下げて妖艶な笑みを浮かべ続けるのであった。
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