始まる夢の続き、夢か予知か
「何してもいいって言ったけど、随分と魔力を持っていくじゃない」
立ち上がったイリスは苦しげに呼吸を整えながら呟いた。
「おい、大丈夫か?」
「なんとかね」
痛む足を引きずりながら近寄っていく俺。
俺たちがいる馬車の周囲二十メートル圏内で立っているのは俺たち二人だけだった。
酷い血臭漂う夕空の草原には、おぞましい光景が広がっている。
横倒しとなって草の中に埋もれている魔獣の死骸や、輪切りとなってバラバラに転がっている蛇もどき、そして、ハンターに扮した王国兵たち。
魔獣たちはただの一つも生きている者はいなかったが、草むらの中に倒れている王国兵の中にはかろうじて息をしている者たちが何人かいた。
そのうちの一人が、片腕を失ったレンディルだった。
「くそがぁぁぁぁ~~~!」
激痛のためか、大怪我負って身動き取れなくなってしまったからか、それとも俺に負けたのがそんなに悔しいのか。
ともかく、あいつは相変わらず数メートル離れた場所でのたうち回っていた。
「フレッド……!?」
右肩を抑えるようにして暴れていたレンディルをぼうっとしながら眺めていたら、すぐ近くまで距離を詰めていたイリスが血相変えて声をかけてきた。
「あなた大丈夫なの!? どうしてそんなに傷だらけになっているのよっ」
叫んで肩をむんずと掴んでくる怪力女。どうもこの人は力加減というものを知らないようだ。
「いてっ。そんなに力いっぱい掴むなよっ。ていうかそこも切られてるんだが……!?」
非難の視線を向けてやるのだが、彼女にその手は通じなかった。
「誰が……誰がやったのよっ……て、あのクズしかいないわね――あいつはどこに行ったのよっ。この私が八つ裂きにしてあげるわ!」
イリスは神獣に魔力を持ってかれてふらふらになっているとは思えないほど、生気に満ち溢れた怒りの形相を周囲へと投げていたのだが、ふと、一方向を見て瞬時にそれが消え失せていた。
そこにあったのは哀愁だけだった。
「……フレッドがやったの?」
「……あぁ、止めたんだがな。どうしても引く気がなかった。だから、やり合うしかなかったんだよ」
「……そう」
彼女がこんな反応をしているのは多分、幼い頃から奴のことを知っていて、俺と奴の因縁についても理解しているからだろう。
奴らとは幼少の頃から色々あったが、殺し合う必要なんてなかったのだ。再起不能に追いやるほどでもな。
俺はもう一度地面に倒れている他の王国兵を一瞥した。
手足の一部を失ってはいたが、まだピクピク動いているゲールと、胸を斜めに切り裂かれて瀕死の重傷を負っているハワード。
二人ともなんとか立ち上がろうとしているようだったが、おそらくもう、長くは持たないだろう。
レンディルもあのまま放っておけば、いずれは出血多量で死ぬ。
「おい! お前ら無事か!?」
苦痛に耐えながら戦況を確認していたら、馬車の荷台からデールが顔を出してきた。
「あぁ。なんとかな……」
「そうかっ。とにかく、これを使え!」
そう言って、荷物袋を投げて寄越してくる。
それをイリスが綺麗に受け取ると、中身をガサガサと探り、何本かの筒を取り出した。
「フレッド、すぐにこれを飲んで。あなたもそのままほっといたら無事ではすまないわ!」
「あ、あぁ。わかった」
俺は渡されたものを見て、驚いた。
最上級回復薬。
回復薬である以上、回復魔法のように瞬時に傷が塞がるわけではないが、低級や中級、上級とはそもそも、系統が違う。
通常の回復薬は回復力を高めるものだが、最上級の場合は内側から肉体を活性化させて魔法のように、瞬時に傷を塞ぐ効果を出せないかということを目標に開発されたものだ。
未だに成功例も少ないと聞くが。
「大丈夫なのか、これ?」
偶然、期待通りの効果が得られるものが作れたとしても、魔法のように綺麗に傷が治るわけではないが、傷跡が残るものの、ある程度傷が塞がると言われている。しかし、失敗作だと通常の回復薬程度の効果しかなかったりと、そもそも、逆効果となる恐れもある。
「わからないわ。だけれど、これは道中、エルレオネが作ったという話だから、多分、信じてもいいと思う」
そう言って、イリスは体力と魔力両方の回復薬を一気にあおった。
俺は抵抗があったものの、イリスが言う通りこのままなんの処置も施さなければ命に関わるかもしれないと自分に言い聞かせて、両方飲み干した。
その瞬間、胃が焼けるような感覚に襲われたが、それも一瞬のこと。瞬時にして、全身から力が溢れかえり、あれほど出血していた身体の傷もある程度塞がり始めていた。
「信じられないな……」
「えぇ。だけれど、これで――」
そう笑顔でイリスが何かを言おうとしたときだった。
「フレッド様、イリス様! 今すぐお逃げください!」
いつになく鋭く甲高いエルレオネの声が、北の方から飛んできた。
俺とイリスはびっくりしてそちらを見て――思わず口を開けたまま呆然としてしまった。
――巨人。
そうとしか表現できないような巨大で真っ黒い靄状の生物が森から飛び出してきたのである。
北の大森林に生えていた大木を西の空へと吹っ飛ばして現れたそいつは天を貫くほどの大きさだった。
そいつがゆっくりと大地を振動させて、こちら側へと歩いてきていた。
巨人の足下には戦斧槍を持ったエルレオネと共に、セルフリードの異端児ことヒースまでおり、ひたすらこちら側へと駆けてくる。
「なんなのよ、あれは!」
回復薬のお陰ですっかり元気を取り戻したイリスが、隣で渋い顔を浮かべる。
俺もあいつを見て同様の気分となったが、それ以上に、奴から受ける既視感に戸惑いの色を隠せなかった。なぜなら、
「あいつは……! 間違いない! あいつは夢に出てきたあの巨人だ……!」
全身から嫌な汗が噴き出してきた。
あの予知夢なのかただの夢なのかわからないあれ。
そこら中に魔獣や人が血塗れで倒れ、その中にはレンディルやゲール、ハワードも存在していた。
今の状況はまさしくあれと酷似していた。
イリスやナーシャたちが倒れていないところだけが、夢と違う点だったが、しかし――
「あいつはやばいぞ……逃げた方がいい……」
「どういうことなの? フレッドはあいつを知っているの?」
「知っているがうまく説明できない。だが、俺の直感が正しければ、奴だけは相手したらダメだ……!」
俺は呻くように叫んでから、馬車の荷台から顔を出していたデールを振り返った。
「デール! 今すぐ馬車を出して避難してくれ! 街道から外れてもいいからとにかくひたすら南に逃げろ!」
「あ……? わ、わかった! だが、南は穀倉地帯で畑とかあって馬車では走りづらいんだが!?」
「走りづらくてもなんとかしてくれ! あんたならできるはずだ!」
「そんなムチャクチャなっ――たく! よくわからんが、わかったよっ! おい、嬢ちゃんたち、しっかり掴まってろよ!」
「……はいでしゅ!」
「ピキキ~!」
「ミャァ!」
デールの野太い声のあとに小さな声がして、馬車は南へと急発進していった。
元の姿に戻っていた神獣シロを幌馬車の上に乗せながら。
俺たちも慌てて馬車のあとを追って、南へと駆け出しながらも後方を振り返った。
すべてを飲み込む黒い靄。
触れたものすべてが一瞬にして腐敗しているような気がした。それはまるで瘴気の塊のようだった。
「フレッド様、イリス様!」
猛進してきたエルレオネがイリスよりも早いのではないかと思えるほどの速度で追い付いてくると、
「とにかく南へ!」
叫んで、俺たちを先導するかのように前に出た。
俺とイリスは彼女に従ってどこまでも走っていくが、振り返った視界の先では、黒い鎧を着たヒースが、地面でのたうち回っていたレンディルを肩に担ぐと、西の方へと撤退していった。
「おいっ、バカ、よせ! ぐっ……俺は、俺はまだ……奴を殺していない! 離しやがれ! ゲール! ハワード! どこへ行った!?」
移動しながらヒースが魔法で手当てしている様子が窺えたが、レンディルは半狂乱となって大暴れしていた。
そんな中、黒い巨人は先程まで俺たちがいたところで立ち止まると、腕を伸ばして地面に散乱していた死骸を掴み、口と思しき穴の中へと放り込んでしまった。
「ぎゃあぁぁ~!」
「レンディル様……!」
「まだ死にたくない……!」
「ゲール! ハワード!」
俺たちは数十メートルほど離れた南の畑の中で、ただ成り行きを見守ることしかできなかった。
まだかろうじて息のあった王国の兵らも、黒い靄の巨人に食われてしまった。その中には、俺やレンディルやイリスにとっては幼馴染のゲールやハワードたちもいた。
「離せ! 離しやがれ!」
少し離れたところで同じように様子を窺っていたレンディルたち。
狂ったように叫び続けるレンディルを肩に担ぎ上げるようにしていた黒騎士は、一人だけにや~っと笑っていた。
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