逃げろや逃げろ
「どういう意味だ、それ?」
俺は周囲の様子を窺いながらも、荷台の中央で椅子に座っていたナーシャを一瞥した。
「寝ていたお兄たまの頭をおひざの上において、よだれを垂らしそうな顔でしゅご~く、見ていたでしゅ! そしたら、『もうがまんできない~~!』て、いきなり大きなお声を出したでしゅ! そしたらそしたら、悪い人たちが襲ってきたでしゅ!」
眉毛をキリッとさせて、言ってやった感、満々となるナーシャ。
俺はうんざりして隣をジロッと見つめた。
「おい……」
「だ、だって、しょうがないでしょ! すぐ側においしそうなおやつがあったら、誰だって食べたくなるじゃない?」
「俺はデザートかよっ」
叫びつつも、すかさず、神聖剣をぶん回してトリリエリスを叩き切っていた。もはや八つ当たりである。
「たくっ。あれだけ注意されてたのにこれかよっ」
互いにブツブツ言いながらも、俺たちは次から次へと襲いかかってくる敵に対処していたが、本当にキリがなかった。
目視できる範囲内だけでも、闇の中に光る赤い瞳が二十ぐらいは確認できた。
「おい、おまえらっ。喧嘩してる場合じゃないぞ! このままじゃ囲まれて一巻のおしまいだ!」
前方からデールの怒号が飛んできた。
「わかってるよ!」
「フレッド様! 前方へ来られますか!? まずいことになりました! 前方上空に、敵が大量に集まりつつあります!」
「なんだってっ? 何が起こったっ?」
俺は叫びながらイリスを見た。
「行ってちょうだい。こっちは私一人で十分だから」
「本当に大丈夫か?」
「私を誰だと思っているのよ?」
そう言って、いつものニヤけ顔となる。
「わかった。だが無理はするなよ?」
「えぇ」
見つめる俺を意味深に凝視してきたあとで、
「……全部片がついたらご褒美ちょうだいね?」
うふっと笑って、
「シロ! ぽこちゃんと一緒に何がなんでもナーシャを死守してちょうだい!」
人が変わったように鋭い声を吐き出した。
俺はなんだかなぁと思いつつも、急いで前方へと歩いていく。
(それって、本気で暴れてもいいってこと!?)
「ダメに決まってるでしょっ。もしそんなことしたら、毛をむしってあげるわっ」
(ひどっ。最低! 鬼、悪魔! やっぱり人間なんて、鬼畜以外の何物でもないわ!)
そんな日常会話みたいな台詞を聞きながら、俺は御者台へと顔を覗かせた。
「もう一度状況を説明してくれ」
空いていたデールの左隣の席へと移動する俺。そんな俺に、反対側で敵と対峙していたエルレオネが厳しい顔を向けてきた。
「空です。フレッド様がお休みなっておられる間に峡谷街道も大分進み、あと四半時もすれば空が開けた場所へと出られるといった場所まで来たのですが、眠っていたトリリエリスが一気に目を覚ましてしまい、その大多数が空へと飛翔していってしまったのです」
そう言って彼女は戦斧槍で前方の空を指し示した。
周囲にいた敵は大分数が減っているのか、それとも彼女や彼女が操る炎に恐れをなしたのか、遠巻きに飛んでいて襲ってくる気配が見られなかった。しかし、その反面、大分、木々の間から青空が見え始めており、そこに何か黒い点のようなものが大量に密集しながら蠢いていたのである。
「まさかあれが全部、敵だっていうのか?」
「おそらくな」
目を細めて凝視していた俺に、隣のデールが答えた。
「俺の読みが正しければ、奴らは峡谷の出口で俺たちを待ち伏せしているはずだ」
「なんだって……!?」
「フレッド様、峡谷の出口は一時的に周囲の木々がなくなって開けた場所となるのです。ですので、森の中に潜んでいた敵からの脅威がなくなる代わりに、空を飛んでいる敵からは格好の的になってしまうのです」
「まさか、あの数が一斉に上から襲ってくるってことか?」
「そういうことだ」
静かに告げられた最悪のシナリオ。
もし本当にそんなことになったらひとたまりもない。
奴らは長くて強靭なくちばしを持っているし、二本の足の先には、鋭利で巨大な爪が三本も生えている。
それでつつかれでもしたら、荷台はあっという間に破壊されてしまう。
そうなったら、俺たちは全滅だ。
「しかも、この森に潜む飛行型魔獣はトリリエリスだけじゃないからな」
「え……?」
「奴がいるんだよ。トリリエリスの親玉みたいな超特大の巨鳥がな」
「……おい、まさかそれって……!」
俺は昨夜、念のため確認しておいた魔獣図鑑に載っていた、絶対に遭遇したくない敵を脳裏に思い浮かべていた。
「怪鳥アズライール……」
別名、死の天使。
極彩色の両翼に無数の瞳を宿す化け物。一説によると、頭も無数に存在すると言われているが、真相は藪の中。
なぜなら、目撃した者たちは程なくして皆、命を落とすと言われているからだ。
そのため、情報の信憑性すら疑われているような幻の大型魔獣だった。
「デール。本当に奴なのか? あの大群の中に奴が混ざっているのか?」
「――多分な。俺もこの目で実際に見たことはないが、それに似た奴がこの山に棲みついているという話を耳にしたことがある。しかも――見ろ。あの空を。黒い点のようなものの中に、明らかに他とは違う輝きがあるだろう?」
俺はデールに言われて、もう一度、目を凝らしてトリリエリスらしき大群を見つめた。
「確かに。それっぽいのがいくつかあるけど、だが、あれ、どう考えたって一つじゃないぞ?」
ザッと確認できただけでも三、四は飛んでいるような気がした。
あれがもし本当に死の天使だった場合、生きてこの道を抜けられる気がしなかった。何しろ、奴らの推定ランクはSなのだから。
「だが、やるしかない! 何がなんでもここを抜けて大水道へと突っ込むんだ。あそこへ入れば、奴らは追ってこない!」
「それはそうかもしれないが……」
しかし、逡巡している余裕は今の俺たちにはなかった。
「フレッド様! 間もなく森を抜けます! そこを出たら、左は断崖絶壁、右は岩山となります!」
「マジか!」
くそっ。やるしかないのか!?
俺がそう心臓を鷲掴みにされたような気分となったときだった。
「くっ」
突然、右手の甲にうずくような痛みが走った。
「こんなときに……!」
だが、俺はその痛みによってあることを思いついていた。
「ここは大自然に囲まれた場所だ。もしかしたら全魔力を集中すれば、強大な力を得られるかもしれない……!」
「フレッド? どうしたっ?」
ブツクサ独り言を言い始めた俺に異なものを感じたのか、デールがちらっと俺を見た。
「――デール。今から少し暴れるが、あんたは馬車の操縦に集中してくれ」
「それは構わないが、いったい何をする気だ?」
俺はそれには敢えて応えず、エルレオネを見た。
「俺には魔法を扱う技能は一切宿っていない。だが、精霊たちを操る力だけはなぜか手に入れてしまった。エルレオネ。あんたが使う炎の魔法って、精霊の力は宿っているのか?」
「わかりません。精霊に関しては専門外ですから。ですが、神話によれば、万物には大なり小なり、精霊を生み出すエネルギーが宿っていたと言い伝えられています。ですので……」
「そうか。それだけ聞ければ十分だ」
「何をなさるおつもりですか?」
「決まっている。奴らに精霊の力をぶつけてやるまでだ」
氷結の洞ではよくわからないまま集めた精霊の力が神獣フローズヴィトニルへと作用して彼女を封じることができたが、本来の精霊力の使い方はエンチャントとその力の放出だ。今の俺ではそれが限界である。
しかし、剣に宿した精霊の力がそのままずっと、宿り続けているとは考えられないし、その力を放出できるというのであれば……!
「エルレオネ」
「はい」
「俺が合図を送るまで、武器に炎の魔法を集めて魔力を高めておいてくれ」
「それはいいのですが、そのあとどうするおつもりで?」
俺は額に冷や汗をかきながらニヤッと笑った。
「襲ってきた敵目がけて一気にぶっ放してくれ」
そう発言したときだった。
峡谷の森を抜けて久しぶりに昼の陽光感じる断崖絶壁の旧街道へと躍り出た俺たち。
「キエエェェェーーー!」
それを目ざとく見つけたらしい、天高くに飛んでいたトリリエリスたちが甲高い叫びを上げて、一斉に降下し始めた。
本作に興味を持っていただき、誠にありがとうございます!
とても励みとなりますので、【面白い、続きが気になる】と思ってくださったら是非、『ブクマ登録』や『★★★★★』付けなどしていただけるとありがたいです。




