第十一話 貴族殺し
タイトル詐欺っぽい。
剣に、気力が満ちている。
まるで柄を握る指から根を張るように神経が伸び、切っ先へまで達したようだった。限界まで引き絞った弓弦のように微動だにしない刃が、私の次の動作を待ちわびている。
一点を見据えて五感を次の動作のためだけに集中する。
面に対して刃を立てる。必要な技術はそれだけだ。しかしそれをどんな角度、体制からでも放つには鍛錬が要る。さらに次の段階としてどこに、どのような斬撃を放つかという判断があり、それは実践でしか身につかない。
私の前には誰もおらず、闘技場の、ただ土が踏み固められた広大な空間があるだけだ。しかし、私の見据える先には『誰か』がいる。それは今まで相対してきた相手達だ。
鍛錬として剣を交えた騎士時代の同士。私を恐れ背を向けて逃げ出した兵士。身を投げうつ覚悟で立ちふさがった敵。そして、あのおいぼれ。
全てが重なり、私の前に眼に見えない相手として存在している。瞬きと共に姿を変える相手に対し、己がどう動くべきかを計算し、想像の中で刃を振るう。受けられ、避けられ、逆に斬り返される。
想像の中でも、首筋を掠める風切りの音や骨肉を断つ感触が再現される。今までに私が見てきたすべての刃の軌跡は、身体が変わろうとも魂に刻み付けられている。一筋の切り傷もない乾いた白木のような細腕に力を込め、目の前の相手に飲まれぬように気を張った。
幻想の中の相手に生まれる隙。想像の世界でそれを見出した時、身体が動く。
切り裂かれた空間が閉じるのに一瞬の時間を要するほどに鋭い、上段からの一撃。振り終えた時に、自分がそれを実際に放ったと気付いた。柄を握る手が汗ばんでいる。剣を鞘に戻し、肩から力を抜いた。
「あれ、もう終わりですか?」
柵越しの客席でたった一人の観客となったサファイアが眼を瞬かせた。彼女から見れば、構えたままでずっと棒立ちになっていたと思ったら一度だけ剣を振った、それだけだ。
切るべきものは切った。元の身体なら、それだけで十分としただろう。しかし、今の私は自分が想像するほどに動くことが出来ない。技量はあれど、再現できる筋力がないのだ。
だから私は、再度柄に手をかける。
長剣を抜き、両手で握り、かまえる。
初撃としての上段、そして刃を返す逆袈裟での切り上げ。
振りぬいた先で半円を描くように切っ先を廻し薙ぎに変化し、そのまま柄を引いて刺突。
突き出だした柄を握る左手を引き刃を跳ね上げ、袈裟懸けにつなげる。
振りぬくと、ふっと呼気が漏れる。私が思うよりも一撃が遅く、軽い。連携ではそれが如実に表れ、手の中で暴れる得物を抑えきることが出来ずに太刀筋が揺らぐ。どんなに集中して剣を振ろうと、根本的な問題を解決するには至らない。
悲惨とすら言える無様だ。勘はあっても身体がついて来ないのだ。騎士としての道を歩む間に鍛え続けた身体は、経験を残して消え去り、硝子細工のような繊細なものとなっている。幸い獲物は妙に手になじみ重量に振り回されるほどではないが、それでも数度の素振りに腕が重くなっていた。
一朝一夕で筋力がつくはずもない。小さな手で掴めるような細腕は、鍛えてもどれほどのものになるかは想像すらつかない。昨日からの疲労もあるのか、薄い肩の付け根がじんと熱をもって痛んだ。
鍛錬であっても負担を掛け過ぎれば身体の動きを妨げる疵となる。身体ですら私に急ぐなと静止を掛けているように思えた。情けなさをかみ殺しつつ、鞘に剣を収めた。
その時、どこかから声が飛ぶ。
「みろよ、女の子が剣をもって踊ってやがる」
闘技場の入り口。三人の男子生徒がいる。いずれも貴族のようだった。
「平民の分際で昼間から闘技場を貸切とは、いいご身分だな」
挑発的に唇を上げる生徒たちの腰にも長剣がある。拵えは上物だが、こちらに向かってくる使い手の動きは見て分かるほどの素人だ。囲うように三方を阻まれたが、威圧感の欠片もない。
サファイアが身を縮める気配を感じながら、感情を込めない声で私は言った。
「誰もいなかったから借りた。もう出るところだ」
「遠慮すんなよ。俺たちと一緒に特訓しようぜ」
無遠慮に伸ばされる手は綺麗で、とても剣を持つ者のそれではない。軽く弾いただけで、怯えるようにひっこめられた。
「な、なにしやがる」
「私に触れるな」
多少の殺気を込めて睨み付けると、男子生徒は剣を抜くどころか、一歩後ずさる。主の覇気のなさに、引けた腰に差さる剣が泣いていた。残りの二人は、柄に手をかける。しかし、掛けただけで、握るそぶりがない。
「邪魔をするつもりはない。通してくれ」
近づくだけで、不可視の力に押されたように男子生徒が道を開ける。サファイアの肩に手を置き、無言でついてくるように合図した。
私のわずかな殺気だけで気を飲まれたのか、言葉すら追ってこなかった。闘技場を抜けると、サファイアが胸をなでおろしました。
「ドキドキしました。また、決闘になるのかと」
「斬る価値もない相手だ。構うだけ損をする」
下手に手を出せば、また面倒なことになる。私にしては順当に場を収められたと言っていいだろう。しかし、それでも物足りなさがあった。私に十分な力があれば、こんなに大人しく引き下がることもなかっただろう。
剣一つとっても感じる、本来の自分との乖離が苛立ちとして心の奥を苛んでいる。しかしそれをぶつけられる相手もいない。
他人の恐怖や畏怖、他者の畏れと怯えが心の糧だった。魔力を失い、剣も振れない今の私を、誰が心から恐れるものか。無力な学生を怯えさせたところで、満足感を得られたわけでもない。その程度の相手ですら怯えさせるのが精一杯だという現実を突きつけられるだけだ。
私は敵に飢えているのだ。屈強な相手を蹂躙する時が、自らの力を確信する時が、私が私であるという満足感を最も得ることが出来る瞬間だった。
「まだ時間がありますね。寮に戻ってお昼寝か、ゆっくりとお散歩なんてどうですか?」
私の中の檻に閉じ込められた獣のような飢餓を知らないサファイアが、ゆったりとした声で語りかけてきた。
「そうだな」
焦ろうと、飢えようと、力が戻るわけではない。少女の容の牢獄から出られない以上は、その中で出来ることをするしかない。ただ耐えるべき時も、男にはあると自分に言い聞かせる。
「少し歩くか」
「あ、ちょっと、速いですよ。待ってくださいっ」
気分を他に向けなければ、内にいる獣が暴れ出しそうだった。行く先など決めていないが歩き出すと、サファイアがすがるように追ってくる。
「どこ行くんですか?」
「知らん」
えぇ、と目を丸くすると、元々幼い容姿がさらに子供に近づく。
「歩きたいから歩くだけだ。それくらい自由にしてもいいだろう」
「そういう散歩もいいですね」
何が面白いのか口元を緩めたサファイアが、手近な建物を指さして何の施設かと紹介してくれる。石畳が整備されていて道は歩きやすい。城内では、道の端に寄って頭を下げればいれば貴族とすれ違っても足を止める必要はないとも教えられた。
道の伸びるままに歩を進めていくと、先で道が緩い半円を描いている。特にどこに繋がるでもない、闘技場の裏と表をつなぐ散歩道だったようだ。道理で人通りが少ないわけだった。
「そういえば、下着を買いに行く話をしていたな」
陽の光の下をしばらく歩いて、汗をかいた。首筋に指をいれて風を入れると、胸元を締め付ける着衣を思い出した。そうですね、とうなづいたサファイアが、道の先を指す。
「この道の反対側に門があって、そこを抜けると城下町があるんです。ちょっと今は時間がないけど……休日にゆっくりと買い物も楽しいですよ」
「買い物はいいが、先立つものがない」
服ですら自前のものをもっていない、まさに一文無しだ。収入のあてもない。今の状況では、追い剥ぎをするわけにもいかない。
「街に出れば、日雇いの仕事とかがありますよ。お皿洗ったり、草むしりとか……アンジェラさんなら、モンスターの討伐とかも出来るんじゃないですか?」
「それはいいことを聞いたな」
腕を鈍らせないためにもなるし、金も手に入る。
「探索のフィールドワークとか。そこで見つけた薬草とかを換金する人もいるみたいです」
「何にしても、やりようはあるということだな」
「はい。アンジェラさんとのお買い物、楽しみです」
多幸症かと思うほどに笑みを絶やさない少女のそばにいると、こちらまで毒を抜かれそうになる。釣られて気が緩みかけた時、前から三人組の集団が来て、進行を妨げる。
顔は覚えていなかったが、剣に見覚えがあった。闘技場で出会った三人組だ。
相手は貴族だが、なぜか道の端を進んでくる。ならば、こちらが逆側に避けなければならない。つま先を横に向けると、相手も行く先を阻むように同じ方向へと転進する。
「……なにか用か」
「邪魔だぜ、平民」
再度道を変えようとするが、相手もそれに対応してくる。要するに、先ほどの仕返しをしたい様だ。
「平民ごときが貴族の行く手を阻むなよ」
下卑た笑みで笑う男子生徒に、他の二人も追従して笑みを浮かべた。思わず柄に手を伸ばしそうになるのを堪えて横を向くが、
「おっと、俺はこっちに行きたいんだ」
正面を塞ぐのとは別の生徒に、足を踏み出す前に先回りされた。アンジェラさん、と私の背中に隠れたサファイアが小声でつぶやいて袖をつかむ。怒気を込めた視線でその男子生徒を睨むが、先ほどとは違ってこちらには背後のサファイアがいて、相手は自分たちが数と立場で優位にいると錯覚している。多少の脅しでは効果がなさそうだ。
「子供じみた嫌がらせだな」
「おいおい、勘違いするなよ。俺たちは普通に道をあるいてるだけだ」
「そっちが俺たちの邪魔をしてるんだよ」
「分かったら、向こうにどきな」
最後の男子生徒が指さす先には、水はけをよくするために作られた側溝がある。石畳から流れた水をうけるそこには、湿った泥土が溜まっていた。一瞥して視線を戻すと、それとも、と初めに声を掛けてきた男子生徒が笑みを深める。
「通してくださいってお願いするなら考えないこともないぜ」
「通行料として胸でも揉ませてもらうけどな」
下品な冗談に、三人が笑い、サファイアが袖を強く引く。
「そうか。話は分かった」
あまりのくだらなさに、怒りすら失せた私はサファイアを引きずったまま、ゆっくりと前に進む。自然体で右手を上げた。
そのまま肩を掴むと、掴まれた正面の男子生徒から、疑問の声が漏れた。ぐいと肩を強く引き、さらに半身を廻して相手の靴を蹴り、一気に体勢を崩させる。
「えっ――痛っ!?」
呆けたような悲鳴を残し、身体の重心を動かされた男子生徒が尻を突いて倒れこんだ。瞬間的な体術に対応できず、残る二人は目を白黒させて見守るばかりだった。私はそれに視線もくれずに歩を進める。
「何もないところで転ぶとは不運だな。気を付けるといい」
「おい、ちょっとまてお前! 貴族に逆らいやがって」
一拍遅れて、背後から怒声が飛んだ。しかし、サファイアの頭越しに振り向いた私が睨み付けると、腰を抑えて立ち上がった男子生徒が凍り付く。
「そちらが勝手に転んだだけだ。そうだろう?」
「……うっ、あ」
これ以上仕掛けてくるようなら、剣を抜く。意思を視線に乗せると、それ以上の言葉は飛んでこなかった。サファイアまでもが身を固くしていたところを見ると、今度の脅しはそれなりに迫力があったようだ。ついでとばかりに殺意を乗せて柄に手を伸ばすと、ひっと小さな悲鳴すら上がった。
脅しとしては十分だと判断し、殺意を収める。だが、男子生徒の様子がおかしい。小さな呼吸を最後に、喉が震えて唇が浅く上下してまるで陸揚げされた魚のようになっている。顔面は蒼白だった。糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
「お、おい、ダヴィド!?」
どうした、と残りの二人が男子生徒による。ダヴィドというのが男子生徒の名前らしい。
「アンジェラさん、なにを……」
「私は何もしていないぞ。打ちどころでも悪かったか」
殺意だけで人が死ぬわけがない。胸を押さえて倒れこんだダヴィドに二人の男子生徒がしっかりしろと声を掛けているが、それ以上の対処法は思いつかないようだった。仕方なく私もダヴィドに近づいて様子を窺う。
「く、苦しい、助けて」
瞼の痙攣や眼振がある。浅い呼吸を繰り返しているが、それが胸に流れていないように見える。同様の症状を、何度か見たことがあった。
「上体を起こして抑えていろ。脇をもって支えるんだ」
なに、と聞き返してくる男子生徒にもう一度指示を出すと、素直に応じた。胸を押さえて身体を震わせるダヴィドの口を窪みを作った手のひらで塞ぐ。完全に呼吸を塞がないために、指と指の間に隙間を作った。
「何をするつもりだ?」
「そのまま抑えていろ。単なる過呼吸なら、こうしていれば治る。サファイア、念のために治療の出来る者を連れてこい」
はい、と声を残してサファイアが走る。
「呼吸だけに専念しろ。この症状で死ぬ奴はいない。息を吸って、吐け。もう一度だ」
耳元で声を流すと、手のひらに当たる呼気の回数が徐々に減っていく。症状が収まりつつあるのを感じて、手を離した。激しい運動をした後のようにダヴィドの胸が浅く上下している。握った手のひらには熱があり、首筋の脈も触れる。
「持病があるのか?」
尋ねると、ダヴィドを支える男子生徒は首を横に振った。持病の増悪でなければ、精神的なものによる一時的な過呼吸のようだ。私の脅しが効きすぎた、ということか。同情や謝罪などは浮かばず、情けなさにあきれるばかりだ。
「貴族などと言って偉ぶっても、この程度か」
エミリオやローリエが別格なのか、ダヴィドが格段に愚劣なのかは分からないが、実力ではなく家名が階層を決めるというのはやはり嫌気がさす。
そのことに気を取られ、今回のことがどう伝わるのかまでは、考えが行き届かなかった。
その日中に、編入生アンジェラの名は容赦のない貴族殺しとして知れ渡ってしまった。
次回の投稿は6月26日を予定しています。次は少し長めに、きちんと話を進めて次の区切りが見えるようにします。
6/24 予定どおりの更新はちょっと難しいかも知れません。詳しくは割烹で。




