第十話 嫉妬
こういう部分、苦手です。はやく話を動かしたい。
次の授業は、講堂での王国史だった。
先ほどの教室が小さく見える様な半円形のホールに、無数の生徒たちが思い思いの席を取っている。
せいぜい半分が埋まる程度でも、百人ほどの受講者がいた。流石にその空間では私とサファイアも有象無象に紛れ、あの忌々しい纏わりつく鉄線のような視線を向けられずに済んだ。
漆黒に近い黒髪は珍しいが、それでも視線を巡らせれば濃い色の髪を持つ少女などいくらでもいるし、それ以上に目立つ、長い耳が特徴的なイミセット人や子供ほどの身長のショウ人もいる。
貴族階級はほぼ完全な単一民族で占められているが、平民となると帰化した流民や奴隷として大昔に連れてこられた者の末裔など、外見的特徴で区別できる者もそれなりにいるのだ。当然、半分や四分の一以下でそれらの血を引く者もいる。
「授業はどのあたりまで進んでいる?」
「えっと、確か、前回はナントカ派の反乱が云々とか……すみません、寮に戻れば配られた紙があるんですけど」
しゅんと肩を落とすサファイアは、あまりこの道には明るくないようだ。私も騎士時代に教養として戦史を教えられた程度で、詳しいわけではない。
今回は教科書は用意されておらず、各員に毎回紙面が配布される形式らしい。藁くずや枯葉を材料とする粗末な紙でも、この人数に毎回配布するとなると費用がかさむ。貴族の寄付が必要となるわけだ。
「あー、ええ、では授業を始めます」
時間になると、特に演出などはなく、普通に講堂の入り口から教師が姿を現す。白いローブ姿に白ひげを蓄えた白髪の老人。小柄で目は皺に隠れ、袖から覘く腕も細い。シーアと同じ学園の教諭とは思えない覇気のなさだ。
藁半紙の束を持った平民が、机の間を巡って紙面を廻している。受け取ると、これから行う授業の内容が完結に纏められていた。
紙を配り終えた生徒が席に着くと、授業が始まる。
その内容を、深く語ることはしない。紙に予め纏められていたのだから、それを見ればいい。
淡々と抑揚のない言葉の羅列は、マナを使わずに発動する催眠術だった。もとより知識があるわけでもなく興味も薄い。聞き覚えのない人命や単語が延々と流し込まれることに、私は必死で耐えつつ意味を咀嚼しようとし、どうにか正気を保っていた。
授業時間の半分もたったころには、頭を起こしている生徒は三分の一にも満たなかった。
時折睡魔に心を折られかけてうつむくと、教師が話してある内容がそのまま紙に印字されている。あぁ、と察した。この授業、つまらなさに合わない受講者の数は、配布される紙だけを集めていれば単位習得が出来るからということだろう。
理解と共に安堵が湧きだし、睡魔に加勢する。単調な語調が耳孔に流し込まれ、右から左へと抜けていく。隣でサファイアが船をこぎ始めているが、指摘してやる気力もない。
ふっと一瞬だけ目の前が真っ暗になったかと思うと、教師の話が少し先に飛んでいた。一瞬とはいえ完全に落ちていたようだ。
強力な催眠術に耐え続ける授業時間の終わりは、遥か彼方に感じられた。静かな講堂に老人の独り言のような声がこだましている。小さく寝息の音も聞こえた。
かろうじて意識の連続性を絶やさずに終了の合図の鐘をきいたときは、疲労でその場にひれ伏しそうになった。
「アンジェラさん、私、眠ってませんでしたよねっ?」
「そういうのは涎を拭いてから言え」
真面目さゆえの罪悪感から誤魔化そうとするサファイアに半目で言うと、彼女は出てもいない涎を手の甲で拭い、揶揄われたことに気付いて頬を膨らませた。同時に小さく腹もなって、顔を赤らめる。
「昼食の時間だな」
「そ、そうですね」
座りっぱなしで碌に身体を動かしていないので、空腹感はない。待っているのはどうせ不味い食事だろう。それでも、空腹らしいサファイアに付き合う程度に暇を持て余している。
指輪を見るが、全盛期には赤く燃え滾るような強い輝きがあったところには、残り火のような赤黒い光が落ちるだけだ。しばらくは退屈な学生生活を続ける必要がありそうで、その間はあの貧相な料理にも付き合わなければならない。
昨日とは違い、食堂は身の置き場に困るほどに混雑していた。中心を貴族の列が、両端を平民の列が流れ、端から詰めるように机を埋めていく。席のほとんどは埋まっていて、特に平民の机で肩を狭めて座っているのはウサギ小屋を連想させる。
さすがにこれだけ込み合っていては一々給仕をしていられないのか、平民の食事は端に置かれてそれを持っていくという形式をとられている。行列の大半はそれに並んでいるようだ。私達もそれに混ざり、どうにか木皿を手にすることが出来た。
「食堂はここしかないのか?」
「テラスとラウンジは平民は使えないので、いつもお昼時はこんな感じです」
木皿に盛られた食事は昨日と大差ない。味気ない食材の欠片を思い出すと、多少腹は減っていても食欲はわかない。それでも食わなければならないので、視線を振って空席を探す。
「あ、あそこ、空いてますよ」
サファイアが目ざとく空席を見つけた。机の端で、少しは窮屈せずに済みそうだ。足早に近づき、座席に手をかける。
「あっ……」
隣席から声が上がった。どこかで見覚えのある女子生徒だ。緩く外側に広がって波打つ青みがかった髪を見たのはどこだったかと思い返す前に、サファイアが少女に向かってかるく会釈する。
「カナンさん、ここ、いいですか?」
「ん――いいよ、別に」
サファイアではなく私を見ながら、カナンと言うらしいは首を縦に引く。サファイアが礼を言って腰を落とし、その対面に私も座る。
今日の昼食は小さな丸パンと肉と山菜、野菜を蒸したものだ。木の匙で掬いあげた肉片の味は薄い。無表情に手だけを動かす私に、サファイアは肩をすくめて見せる。
「やっぱり、味、ダメですか?」
「慣れれば気にならないだろうが……どれほどの時間がかかるか分からないな」
私が小さくため息を見せると、サファイアも自分の皿に手を出し、ゆっくりと咀嚼する。
「私は、一日三回も食事が出るだけで満足しちゃいますから。味も気になりませんし」
「孤児院出身だと聞いたが、そんなに困窮しているのか?」
「私のところだけじゃなくて、普通は朝と夕方の二食だと思いますよ。でも、ここより一回の量が多いです」
遠い異国のことを聞いているようだった。平民の普通と貴族の普通には、どうも隔たりがある。周りを見ても、誰一人味に文句などなさそうだ。
それを見ても味が変わるわけでもない。しかし、不味そうにふるまっても、貴族との差を覚えて惨めになるだけだ。機械的に手を動かし、黙々と食事を口に運ぶことにした。
「このあとはどうします? 次の時限は授業入ってないですけど」
「少し、身体を動かしたい。昨日の闘技場は勝手に使えるのか?」
「空いていれば大丈夫だと思いますよ。また、剣を振ったり魔法撃ったりするんですか?」
「魔法はともかく、身体は動かさないと鈍るからな。相手がいれば、なおいいが」
青臭さの残る野菜の芯を噛み砕きながら言うと、サファイアが、あ、と声を上げる。
「なら、アルフさんに頼んだらいいんじゃないですか」
「あの小僧に? 藁束でも切っていたほうが練習になりそうだ」
本心ではないが、矜持から、そんな言葉が口から洩れた。サファイアもそうだが、穢れを知らない真っ直ぐな瞳をした若者に対し、どこか劣等感を抱いてしまう。とくに同じ剣を扱うものとしては、身体が弱まろうと年期が違うという自負がある。
相手の力を認めることが素直に出来ないことを劣等感の裏返しと理解しながらも、それを認めたくはなかった。
ばん、と弾ける様な音がして机が揺れた。
「失礼」
音の方を見ると、顔を向けずに声だけを落として隣席のカナンとかいう女子生徒が木皿をもって立ち上がっている。悋気に似た気配を纏いつつ立ち去る少女を見送ると、サファイアが首を傾ける。
「カナンさん、なにか怒ってたみたい」
「知り合いか?」
「シーア先生の授業にいましたよ。おなじデザイア寮の人です」
見覚えがあるのは、そのせいらしい。
「私はあまりお話しません。でも、他の女の子とか、あと、アルフさんとも仲がいいみたいです。同じ村の出身だとか」
あまり話さないというサファイアが知っているのだから、それなりに知られていることなのだろう。
「幼馴染、か」
それで何となく察しはした。親しい人間の隣でアルフレッドを軽んじる様な発言をすれば、気分を害されるのも当然だ。
「言いたいことがあるなら、言えばいい」
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ」
ひとりごちると、サファイアは小首をかしげるが、解説してやる気はなかった。
カナンがアンジェラ達に背を向けて足早に食堂を出ると、同じデザイア寮の友人、ユリアとハンヴィが待っていた。
「カナン、不機嫌そうだね」
「別に」
「編入生となんかあった?」
カナンが返答代わりに鼻を鳴らすと、ユリアは窺うように食堂に視線を投げる。
「なんか偉そうで気に食わないんだよね。ちょっと魔術や剣術が使えるだけでしょ」
「お前らとは格が違うんだ、って感じ。お高くとまっちゃってさ」
二人と同じ感想を、カナンもアンジェラに対して抱いていた。第一印象は、まだマシだった。作り物かと思うほどに整った顔つきや覇気と自信に溢れるただずまいは近寄りがたいものを覚えさせるが、それが魅力として映っていた。
しかし、口を開くと出てくるのは物騒で傲慢な言葉ばかり。相手を見下しているような感じがするのだ。
極めつけは、アルフレッドがせっかく誘ってくれたというのに、それを無碍に断る無神経さ。カナンにとってアルフレッドは幼馴染で、もっとも身近な男子で、ほとんど家族同然の仲だ。誰にでも公平な態度や剣術の腕から村の皆や友人からも尊敬される彼が、カナンの誇りですらあった。
カナンがもしも同じ立場なら、一も二もなく了承して誘ってくれたことに感謝すらしただろう。だというのに、あのアンジェラという少女は彼の誘いを鼻で笑うようにして一蹴したのだ。そのうえ、アルフレッドは断られてもなお誘い続けていた。
カナンには信じがたく、許しがたいことだった。アンジェラがアルフレッドを下に見ているということも、アルフレッドがそれを許容しているということも。
「あれの、どこがいいんだか」
「ツラじゃない? 男受けしそうな顔してるし。見た目良ければ全て良しってね」
「アルフはそんなヤツじゃない」
小さいが鋭い怒声に、ユリアは肩を震わせた。
「ご、ごめん、別にアルフ君を馬鹿にしてるわけじゃないんだけどさ」
「アイツは単純だから、きっと騙されてる。男子よりも女子の方が性格の悪さとかには敏感だし」
カナンが頬を膨らませると、他の二人も追従する。
「アルフ君も剣術馬鹿っぽいところあるしね。強いって先入観だけで気に入ってるんじゃない。私は見てないけど、貴族とやりあったんでしょ?」
「それだって、なにか汚い手を使ったんじゃない? 色気で誘惑するとか」
「ありそう。リボン外してあけて胸見せてるし。音楽室でちょっと見たけど、あの子たぶん、小さいブラ使って寄せて上げてるよ」
「なにそれカワイソー。そうやって男漁ってるんだ」
「でもさ、なんだっけ、あの地味な子。あの子とずっと一緒にいるよね」
「じゃあ実はソッチの方?」
「私も誘惑されちゃうかも?」
それはない、と大笑いする二人は暢気なものだとカナンは思う。彼女にとっては友人を超えた情を寄せる少年が彼女以外の少女を気に懸けているというのが大問題なのだ。
「とにかく、あいつの本性をどうにかしてアルフに教えないと」
「言えばいいじゃん」
「言っても、証拠がなかったら私が告げ口する嫌な子みたいじゃない」
それでアルフレッドに嫌われては元も子もない。
「じゃあさ、実はそんなに強くないって教えればいいんじゃない?」
「どうやって?」
「決闘でも挑む?」
ハンヴィが言うと、全員が黙り込んだ。
アンジェラが強いかどうかなど、エミリオとの決闘を見ていない三人には分からない。だが、強そうなのは確かなのだ。
三人とも、まだ学園に入って一年しかたたないひよっこでしかない。たとえ三人がかりでも、勝てるかどうか怪しいところだ。
「不意打ちとか……」
「それはダメ。ばれたらアルフに嫌われちゃう」
「あくまで正面からってことね」
「正面から堂々と不意打ち?」
「あんたはなにをいってるのよ」
ともあれ、とカナンは拳を振り上げた。
「あんな子に、アルフは絶対奪わせないんだから!」
次回、6月20日に投稿予定です。




