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第七話 帰りたい理由

 初日に狩りをした、草原と森との境目。少女の姿はそこにあった。

 彼女は気迫の籠った声を上げながら、タクトを振りまわしゴブリン相手に大立ち回りを演じている。革の鎧を朱に染めて、必死の形相でタクトを振るその様子は、さながら鬼神のようだ。一体、何が彼女をここまで追い詰めているのか。僕は恐怖すら感じながらも、彼女に近づいていく。


「ね、ねえ!」


「ん? ……せやァ!!」


 ゴブリンに隙ができた。

 それを見逃さなかった少女のタクトは、ゴブリンの脳天をカチ割り、血が噴出する。初日に見たような光ではない。鮮やかな紅をした液体だ。既に三割ほどにまで減少していたゴブリンのHPバーは一気に減少し、ゼロとなる。濃緑の身体がその場に倒れ、動かなくなった。戦闘終了を知らせるウィンドウが浮かび、少女は戦利品を確認しつつもこちらへ振り返る。


「……なんや、私に用でもあるん?」


「君、プリーストだろ? 一人で飛び出してったからその……危なくないかなって。実際、かなりヤバそうだったし……」


 少女のHPは、この戦いでイエローゾーンに達するまで減っていた。ゴブリンの攻撃はほとんど避けているにも関わらずだ。プリーストというジョブは防御力の非常に低い、いわゆる紙装甲なんて呼ばれるジョブ。もともとソロができるようなジョブではなく、あくまでPTの回復役なのである。一人で積極的に戦うことなんて、それ自体が無謀だ。


「死んだら死んだ時や、しゃあない」


「なんで…………なんでそんなこと言うんだよ!! 君が死んだら、悲しむ人だって居るだろ!!」


「何も知らんのに……わかった様なこと言わんといて」


 少女の眼には僕に対するはっきりとした拒絶が浮いていた。しかし、ここで折れるわけにはいかない。折れたら――彼女は死んでしまう。


「いや、言うよ。目の前で死のうとしてる人間が居るのを、放っておけるわけないじゃないか。僕は命を捨てるような人間が……大っ嫌いなんだ!」


「ふーん……そう。なら、気が済むまで私のことを監視しといたら。死なないように」


 そういうと、少女はまた次のゴブリンへと狙いを定めた。彼女はタクトを振り抜くと、勢いよくゴブリンへと殴りかかる。そしてゴブリンの身体を一発叩くと距離を取り、また一発叩くと距離を取り。棍棒をかわしながら、ヒットアンドアウェイでダメージを稼いでいくその戦法は、スペインの闘牛士のようだった。血に濡れた彼女の身体は、彼らが持つ深紅のマントと重なって見える。


 躍る彼女の姿を、僕はじっと眺めていた。何十分も、何時間も。

 別に彼女に対して強い興味があったからとか、そういうわけではない。さっきも言ったように、ただ命を投げ出そうとしてる人間を見ていられなかっただけだ。この世界ではたくさんの人間が死んでいる。だけどせめて、僕の目の前で死のうとしてる人間くらいは助けたかった。それが姉さんを助けられなかった僕の――ある種の自己満足だとしても。


「……大したもんやな」


 日も暮れかけた頃。傷だらけになった少女は、戦いに一段落つけると感心したようにつぶやいた。その目は少し、僕に呆れているようだった。何だかんだいって、半日ぐらい見てたからなあ……呆れられても仕方ないのかもしれない。


「見てただけだから。それより君の方こそ、身体は大丈夫?」


「大丈夫なわけないやろ。HPはあるけど……震えがする。半日ぶっ続けで戦ってたから、どこかおかしくなってるのかもしれへん」


 少女は乾いた笑みを浮かべた。その目は少し潤んでいて、昇ったばかりの月影を反射して淡く光っている。先ほどまでの剣幕が嘘のように、弱く儚げな表情だった。


「どうして、そこまで戦うのさ」


「…………妹を残してきてる。たった一人だけの家族や」


「そうなんだ……。でも、だからって――」


「妹はな、いつ死んでもおかしくない病気にかかっとる。八年前から急増した原因不明の難病や。でも、VRならリアルで身体が動かせない人間だって自由に動けるやろ? だから――最後の思い出に私と二人でこのゲームをプレイするつもりだったんや」


 何も、言葉が浮かばなかった。僕はただ、彼女の語る話に耳を傾けることしかできない。


「レギオン社がうちにニ台のソリッドギアを送ってくれたときは、ほんとに感動した。話のわかる、ええ人たちなんやなって。でもそれが、まさかこんなことになるなんて。もう、何がどうなってんのか…………」


 ぽたり、ぽたり。

 少女の眼から滴が落ちる。彼女は背中を丸めると、黙ってその場にうずくまってしまう。僕はそんな彼女の肩に、そっと手をかけようとした。しかし少女の細い腕が、僕の腕を振り払う。


「大丈夫。一人で立てる」


 少女はふらふらとしつつも、僕の手を借りることなく立ち上がった。彼女は服の袖で涙をぬぐうと、改めて僕の顔を見据える。その瞳には強い意志の光が宿っていた。命を燃やしてしまうような――強烈な炎の輝きだ。


「妹はあの時、体調悪化でログインしてへんから向こうに居る。薄暗い病室で、いつ死ぬかもわからん身体で私の帰りを待ってるんや。せやから一分一秒でも早く、帰らなあかんねん。死んでからじゃ、手遅れなんや!!!!」


 猛烈な剣幕に、思わず俺はたじろいでしまった。彼女の意志がこちらまで伝わってきて、身体が震えるようだ。だけど――言わなきゃいけない。僕はなけなしの勇気を振り絞る。喉がひりひりとして、焼けてしまいそうだ。


「理由はわかった。けど、それは君が命を粗末にしていい理由にはならないよ! 君が死んだら意味ないじゃないか!!!!」


「そんなことわかっとる!! でも、どうしようもなく怖いんや。現実に戻って病室に行った時、ベッドに妹がおらんのがどうしようもなく怖いんや!! だから、行動せずにはいられへんねん……」


 少女は俺から眼をそらしてしまった。うっうっと口から嗚咽が漏れ聞こえてくる。頬を涙が伝い、顎のあたりから地面に向かって、次々と滴が落ちていく。


「……自分でも、めちゃくちゃなのはわかっとる。昼間も、PTのみんなに無茶させ過ぎてもうたわ。我がままで、自分の都合を優先して――みんなを危険に晒してもうた。ほんま、最低や……」


「君がそれを言うなら、僕だって最低だよ。僕も昔、精神的にきつかったことがあって。その時は……みんなに当たってた」


「責めないんやな」


「僕には責める資格がないから」


 静かな沈黙が流れて行った。黄昏に染まる草原を心地よい風が流れていく。黄金色に輝く草が風になびき、波打った。さわさわと草がこすれる音だけが聞こえる。この草原にはたくさんのモンスターが居るはずなのに、今は彼らの気配が不思議と感じられなかった。まるでこの世界には僕と少女の二人しかいないような、そんな気分だ。けど、それは何故か心地よくて――不思議と悪くない。宿屋で感じていた、陰鬱な孤独感とはまた違った感覚だ。


「……少し、落ちついたわ。ありがとう」


「これからはあんな無茶、しないでよ」


「うん。絶対に生きて現実へ帰る。約束や」


 少女はこちらへ振り返ると、小指を差し出してきた。彼女の顔は満面の笑みを浮かべていた。僕は彼女の細い指に自分の小指を絡ませると、指切りをする。


「そういや、まだ名前を言っとらんかったね。私はキュウ、とりあえずよろしく」


「僕はシュート。こちらこそ、よろしく」


 僕たちは互いに自己紹介をすると、あははと笑みを浮かべた。今までの重い話が嘘のように、気分が軽い。このまま草原に寝転がり、空でも見上げたら気持ちよさそうだ。しかしその時――。


「ウガアアアァ!!!!」


 緋色の巨体が、キュウの背後で咆哮を上げたのであった。

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