三十二 殺戮者②
僕は男に言い返していた。
確かに僕が幸せを奪ってしまった人はいたが、それは峰雄なんかじゃ絶対に無い。
「違います。本当の彼のすべてを奪っていたのは峰雄。彼は名前も奪われて、でも、自分は樺根真として生きていたから峰雄じゃないって言っていた。でもいくつかある養子先の中で、彼が島田を選んでホテル経営の修行をしたいって言った意味が分かりました。彼は家族じゃないけど、家族としていつか橋場に戻りたかったんだ。それなのに、峰雄、いいえ、あなた方が全部台無しにしましたね。」
真から彼のホテルを奪い、自由を奪い、そして、最後にはホテルの客室から突き落としたのだ。
ヨーロッパの祭りで塔から突き落とされる生贄の山羊のように。
「どうしてあいつばかりが救われるんだ?どうしてあいつだけはお父様の言葉に従わないんだろう。そう思わないか?」
「だから殺したのですか?」
「殺したんじゃない。望みをかなえてやったのさ。俺達から抜け出したいって言ったからね。みんなで手と足を持って、それって。同じ釜の飯を食った兄弟のよしみだよ。」
僕は珍しく湧いた激しい憎しみを胸に押し殺した。
僕が孝継に差し出した真は無垢そのものだった。
彼が育った個人経営の孤児院は、経営者が自分の駒を育てる目的で経営していた場所だったからか、彼は一から世間の常識を覚えこませる必要があったのだが、忠誠心はかなり高く、橋場家の愛情を目の当たりにするや全ての忠誠を橋場に捧げたのである。
橋場に育てられながらも、橋場を食い物にしようと考えていた峰雄と違う。
皮肉なことに、普通に愛情込めて育てられた子供の方が、緑丘に囁かれた事実を上手く消化できずに、自分自身を腐らせ歪ませていたのである。
真の失敗は年上の女性に母性を求めた事だ。
彼は少年を一人で抱えるシングルマザーに焦がれ、そしてその女性の愛情を受けることで母性愛までも求めてしまったのだろう。
その女性が彼の元の支配者が送り出した刺客とも気が付かずに。
彼の趣味や嗜好を知っているのだ、簡単に彼はその手に落ちた筈だ。
「真さんが殺されたのは従わなかった子供だったからですか。それまでも失敗した子供は殺されていますね。でも、あなたのお父様が望んでいるのは、子供を拷問して殺すその行為自体だと知ったら、いえ、知っているくせにお父様を見限らないのはなぜですか。」
「ゲームにはね、リスクがつきものなの。だからこそ達成した時の高揚感は素晴らしい。」
「あの可哀想な少年も、あの、あの爆破された建物に塗り込まれていた子供はあなたの弟では無いのですか?」
「うーん。みーんな血が繋がっているからね、弟と言えばそうだね。でもね、失敗した者はそこでお終いで良いじゃない。お父様自らに塗り込められた幸せ者だよ。最後にお父様を喜ばせることは出来たんだ。」
「緑丘譲治はかなりの貢献者じゃないですか。自分の子供をお父様に捧げ、お父様の言うとおりに嘘や偽りをたらし続けた。成功者じゃないのですか?それでも、それでも、あんな死に方だ。あなただってお父様に屠られる運命だ。あなたは家畜なのだから。」
ばしんと僕は強く男に頬を叩かれた。
「あれは峰雄の仕業だよ。あの男の血が憎らしいってね。あの男の血が体に入っていなければ自分は失敗しなかったとね。血抜きのために脱水しちゃうとは思わなかったよ。でも、あれは楽しかった。もう一度やりたいくらい。」
彼は首を伸ばして僕の首筋をなめる振りをした。
「僕は緑丘フジの方法の方がいいです。」
「ハハハ。あっちが!あっちは生きながら焼かれたというのに!体中に灯油を湿らせたタコ糸を巻き付けたんだよ。勿論、ネルのパジャマを着せてあげてね。まるで蝋燭が燃える様に、長ーく長ーく彼女は燃えていたよ。死ぬまでにかなりのたうち回っていたね。ごろごろと転がってさ。酸素がある限り炎は消えないのにねぇ。」
車は急停車し、僕の隣で僕を脅していた男は後ろから回された腕に喉を締め上げられており、右腕は既におかしな方向に肩からぶら下っている。
喉元の腕が少々力を籠めると、その男は意識を失ったのか首を前にがくりと落とした。
「東署の楊警部補です。被疑者を現行犯逮捕しました。事の次第は無線に男が告白したとおりでしょう。この車両には本庁の比嘉巡査を含む三名の遺体も乗っております。このまま相模原東署に帰還いたします。」
運転席の楊は無線を切るとそのままハンドルに置いた腕に頭を乗せ、十数秒そのまま動かなくなったが、体を起こした後は後ろも振り向かずに車を発進させ、そのまま運転に集中しているのか無言を貫いている。
煩いのは警察無線の指示の方だ。
僕は楊の無念さと、ミーアキャットのような笑顔の比嘉刑事の死を想いながら、後ろにいる男の胸にコバンザメのようにぴったりと頭を当てていた。
僕達がぴったりと密着しているのは、彼が殺人者の意識を失わせた後、僕の頭を右腕を回すようにして後ろから自分の胸に押し付けているからである。
しかしその行為は彼が炎から生還した喜びではなく、彼自身の怒りとやるせなさを昇華する行為でしかないのだ。
そして僕は後悔じゃ終わらない罪業を嘆いている。
僕は知っていた。
峰雄と真の存在を橋場でない親族に知らしめれば、緑丘峰雄どころか真までも橋場に留まれないという事を。
だからこそ僕が孝継のために見つけた真は樺根真のまま、橋場の奨学生と言う扱いで横浜の孝継の家に匿われて生活していたのだ。
僕はくだらない嫉妬で真の居場所を奪った殺戮者そのものなのである。




