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三十二 殺戮者①

 かわやなぎの家は長柄の完璧な補強のおかげか家の倒壊を促進せずに無事に家具の搬出作業を終了していたが、補強と作業の足場は撤去作業が危険だという事でそのままに残された。


 その代金は僕が支払うと啖呵を切ったのだから僕が払う。


 お金のない僕が払うのだから良純和尚の立替となるなるはずだ。


 僕は彼にお金を返し続けるためにずっとそばにいるつもりだ。

 それはもうコバンザメのように。

 コバンザメは背中の吸盤でサメにくっついているという。


「コバンザメが死んでもサメは平気だと思っていたら、コバンザメと一緒に深海に沈んでくれました。それなのに、コバンザメはサメに何もできない。サメがいないと何もできない。明日から生きていくことさえできない。」


「あなたは急に何を言い出すの。良純さんも帰ってくるわよ。そうでしょう。」


「僕はあんこと一緒です。かわちゃんが帰ってこないと、あの子は死んでしまうしかないのでしょう。」


 僕は階段の踊り場に置いてある箱を見上げた。

 あんこの母は楊の服の中で冷たくなっていた。

 作業が終了した後も、僕はこの家から立ち去りがたく、誘われるように楊の家の玄関を開けて中に入り、比較的安全な場所に落ち着いて、そこでその死骸を見つけたのだ。


「あなたにその子を渡したあの子は、本当に優しい猫だったのね。」


 母猫は既に冷え切っているどころか死後硬直しており、あんこを僕に渡したあの猫は死んだ母猫からあんこを奪い、あんこを託せる人が来るまで温めて守っていたのだろうと千代子は言った。

 そして死んだ猫の眠る段ボールは楊の服入りで、彼女達は楊から身ぐるみ剥いだ本当の悪女だったもようだと、僕達は楊を哀れんで再び涙を落したのである。


 あの、間抜け野郎と。


 千代子は作業が終了した後も、楊の家から動けない僕に付き添ってくれていた。

 僕達は楊が猫と暮らしていたらしい階段に身を寄せ合うようにして座っており、猫は僕の手の中ではなく、あらゆる物で温めた段ボールの中で蒸されているお饅頭だ。


「僕はあんこを連れ帰りません。だから、だから、かわちゃんが帰って来ないとあの子は死んじゃうんです。かわちゃんは、だから、ぜったいに帰ってきます。」


「そうね。待ちましょう。勝利まさとしは帰ってくるもの。生き物は拾った人間が責任をもって育てなければいけないの。あなたが良純さんに拾われたと言うのであれば、彼はあなたを育てるために帰って来なければいけないのよ。」


 千代子は僕に言い聞かせるというよりも、自分自身を納得させたい口調である。

 彼女は幼い時に弟と母親を亡くしているのだと語ったが、聞きながら彼女の父親が猫を拾っては彼女に育てさせたのは、彼女の辛さを軽減するための足掻きのような気もしていた。

 かわちゃんと似ていて、かわちゃんよりももっと卑怯な嘘つき男。


「あぁ、良かった。玄人君。」


 太くて低い男の声に僕は彼を見上げると、楊よりも年上で、深い二重の目元に大きな黒子のある男が僕に気安そうに微笑んでいた。

 髪形は最近会ったことのある誰かに似ている。


「あら、あなたは?」


「本庁の組織犯罪係の比嘉です。この度の組織的犯罪について彼にも事情を聞かなければいけなくなって。いいかな、玄人君。」


 僕は立ち上がり、彼に従うべく彼の元に歩き出していた。


「玄人君?」


「千代子さん。あんこをお願いします。」


 僕は比嘉と名乗った刑事を見上げ、少々捨て鉢な気持ちになっていたからだろう、僕の望みを彼に伝えてみたのである。


「緑丘峰雄が逮捕でもされたのですか?僕は彼と話がしたい。それはできますか?」


 彼は僕ににっこりと微笑むと、いいよと、軽く了承した。


「では、行ってきます。」


 僕が言葉だけで千代子に振り向かなかったのは、千代子に僕の顔を見せたくなかったからである。

 不安そうな顔も、覚悟を決めた顔だって、これから彼女は僕のことを思い出すたびに後悔するのだろうから、少しでも思い出すよすがを残したくなかったのだ。


 違う。


 僕は良純和尚達と死にたいと望みながらも、望んだ場面を迎えたところで死にたくないと脅えている自分を隠したかったのだ。


 殺されるのは仕方が無い。


 でも、拷問は怖い。


 楊の家の玄関を比嘉と一緒に出てみれば、そこには警察車両の黒塗りで煤塗れのハイエースが僕を連れ去るために停まっていた。

 比嘉は僕を運転席のすぐ後ろのシートに乗せると、自分も乗り込んで僕の隣に座った。

 僕の座るシートの後ろにはもう一列シートがあるはずだが、そこにはブルーシートで覆われた遺体のふくらみがあるだけだ。


「殺したの?僕を殺そうとした子は、同じ顔の人間に殺される人の顔は面白いって言っていた。自分自身を殺すってどんな気持ち?」


 比嘉と名乗った男は嬉しそうな笑い声をあげた。


「大好きな顔に地獄へ連れ去られるのはどんな気持ちかな。ほら、お前もこっちを向いてごらんよ。可愛い獲物じゃないか。」


 運転席の男は僕を振り返り、歪んだ笑みを僕に見せると再び前方に顔を戻した。


「これはね、峰雄の復讐なんだよ。わかるでしょう。彼は君に自分を殺されて別の人間にそれまでのすべてを奪われたんだ。」

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