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十九 三月十一日②

 俺達に声をかけて来たかわやなぎだが、今の彼はあの哀れなガウン姿では無かった。

 けば立ったガウンの代りに新品のダウンコートを羽織っている姿であるのに、ダウンが量販店ものらしい変な光沢のあるもののせいか彼は安っぽく見え、ガウン姿の時の方が良かったと思うほどだ。

 あのガウンは高級ブランド品でもあった。


「一人?」


「いや。」


 彼の目線を追うと、彼から少し離れた場所に、彼と同乗して来たらしき鑑識姿の三人の署員が途方にくれた顔をして固まっているのが見て取れた。


「お前と彼らだけ?」


 しゃがんだままの楊は、大きな目玉をぐるっと回転させた。


「通報に動けるのが署で俺だけだったからさ。刑事課は皆出払っていてね。鑑識だけ出すわけ行かないじゃん。それで鑑識の車に飛び乗って同行したらこの有様。」


「何かあったのですか?」


「お前がわからない?あっちの方なんだけど、適当でいいから見てくれないかな。」


 楊の言葉に玄人くろとは眉を顰め、だが従順にも楊の指示した方向に顔を向けた。

 それから、見えないものを見通そうとするそぶりを見せた。

 つまり、目を瞑っただけであるのだが、彼の両目を瞑った顔は、俺が髙に見せられた遺体写真を思い出させた。

 黄色味を帯びている青あざだらけ玄人が、赤黒い痣まみれの拷問を受けた哀れな少年の死体と重なってしまったのである。


「見なくていい。」


 彼の目を左手でふさぎ、右手を彼の胸に回して自分の方に彼を引き寄せた。


「百目鬼?」


「こいつを使わせるな。俺の法事が明後日の十三日だ。こいつが使えなくなって法事を潰すことになったら許さないからな。」


「過保護だねぇ。」


 楊はクスクス笑いながら立ち上がり、しゃがんだままで膝が痛くなったのか少々親父臭い体を伸ばす運動をしながら俺に近づき、「自殺」と俺の耳に囁いた。


「何?」


「自殺があったらしいんだけど、わかる?大声を上げてホテルの窓から人が飛び降りたらしいって近隣からの通報でね。俺達の管轄だから呼ばれて出向いて見れば、見るな触るな近寄るな、だぜ。本部から。ふざけんなって。死体は本当にあるらしいんだけどね、そこの救急車の隊員が死亡確認したらしいから。」


「お前は見ていないのか?」


「ぜんぜん。それよりも救急隊員に指示した刑事が消えているらしくてさ、そっちも確認が終わるまで俺達全員足止めよ。やってらんね。」


 楊は運動が終わった様子を取り繕いながら、俺から離れて今度はエントランス前の花壇のブロックに腰を掛けた。


「法事の前に縁起でもないな。帰ろうか。」


 しかし、腕の中の玄人がびくともしない。


「どうした?」


 慌てながら彼の目元から左手を外して彼の顔を覗き込めば、彼の顔は蒼白で、人形のように無表情に固まってしまった顔は、ただ涙だけを双眸から流している。


「どうした?」


 彼の口元は震え、声にもならず、言葉も作れない有様で、俺は彼を自分に向けようと右手を少し緩めたとたんに、――なんと彼が走り出したのだ。


「おい!」


 驚いた一瞬の間。


 俺と玄人の間にバンが滑り込んで止まり、走り去った後には玄人の姿が消えていた。


 俺の目の前を猛スピードで走りだしたその車を俺は走って追いかけたが、人間が車に追いつけるわけもなく、折られているナンバープレートを読むこともできず、俺は猛スピードで遠ざかっていくそれを見送るだけしか出来なかったが正しい。


「クロ!ちくしょう、クロ!」


百目鬼とどめき!警察!警察が動くから落ち着け!髙には連絡したから!」

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