十 いい子でいるから①
困った。
僕は迷ったみたいだ。
良純和尚に連れて来られた覚えもないので、襲撃された時に襲撃者に連れ去られて放置されたのだろう。
トラックが突っ込んで来るのは見えたけど、あそこまでして道端に放置とはなんて無駄な事をする人達だろう。
無駄な事をするから人間なのか?
自分の生産性の無い日常を思い浮かべて無駄すぎると笑いが出た。
生産性を求めるのであれば、僕は世界に必要ないどころか害悪だ。
それでも、良純和尚も楊も僕を心配してくれるのだ。
せめて公衆電話が見つかればいいのに。
お金が無くとも発信音さえ確認できれば警察に電話できると、楊が教えてくれたのだ。
「何かあった時にね、自分で対処できる事が増えれば、ちびはもっと自分から自由になって人生を楽しめるでしょ。」
灰色の公衆電話の前で楊は笑う。そして、これだこれと、酔っ払いは受話器を外して僕に手渡した。
「さぁ、耳に当てて発信音を確認するんだ。聞こえるか?命綱は繋がっているかな。そしたらこれに119や110を打ち込むんだ。絶対に助けが来るから心配するな。」
なずなと乙女の居場所はわかっただろうか?
あの子たちは無事だろうか?
そして、本当にここはどこだろう?
そう考え続ければ僕は正常でいられる?
ここが誰もいない世界という、僕が死んだら必ず閉じ込められる世界だったと認めないまま走り続けていられる?
「ぼくは、僕はまだ、死んでいないはず。」
違うと言っているかのように足元にはざわざわと蜘蛛達が纏わりつき、僕が走っている分だけ彼らは長い長い行列を作っていた。
僕は今まで見ない振りをしていたその長い長い列を見渡して、そしてとうとう受け入れたと、がくりと両膝を地面に打ち付けた。
「う、ううう、う、うううう。」
僕は泣く。
ほら。こんなに泣いている僕を抱き締めてあげないと!
「お願い!僕はここなの!かわいそうなの!いい子で、みんなのいい子でいるから!お願いだから僕を見捨てないで!」
僕は真っ暗な空に向かって叫んでいた。
「いつまでも、なんでも、言うことを聞くから!」
どうして皆がスタンガンに拘るのか、僕に教えてくれた人がいた。
髙が僕を殺そうとしたんだよと、僕は子供のような外見の刑事に囁かれたのである。
「でも、もういいの!髙さんは僕をもう殺さない。だから僕はもういいの。可愛がってくれれば僕は誰も恨まない。憎まない。だから、だから、僕を見捨てないで!」
ざわざわざわざわと蜘蛛が一斉に騒めき、なんと、彼らは僕をよじ登り僕を隠し、あぁ、きっと今の僕は真っ黒な靄でできたカマクラにしか見えないだろう。
「なぐさめようとしているの?」
蜘蛛は一斉にざわざわと再び騒めき、僕は蜘蛛を抱き締めようと自分の体を抱き締めた。
その途端に僕を包んでいた全ての蜘蛛が消え去った。
あとに残るのは、僕を囲んで道を作っている蜘蛛だけだ。
僕は消えた蜘蛛達が僕に残した記憶を抱え込もうと、自分を抱く自分の腕に力を込めた。
「君たちは動物の魂だったんだ。だから人が怖いんだね。僕のように。それでも優しくされた記憶が忘れられないから、また裏切られることが怖くても人に縋る。僕みたいに。僕は君達の仲間で、六月六日の朝の六時に生まれた僕は、もしかしたら君達の王様?」
蜘蛛達はそうだというようにざわざわと騒めいた。
「ふふ。かわちゃんに666は獣の数字だってからかわれたもの。本物のオカルト物件なんだから、人と違うのは当り前でしょうって。同じだったらそっちの方が異常でしょうって。それで、良純さんは、虫の居所だとか虫の知らせだとか大昔から言っているんだから、一々騒ぐ方なお前達って、叱るの。そして、僕とかわちゃんに台布巾を投げて、飯の準備を手伝えって。」
僕はそっと蜘蛛達を伺った。
彼らは僕に返事を返せないが、僕に危機を教えてくれたあの夜のように、死んだ一人ぼっちの僕を慰めてくれるだろう。
僕が寂しくないように、奇妙な踊りをして見せたり?
彼らは僕の歩いた分だけ僕の後をついて、こんなにも長い行列を作っているくらいなのだもの。
「あっ。」
僕は立ち上がり、蜘蛛が作った道筋を歩くことにした。
彼らは本当の意味で僕の命綱、だった?
彼らは迷子の僕の後を付け回しているのであれば、そこを辿れば僕は自分の体に戻れるのではないのかと。
そして、それはその通りらしく、とことこと歩く度に蜘蛛はぱっと消えていく。
「君たちは僕に縋るだけじゃなくて、僕を守ってくれていたんだね。」




