十 いい子でいるから②
蜘蛛達の後を追えば僕は家に辿り着ける!
確信できた僕の足取りはだんだんと軽くなり、しかし、暗く空き家ばかりの住宅街にうんざりもし始めた。
永遠にこの道が続くような気がしたのだ。
そんな僕の投げやりに気づいたか、ぱっと、小さな灯りが瞬いた。
目の前には四階建てくらいの見覚えのある小型のハイツ。
そこに一つだけ明かりのついている部屋があった。
「あ、山口さんの部屋だ!」
僕は良純和尚とそこに訪れた時のようにエントランスをくぐって階段を上り、三階まで登ると共有廊下へと飛び出た。
そこから迷うことなく左へ曲がり、一番端の部屋へと走った。
急がないと。
ここが死者の国ならば、彼も家に帰さないと。
僕と一緒ならば、彼は生き返る?
「ああ!」
何かが横から僕の足にぶつかり、僕は彼の部屋のドアの手前で大きく床に全身を打って転がった。
「あぁ、痛ーい。痛ーい。あの世のはずなのに痛ーい。」
涙目になりながら山口のドアを見上げると、ドアは僕をあざ笑うようにギイイと軋む音を立ててゆっくりと外側に開いたのである。
「山口さん?」
戸口から見えたその部屋は僕が以前に訪問した内装ではなく、洒落た一戸建てにありそうなリビングルームが広がり、山口はその部屋にあるソファから上半身を床に垂らして下半身を背もたれと座面に投げ出した格好で意識を失わせている。
「じゅんぺい、くん?」
十二歳くらいの彼は腹を食い破られて、血を垂れ流して息絶えているのだ。
死んだ彼の脇に黒いポールが立っていると思っていたら、それは少しずつ形を歪め、今や肌色の裸の女になっている。
その女は獣のような動きで僕に振り返り、僕に血まみれの口元を見せてニヤついた後、再び山口の遺体へと向き直った。
ドアがバンっと大きな音を立てて閉まった。
「淳平君!」
目の前でドアだったものは四角いベニヤ板でしかなくなり、ハイツの風景もなくなり、僕は真っ暗な道端で転がっているだけとなっていた。
暗いけれども幼い頃に歩いた畔道のような小道であり、あの頃に見た覚えのない黒い木でできた電柱が道端に聳え立っている。
ひゅうひゅうと風が通り抜けるたびに電線が揺れて、電柱までもが軋んでミシミシと耳障りな音を立てている。
「ここは、どこ?」
「お前は痛いのが苦手だものな。だから眠ったままなのか?」
良純和尚の声が聞こえ、すっと頬を撫でてくれた気もした。
僕はその感触を、彼の手を掴みたいと、気が付けば僕は涙を流しなら右の頬に自分の手を添えていた。
自分が触っているだけの自分の頬。
自分が触るだけでは温かみも幸せも感じない。
「嫌だ。僕は彼の傍から離れたくない。まだ。」
ぱっと周囲が明るくなり、見れば黒い電柱についていた外灯が灯ったからであり、そして、その外灯は四角いべニア板をスポットライトのように照らしている。
僕は立ち上がり、ぎゅうと目をつむり、そして体が粉々になる覚悟でその目の前の板に全身をぶつけた。
「いたい!」
「え、生きている?」
「目覚めた?」
僕の目の前は、真っ白だった。
目を開けられないくらいまぶしく、銀色で大きなひまわりのような照明器具が輝いていたのである。
咄嗟に動けない体の代りに目玉を動かして周囲を見渡せば、僕を囲んでいるのはマスクで顔を隠した手術着の大人達。
僕は脅えながら自分の体を見下ろした。
白い浴衣姿で着物に何の乱れもないが、どうして僕は手術台の上に乗っているのだろう。
ばん。
何かを叩く音に、その音へと目線を上に動かしたら、ガラス張りの部屋が手術室の上にあり、そこに楊と良純和尚がいて、ガラスにへばりつくようにして僕を見下ろしていた。
「え?」
驚く僕以上に驚愕している表情をさらしている彼らは、はっと何かに気が付いた顔をすると、ぱっと僕に背中を向け、物凄い勢いで障害物をなぎ倒しながらその部屋を飛び出て行った。
そして、僕が案ずる間もなく、彼らの騒々しい足音が僕のいる手術室へとなだれ込み、僕は手術着姿の敵の手から彼らに救い出されたのである。
良純和尚に抱きしめられ、彼は僕を抱き締めたまま走り、途中で楊へ手渡され、そしてまた彼らは僕を抱えて走りに走った。
気付けば僕は青い空の下で、車に僕を乗せることも忘れて僕を抱き締める二人に挟まれて、僕も彼らを抱き返しながら泣いていた。
彼らがとても臭かったが、ひげが痛かったが、そんな事は大したことはない。
それに、初めて触れた良純和尚の髪の柔らかさにうっとりも出来たのだから。




