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九 決してこの手を離すな①

 玄人くろとは運が悪いが悪運には強いようだ。

 家の中で自動車事故という不運に遭っても、その運転者が目指していた玄人を巻き込んでの自爆の達成からは逃れられたのである。


 運が悪いのはかわやなぎの方だ。

 彼は十年近く心血を注いできた愛車を失ったばかりか、ローンを組んだばかりの家を破壊されたのである。

 彼の愛車はガレージから隣家の敷地まで押し出され、無残にひしゃげた有様だった。

 けれども楊の愛車がクッションとなったお陰か、トラックはガレージの垣根とリビングルームの大窓を破壊はしたが、鼻先を室内に突っ込んだだけで止まった。


 そこで止まらなければ確実に玄人は死んでいただろう。


 そして、仕掛けた者の想定した第二の惨事も起きなかった。


 隣近所の自宅待機中の警察官達が車の突っ込んだ音を聞くや一斉に自宅から飛び出し、トラック運転手の確保と事故処理に動いたのだ。

 よって、「トラック爆発」という惨事に至らなかった。

 トラックにはガソリンタンクが満載されていたと聞く。


 だが、玄人が完全に無事かといえばそんなことは無い。

 玄人はトラックの鼻先に弾かれたソファに全身をぶつけられて、そのまま壁に飛ばされた。

 医者の話では骨折は無いが、脳震盪と全身打撲だ。

 十二日はお前の復活サプライズパーティにしてしまえとからかってやりたいのに、玄人はあれから目覚めない。彼はこん睡状態なのである。


 玄人を襲った実行犯は動機も繋がりも何も語らないらしいが、喋ること自体が出来ない状態でもあるのだから仕方が無いだろう。


 現場に駆け付けた山口によって、犯人は顎を粉砕されたからだ。

 トラックから引き出された男は、部屋着姿の男二人に取り押さえられながらも混乱状態で叫び声をあげて暴れていた。

 そこに山口がゆらりと近づくや、その暴れる男を左足で蹴り上げて完全に黙らせた。

 男は血を吹いて倒れ、倒した本人は大男に一瞥をあたえることなく、周囲の制止を振り払って楊の破壊されたリビングに飛び込んでしまったのである。

 そうして、彼はガラスの破片と埃にまみれた玄人を抱きかかえながら玄関から再び外に出て来るや、玄人を抱きかかえたまま膝から崩れ落ち、彼の体に顔を埋めて泣きわめきはじめたのだ。


 それは俺の記憶の中で無音のスローモーションでしかないが、俺の脳みそが話を聞いて作り上げたものなどではなく、車がリビングに突っ込むところから山口が玄人を助け出すところまで俺は全てを見ていたのである。


 この俺の足が一歩も動かなかった、否、動こうという意志さえ俺の脳みそに湧かなかったのだ。


 俺は棒切れのように立ち尽くす役立たずでしかなかったのである。

 俊明和尚が息絶えたあの日のように。



「畜生。」


 かすり傷もほとんどないが、右の額から目元にかけて青黒くなっている彼の輪郭を、俺は自分に憤る自分を宥める様にそっと指先でなぞった。


「痛いか。お前は痛みに弱いものな。だから目覚めないのか?」


 あざが出来ても美貌に遜色のない玄人と違い、玄人の実父であるはやとは、本当に玄人の父親なのかと問い詰めたくなるほど、彫が深い東北顔の男臭い男であった。

 何度か会って挨拶はしていた継母は、丸みがあるが若い時はそれなりな美人であったろうと窺わせる人好きのする顔つきだ。

 普通よりは整っているであろうが普通の外見でしかない彼等を思い出しながら、俺はどうして彼らを見て玄人が彼らの間の子供であるのか疑問も感じなかったのかと自問し、俺は玄人を武本から与えられてから自分のものとしてしか考えなかったからだと答えを出した。


 思い込みから来る失敗。


 俺はしなければいけなかった行動を取っていなかったばかりに現在の状況を作り、尚且つ指を咥えて眺めているしかないのである。


 今の俺には玄人を守りきれる権利が無いのだ。

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