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七 あいつは、足りない②

 謙虚に自分は愚鈍だと答えたが、葉子はその答えが全く気に入らなかったようだ。

 ぴしっと膝を叩かれた。


「お黙りなさい。あなたは玄人の親戚が犯人だと思う?」


「俺の知っているクロの身内で考えると、無し、ですね。不思議ですが、武本家の親族は外見ではなく、なにか共通しているカラーがあるんですよ。ルールといいますか。クロを元に言えば、賢くて自分が大事、でも大事すぎて自分の趣味に没頭すると周りが見えない。趣味などに拘る割には面倒くさがりなので途中で放り投げる。そんな感じですか。クロに纏わりついていた長柄の裕也は、クロと昔のような付き合い方が再開出来た途端に満足したのか音信不通です。つまり、武本家関係では話に聞いたような殺しはできないでしょう。殺して、それでおしまい。余計な後片付けも、ましてや仕掛けなんてしないでしょう。」


「ひどいわね。では、白波は?」


「白波とは会ったことが無いのでわかりません。」


「そうね。母親が亡くなれば母方とは疎遠になるのは当り前よね。」


「え?母親はいますよ。」


「あら、亡くなっているわよ。知らなかったの?相談役でしょう?」


「俺は名前だけの相談役ですよ。俺にあいつを預けたのが武本家の菩提寺住職の弟でしてね。精神科医のそいつが言うには、ですね、何も知らないであいつを受け入れる人間こそ必要だという事です。事情を知らなければあいつの悩みや苦しみに気づいてやれない上に、慰める事さえできないじゃないですか。ほんっとに、変な事に拘るのは武本ですね。それで、クロの母親のことですが。」


「待って、その前に聞きたいことがあるの。あなたは、あの子の華麗な後ろ盾を知って、これからあの子への対応の仕方が変わるのかしら。」


「変わりますよ。」


「変わるの?普通は変わりませんって答えるものじゃない?」


「そんな嘘をつく意味が分かりませんね。変わるのは当り前じゃないですか。あいつを守る上でね、どれが親族で親族でないか、あるいは親族だからこその視点で、誰が悪意があって無いのかを見極める目安を作れます。」


「目安って。」


「この間横浜市でクロが迷子になった出来事をご存知ですか?楊が誘拐だと大騒ぎしましたが、実際は長柄の家にあいつがトイレを借りに行っていただけの話でした。事前に親族だと知っていれば騒ぐ必要もなかった、という話です。ゲームショーだとクロが家を飛び出した時は、長柄裕也を知っていたから騒がずに彼にフォローを頼めました。次からあいつが消えたらどのドアを叩けばいいか、面倒になったらどこに預ければいいのかは知れたので、少しは気が楽になりましたね。」


「あぁ、そうね。そういう事。面倒になったら、いつでも我が家に預けにいらっしゃい。」


「ありがとうございます。四月からは大学に復学させますから、日中は手が離れて楽になると喜んでいる所です。ですが今は春休みですからね。子育てって本当に大変ですね。」


「えぇ、えぇ。そうよ。大変なのよ。あたしも娘を親に預けまくって楽をしたわ。あんたもいつでもあの子を連れてこの家に遊びに来なさいよ。」


「ありがとうございます。ところで、母親の件ですが。」


 彼女は俺の方に乗り出していた体を元のソファにどさりと落とし、ふぅと小さく息を吐きだしてから俺をじっと見つめ、それから口を開いた。


「玄人は十二歳の時に虐めで殺されかけたのは知っているわね。母親は病院に運ばれた彼に駆け付ける時に事故死したそうよ。彼はその時に記憶喪失になって、だから親族は彼の記憶が戻らないように遠巻きにしているのかしらね。誰もあの子に伝えたくはないでしょう。お母さんが死んだのはあなたが病院に運ばれたからだって。」


 俺は葉子の物言いが親族が真実を伝えない理由を俺に解りやすく説明してきたことから、彼女が俺が玄人へ真実を告げることを望んでいないのだと理解した。

 しかし、理解したからと言ってその通りにする必要はない。


「葉子さん。俺はね、いえ、俺達こそ真実が必要なんですよ。俺も玄人も人の言葉を言葉通りにしか受け取れない。誰も髙があいつに殺意を持っていた事を伝えられない代りとして、あいつが察するようにと、防犯ベルがスタンガンだったとしか伝えない。まぁ、俺だったら殺しに来たなと受け取りますが、あいつは人を殺す事を考えないからこそわからない。僕が勘違いして死にかけたせいで髙さんを苦しめてしまいました、です。あれは、良い子だからじゃないんです。欠けているんですよ。あのままでは自分で自分を殺す。それならば、俺があいつを殺しましょう。あいつが壊れても、俺の手にある限りあいつを一生面倒みますよ。ですから、俺はあいつに真実を伝えます。」


 俺は彼女に一礼をすると、そのまま席から立ち上がった。

 今すぐに実母の死を彼に伝えるつもりはなく、継母が彼が言う通りの彼を苛む存在であると確信したからこそ、彼からそれを取り除くための準備が必要であるからだ。

 彼が壊れれば権利能力を失ったものと見做される。

 俺の手からあいつを奪われては困るのだ。


「待って、まだ待って。」


 俺の袂は葉子の体重がかかり、俺の動きは押しとどめられた。

 彼女は両腕で身を乗り出すようにして俺に縋りつき、彼女の目は俺が世界を壊すかのように脅えている。


「あいつは危険な状態で楊に匿われているのです。そんな時に真実を告げるほど馬鹿ではありませんからご心配なく。」


 彼女は、違う、と声を出さずに口だけ動かした。


「葉子さん?」


「お願い。待って。私にはあの子の言葉が必要なのよ。あの子の力が必要なの。私の夫の骨を、骨を見つけたいの。お願い、お願いだからもう少し待って。その代り、あの子が壊れた時は、壊れなくとも、私はあなたに最大の助力を約束するわ。」


「助力などいりません。ですが、俺にも準備がありますので、まだあいつを壊しませんよ。それに、できるだけ壊さない様に真実を与えたいのが親でしょう。」


 俊明和尚は俺を養子にするときに、俺が完全に父親を切れる方法を取った。

 俺こそなぜ彼の養子話に直ぐに乗らなかったのかと思うが、やはり俺の中で父親の存在が影を落としていたのだろう。

 血の繋がった父親に我が子と見做されない我が身が、俊明和尚にいつか受けいられなくなるはずだと思い込ませる影、だ。

 俊明和尚は俺の実父に繋ぎを取り、俺が養子になった場合の俺の受け取る遺産についてを奴に耳打ちし、奴は俺を許すと、最愛の息子だと、俺に繋ぎを取ってきたのだ。


――お前が別の姓を名乗ろうと、遠くで生きていようと、お前は俺の最愛の息子だ。俺達は親子だ。そうだろう。お前の幸せを一番に考え、彼の意思を継いでおやり。


 あの男の語る言葉がくだらない嘘だと知りながらも、一方では俺の身の内が奴の言葉に一々反応するかのようにざわざわと震え、俺はそんな言葉を実父からかけて貰いたかったのだと終に自分に認め、そしてそんな脆弱な佐藤良純を見限って殺すことに決めたのだ。


 自分自身を屠った俺は、百目鬼俊明の息子、百目鬼良純と生まれ変わったのである。



「あいつの持つ業を全て昇華させねばあいつは無い。」


 呟いた俺の目の前には、燃え燻る黒いコンクリートの塊が聳えていた。

 本日未明に連続放火された建物は、一階にコインランドリー店舗が入っている集合住宅か雑居ビルであった。

 放火犯はドラム型乾燥機にガソリンを含ませた衣類を入れて、洗濯層にはガソリンを満たして稼動させたのだ。


 これらの爆発により建物三棟が全焼し、爆風に巻き込まれたと見られる近隣住人二名の死亡を招いたのが一棟、建物内で住人一名の死亡が確認されたのが一棟、そして、ただ燃えただけが一棟だ。

 その三棟のうち近隣住人を巻き込んで殺した一棟は、昨日の俺の物件の部屋があった建物だった。

 売買契約時に保険の名義変更まで漏れなく処理してくれた浜田不動産に感謝だ。

 保険で焼け太ってしまったと喜びながらも、また警察に疑われるだろうとうんざりもするしかない。


 見慣れた警察車両とブルーシートの情景の中、嗅ぎ慣れない燻した灰の臭いに顔をしかめながら、俺は車を降りて警察官のところに向って歩を進めた。


 やるべきことが山済みであるのに、これから放火の後始末とは面倒なことだ。

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