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五 僕の知っている事、皆が知っていた事、その齟齬④

 思い出さなきゃいけない大事な茶器。

 どこに片付けてしまった記憶なの?


 目を瞑った世界に閉じこもれば、そこは現実でも虚構の中にいるのと同じだと感じた時、僕の足元に囁かなさざめきが起きていると感じた。

 目を瞑っていても、瞑っているからか、僕の足元には黒い蜘蛛がわさわさと絡みつく様が感知できた。

 でも、それらが僕によじ登るなんてしない。

 僕にしがみつきたいのに、彼らは脅えているのだ。


 脅えは、僕に?人に?


 この蜘蛛のように蠢くものについては何なのかは未だによく解らないが、子供の頃から僕は彼らの存在を認めてきた。

 昔は僕の夢の中だけで現れると思い込んでいたが、最近は現実でも彼らが存在しているのだと気が付いた。


 彼らの姿は、蜘蛛の胴体部分を無くして足だけにしたような、蜘蛛のように蠢く黒いものだ。

 厳密には長い足が四本なのだから蜘蛛では無いだろうが、黒い染みが長い足を動かして壁や天井を這いまわるのは蜘蛛みたいだと思ってしまうのだ。

 彼らは部屋を飛び交う事もあるし、部屋の隅にぶくぶくとしている時もあるし、僕の目の前に揺らめいているだけの時もある。

 だから僕が彼等を怖いと思った事は無い。

 彼等が僕に何もしないとなぜだか分るから。


 それに僕が彼らに恐怖を抱かないのは、武本玄人が彼らを知っているからであり、僕がそのことを彼の記憶から読んで知っているからに違いない。


 そうだっけ。

 読み取った記憶があった?

 なんとなく最初から存在を知ってはいなかっただろうか。


 あぁ、まるでたった今、行方を思い出そうとしている茶器のようだ。


 もっと深く探ろうと瞼に力を入れたら、パシンと目の前で手を叩かれ、パッと瞼を開けばそこは青森の家の大広間である。


 僕は縦長の大きな和室で床の間を後ろに殿様のように偉そうに座らされ、僕の目の前には僕が望んだあの素晴らしい茶器セットが置いてある。

 茶器セットを挟んだ向こうでは、時代劇の家来のように僕に深々と頭を下げている人、人、人、だ。

 玄人はゆっくりと大好きな彼らを、今は後頭部しか見えないが、見回して、彼らが望むように高らかと宣言をしたのである。


「僕はこのセットを当主である僕の印とし、武本の家宝の一つに定めることにします。」


 五歳の玄人は子供のくせに裃をつけており、あの日は七五三の祝いというよりは元服式であり、当主宣言であったのだろう。

 祝いとして贈られたあの茶器は、玄人が欲しいと望んだ通りにお爺ちゃん達が作らせたもので、世界で一品の玄人を現す品なのだ。


 数いるお爺ちゃんの中でも、玄人の本当のお祖父ちゃん達。


 父方の武本たけもと蔵人くろうどに、母方の白波しらなみ周吉しゅうきち


「おじいちゃん。」


 呟いた途端にぱっと全てが消えた。

 僕は再び真っ暗な世界に戻ったが、いや、暗い世界に輝きながら彼ら二人が僕の目の前に立っているじゃないか。

 険のある顔立ちに彫が深く眉も濃い東北顔の蔵人に、大蛇が笑ったような印象を受ける公家顔の周吉だ。

 彼らは僕を抱こうと両腕を開く。


「おじいちゃん!」


 僕は彼らの元へと駆け出して、でも、二人いた祖父が一人になり、そして、数多いお爺ちゃんの一人である橋場はしば善之助ぜんのすけと姿を変えた。

 小柄で四角いがっしりした体つきに、鬼瓦のような強面でも愛情豊で優しい人。

 それでも僕は走った。

 橋場の爺ちゃんは大好きな人の一人だ。

 けれど、近づく一歩手前で、僕は整った顔立ちの青年に突き飛ばされた。

 僕よりは確実に年上であり背も高い学生服姿の彼は、床に転んだ僕を上から憎々しげに見下している。


「君は橋場の人ではないでしょう。あれは僕のお父さんだよ。なれなれしい。」


「あなたこそ橋場の人じゃないでしょう。」


「黙れ。」


 かぁっと頬を紅潮したその少年は、転んでいる僕のお腹を踏みつぶそうと蹴りだした。

 僕は自分を守ろうとぎゅうっと体を丸くした。


「くろと!どうした!」


 椅子の上で体を丸めていた僕はその状態のまま良純和尚に抱え込まれており、僕の隣に座っていた坂下も僕の顔を心配そうにのぞき込み、なんていう事、葉子までも僕を心配しておろおろとしているではないか。


「どうした?」


「そうだ。玄人君、大丈夫?いいんだよ、俺はいつだって待てるから。」


「はい。ありがとうございます。でも、ごめんなさい。僕は今すぐかわちゃんに伝えないといけないの。ねぇ、今すぐに、かわちゃんに連絡したいの。今日見つけた死体が誰かわかったって。ねぇ、僕に電話をさせて。」


 かわやなぎに伝えなければ!

 僕は良純和尚の腕のなかから両手を伸ばし、そしてそんな僕の手を掴んだのは坂下だった。

 彼はぐいっと僕の腕を引いて僕を捉えると、真剣な目で僕を再び射貫いたのである。


「玄人君、それは誰なのか俺に言えばいいから。俺が楊に伝える。それは誰かな。」


緑丘みどりおか譲治じょうじです。」


 僕は口にして、この名前こそ坂下も、そして葉子も知っていたらしいと気が付いた。

 彼らの瞳孔が驚きに開いたのである。

 またしても失敗だ。

 こちらは知らないが前提であったのに。


「えっと、それは霊視、というか、幽霊から名前を聞いたの、かな?」


「いいえ。いいえ。知っている人でした。僕はそれしか言えません。」

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