1 パピヨン刺される
内容の中に手術シーン・血の表現などハードな箇所があります。
苦手な方は読まない方がいいです。
パピヨンが刺された後の話。
***
飛行機が通り過ぎた。
俺は立とうとしたが、眩暈がした。
足音がする。
「私を殺した時どんな感じだった?あなた泣いていたわよね。」
俺は声のする方を向いた。あの女は死んだはずなのに・・なぜ?
「身代わりよ。私に変装した女がいたの。誰だと思う?」
まさか・・。
「あなたの奥さん。私に変装して遊んでいたのよ。色んな所に。なぜかしら?」
「私を陥れようとしていたのよ。あなたとの関係を怪しんでね。」
じゃああの写真はなんだ・・。俺は妻の写真を見た。
いや、実際は行方不明・・・失踪したんだ。本当は・・。
間違えるはずがない。俺が・・。
自信がなくなっていく・・。
俺は妻をこの女だと勘違いして殺したのか・・。
「俺を殺せ。それがお前の望みなんだろう」
女は俺に顔を近づけた。長い黒髪。意志のハッキリした眉。目元。
真っ赤なルージュを塗った形の良い唇は冷酷に笑った。
「いいえ。殺さないわ。信じられないかもしれないけど、私はあなたを愛しているの。」
女は俺の顔を両手で挿み、俺の目を覗きこんだ。
女の唇が俺の唇に当たった。
俺は寒気がした。普通ならこんな美人にキスされたなら嬉しいはずだろうが、今の俺は
この女の狂気じみた愛に殺された方がマシなように思えた。
俺は抵抗する力はなかった。体力がどんどん失われてゆく。
寒い・・。
女は唇を離した。
「大丈夫。急所は外したから。でも止血が必要ね。」
女は時計を見た。
「あら、こんな時間。私、約束があるから」
女は俺を残し去っていった。
愛している男を残す気か?
俺は女の後ろ姿に向かって叫んだ。
「あなたは、大丈夫よ。私がいなくても。でも私はあなたが必要なの。また連絡するわ」
女は歩いて行った。
俺は体を起こし、マスクを外した。
パイロットスーツを脱ぎ、背中に当てた。
トランクの中からガーゼ、タオルを出した。
出血している箇所に当てる。
とりあえず止血。急所は外してはいるが、深い。
とんでもない女に俺も惚れられたもんだ。
俺はタクシーの電話番号を探し電話をしてみた。
タクシーは意外に早く来た。
見覚えのある顔だ。俺は痛みを忘れ笑い出しそうになった。
ここでもタクシーの運転手やっているんだ・・。すごいな・・。徹底してる。
「あれ・・・。アンタ。」
「よぉ・・久しぶり」
「エルザがアンタ死んだとかって言っていたけど・・・」
「はははは。まぁ死んだも同然だよ・・・むしろ殺して欲しかった・・。」
「誰にやられたんだ・・・」
「まぁ・・色々とね・・。とりあえず、休める所ないか・・どっか」
「俺の所にくるか。むさくるしい所だけど・・」
「ありがたいよ・・」
「アンタ結構モテるだろう・・モテる男はつらいねぇ」
「モテるとかじゃない・・ある意味そうかもしれないが・・・複雑だ・」
「くーー。悔しいねぇ・・・。俺はエルザに振られたよ・・」
「あの女はやめといた方がいいよ。常に真剣だからアンタに合わない・・」
「何それ・・俺も真剣だよ・・真剣に見えんだろうがね・・やっぱ顔かなぁ」
「男前じゃん・・あの女に見る目がないだけ・・こっちの女の方がいいって」
俺はなぜかこの男をフォローした。いや正直男前だと思うよ。
ただなぁ・・。光が当たり過ぎている。いや色黒はそうだけどね・・。明るすぎる。
スペインの女あたりの方がいいかもしれない。アドバイスするべきか・・。よけいなお世話だろう・・。
タクシーはこの男の家へと向かった。そういえばこの男の名前を知らなかった。
「今更だけど、名前なんだったけ・・あんまり話す機会がなかったから」
「ハシモトっていうんだ。俺。あんたは・・。」
「パピヨンとでも呼んでくれ。もう名前はないんだ。」
「冗談かと思ったけど、そうなんだ。パピヨンね。名前変えたら?」
「まぁ・・面倒なんでいいわ。」
「OK。じゃぁ・・宜しく・・今更だけどな。」
タクシーはモンパルナスから離れた所の郊外の小さな家の前で止まった。
ハシモトは俺を抱えバスルームにつれて行った。
それからイスをもってきて俺を座らせた。
なにやら点滴も持ってきた。点滴官をつけ、アルコールで俺の腕を消毒した。
点滴の針を刺し絆創膏で固定した。点滴の量を調節した。
血圧を測る・・少し低下気味だ・・。
ハシモトは俺の腕をアルコールで消毒しエピネフリンを少量注射した。
俺の瞳孔をチェックした。
慣れているな・・。
シャツを鋏で切り裂いた。
「だれ・・やったの・・」
「ははは・・幽霊」
「ほぉ・・・幽霊からもモテるとはねぇ・・」
ハシモトはゆっくりナイフを抜いた。血が出てきた。ハシモトは急いで止血する。
ガーゼで押さえる。
「どんな幽霊だい?」
「はは・・思い出したくない・・」
「なるほどね・・・」
ハシモトはゆっくりガーゼをとった。出血がおちついたか・・。
ハシモトは背中を縫合しているようだ。なんか体が麻痺しているのか不思議だ。エピネフリンのせいか。
ハシモトは俺の前に立つと胸元をチェックした。
胸もとは浅かった。
「日頃の鍛錬がいいせいかこっちはいいね」
あの女なりに加減したのだろう・・。
ハシモトは俺の体全体をサラシのような物で巻いた。
「とりあえず、これくらいかな・・。本当は病院に行った方がいいんだけどね」
「ありがとう・・」
ハシモトは俺の血圧を測った。もう一度エピネフリンを打った。
熱を測る。
イスはローラがついていたので、ハシモトはイスを押しながら俺を寝室に運んだ。ベッドシーツの上に
ブルーシートをかぶせた。俺をそこへ寝かした。
ベッドの明かり近くにフックをかけ点滴をかけた。
ハシモトは俺のズボンのベルトを外した。俺の靴下、ズボンを脱がせ、ラクなジャージを履かせた。
「ありがとう。あとは自分でやるよ。エピネフリンがあればいいんだけど」
「OK。ここに置いておくから」
ハシモトはベッド近くに救急箱を置いた。
「俺、ちょっと用事があっていかなければならないんだ・・・。今日は帰れないんだ。悪い。知り合いに医者がいるから来てもらうか?」
「いいよ・・・。そんな。」
「そいつの電話番号ここに置いておくから。もし具合悪くなったらコイツに電話して」
「ありがとう」
ハシモトは部屋から出て行った。
俺はその後、眠った。
深夜、一人の男が俺の前に座っていてびっくりした。
「大丈夫。ハシモトの友達だから」
この人が医者なのか・・・。なんか若いなぁ・・。
俺は腕から点滴をしていた。
少し回復した気がする。
医者の男はまだ研修生らしかった。
まぁ・・いいか。
俺をベッドに座らせて体の状態を見た。
背中・・胸・・・
「まぁ・・いいか」
同じことを言ったので、俺は笑った。
この医者の卵も笑った。
「あとは安静しておけばいいよ。とりあえず点滴やってね。自分でできる?」
「ああ・・わかる」
「じゃぁ・・俺は行くよ。」
男が俺に近づいてきた・・・。何をするんだ・・。
男は頬を俺に摺り寄せてきた。俺は急に目が覚めた。
「何をするんだ・・」
俺は、男を突き飛ばした。
「痛い・・それだけ力があれば十分だ・・。じゃね」
男は笑って出て行った。
そうか・・こっちの挨拶か・・しかし初対面のわりに馴れ馴れしいな・・。
老人ならまだわかるが、若者でもやるのか・・・。イヤ・・たぶん。
俺は、結構、男にモテるのかもしれない・・。
女だからこの程度で済んだかもしれないが、男なら次は死ぬなぁ・・。
しかしあの男の行為のおかげですっかり、目が覚めた。エピネフリンよりも効くような気がする。
俺は少し元気が出てきたので部屋の中を見て回ることにした。
カメラ・盗聴器はないようだ・・・。元気になった途端一番にやることがこういうことなんて
我ながら、呆れる。しかし、少し安心した。
安心したのと同時に小腹が空いた。
俺は冷蔵庫を開けた。
ヒュウ・・・。冷蔵庫には豪華な食材で満タンだった。
結構いい暮らししてる・・。まぁこういう生活もいいかもな・・。
俺は冷蔵庫の中からチーズとワイン・ハム・卵などを出した。
ムール貝はあったが、魚介類を食べる心境ではなかった。
かといって肉を食べたいとも思わなかった。
俺はトランクの中からタバコを出した。いけないんだろうがね・・。
一本口にくわえ火をつける。
タマゴをボールにわり、塩を入れ泡立てる。
オリーブオイルをフライパンにひき、タマゴを流しこんだ。
それからハムを入れた。
チーズを削り、火を止める直前にふりかける。
フライパンに蓋をし、俺はタバコを持った。
フゥーと息を吐いた。
少し落ち着いた気がする。
ワインをグラスに注ぎ、タバコを咥えた。
皿を出し、フライパンから即席オープンオムレツを出した。
仕上げにオレガノを振った。
俺は皿とワイングラスを持ってソファーの所に行った。
ソファーは立派なものだった。高いんじゃね。・・
俺はテーブルの上の灰皿に自分のタバコを置いた。
テレビがある。俺はテレビのスィッチを入れた。
なんだろう・・事故か。
俺はオープンオムレツを食べながらニュースを見た。
飛行機の事故だ。俺はワインを飲みながら飛行機を思い出していた。
俺は何か、胸騒ぎがした。もしかして・・・
飛行機はシャルルドゴールからイギリスに行く便だった。
飛行機は上空で、謎の爆発をおこし大破した。
爆発?・・・爆弾か?
いつだ・・いつ・・・俺は他のチャンネルも見た。
あの時間・・・。あの女が予定があるとかで、いなくなった時間じゃないのか?
俺は次の瞬間すべてを失った気がした。
搭乗リストに落合由美の名があった。
エルザ・・。
正解なんてどこにもないんだ。
選ぶしか・・。
俺はどうして、いつもこうなんだ。
俺はテレビを壊したい衝動に駆られたが、人の家だったことに気づきその場に崩れた。
あの女か・・どうしてエルザを。
電話が鳴った。
俺は電話を取った。
「どう・・?感想は?」
「なぜなんだ・・どうしてあいつを」
「あんな子になんで私のパスポートなんか渡したのよ。」
「お前は死んでいるんだもう・・。それに」
「あなたもね・・」
「そうだ。」
「もうやめにしましょう。もういいのよ。」
「そうだな・・・会えるか?」
「ええ。今、ここにいるのよ。」
「え・・」
女は玄関の扉を開けて入ってきた。
「やっと、二人きりになったわね」
女は俺に近づいてきた。
「そうだな・・・」
女は俺に抱きついた。
俺は女にキスをした。
俺は女をソファに押し倒した。
女は抵抗しなかった。
唇を押し付けワンピースの裾をまくりあげた。
女は抵抗しない。
俺は女の顔を見つめ、女の口を手でふさいだ。
女は暴れ出した。
俺は、強く手でふさいだ。
やがて女は力が抜け、そのまま動かなくなった。
俺は、ワインを飲み、冷めたオープンオムレツを食べた。
涙が落ちた。なんで泣いているんだ。
この女の死か?それともエルザの死か?
俺も狂ってきたのかもしれない。死体を横に酒を飲んでいる。
この女のせいだ。・・・この女と会わなければ・・・。
落ち着け。このままではマズイ。ハシモトは今夜は帰らないとは言っていたが・・。
俺は食器を片づけた。
寝室に入り、救急箱からエピネフリンを出した。これから大仕事だ。今の俺は体力がない。
ベットシーツを探した。
女を裸にし、使用していないベットシーツにくるんだ。
服は後で処分しよう。
ガレージに行った。ガレージには車が3台あった。
ほぉー。とりあえず、シトロエンを借りるか。
俺は車のトランクを開け女の死体を詰めた。
部屋に戻り、女の居た痕跡を消した。
その後俺は田舎道を走った。ここは川が多い。
さらに山道を走った。
立ち入り禁止の地域があった。俺は車を停めエピネフリンを打った。
林を通り、穴を掘った。今回は仕方なかった。川では発見されやすい・・。
女の死体を入れた。
土をかけた。ふぅ・・・。
俺は来た道を帰る。
道を走りながらこれからの事を考えた。
もう・・・俺にはなにもない。しいて言えばエルザが生きていることを願うだけだ。
俺はあの運転手の家に戻った。
家に戻ると俺は洗車をした。
トランクの中からシャツを出し着替え、救急箱から注射器とエピネフリンと
医者の卵が置いて行った点滴を持ち、車に入れた。
庭に穴を掘り、自分の服と女の服を燃やし土をかけた。
トランクから小切手をだし、シトロエン分の金額を書いた。
とりあえず、購入させてくれ・・とメモを残した。
---
俺は車を走らせた。どこへ行こうか。
とにかく色々あり過ぎた。少し休みたい。エルザの事も調べたいが、自分の体もまだ本調子でない。
何より、精神的にダメージが大きすぎる。人を殺しておいてなんだが。
車のフロントガラスに雨が当たった。俺は車を路肩に止めた。
俺はトランクから絆創膏・点滴官・点滴を出した。
俺は点滴をフックでつるし、官をセットし、シートを倒した。
絆創膏を予め切っておき、アルコールを出し腕を消毒し点滴官を刺し絆創膏で固定した。
看護師にでもなるか・・・。
車の窓の外を見る。雲行きは怪しい。俺の人生みたいだ・・車の中を見た。地図があった。
あの運転手は普段から地図を見ていたんだな・・。俺は地図を取り出しパラパラめくった。
地図には駅・地下鉄入口・空港など交通路線に丸印がついていた。なるほどな・・
お客を降ろしたら、次はこの付近に待機をして次の客を待つのか。
何気なく見ていると、駅や空港以外にも丸印が書かれている。なんだろうか。
なるほど、ホテルか。客の動きを読んでいるんだ。プロだなぁ。
俺は感心しながら笑った。タクシーか・・。
いい商売かもしれない。
俺は地図をパラパラめくった。
あえてパリは外すか。なんとなくね。
海辺を見たくなった。そうだな西に行くのもいいかもしれない。
ナント・レンヌ・ブレストあたりだ。
俺はとりあえずナントに向かうことにした。まぁ、ゆっくり行こう。
雨は降り続いている。観光には向かない。しかし、今の俺にはピッタリだった。
ラジオをつけた。
飛行機の事故について何やら言っている。進展はないようだ。
俺はラジオのチャンネルを切り替えた。ジャズが流れている。
雨のせいだろうか車通りが少ない。この分だと早くナントにつきそうだ。
****
ナントに着いた。
俺は駅周辺の駐車場に車を停めた。
雨は上がっていたが、路面は濡れている。俺は車から降り近くのカフェに入った。
カフェに客はまばらだった。
俺はコーヒーを注文した。
ポケットからタバコを出し火をつけた。
窓際から外が見える。落ち着いた感じの店だ。古くからあるのだろう。店内のテーブルや時計からそう感じた。
店内はうるさくない程度の音楽が流れている。
コーヒーが運ばれてきた。
女主人と思えるその女性は俺に今夜泊まらないかと聞いてきた。俺は唐突に話す女に驚いた。
なんでも部屋が空いているらしい。なかなか借り手が見つからないとぼやいた。
なるほど・・。確かに階下が騒がしければそうだろう。
それに場所柄朝も早くから営業するだろうし、ゆっくり寝ていたいと思うのならもう少し静かな所を選ぶだろう。
俺は店の雰囲気を改めて見、まぁいいかと思った。
それにこれから宿探しというのも少々億劫だった。今日は色々あった・・・。
とりあえず、俺は女主人に1週間だけと言った。エルザの1件もあったし、もう少し調べたいと思ったからだ。
女主人は少しガッカリした顔をしたが、わずかな金でもありがたいと思ったのか鍵を俺に渡した。
前払い条件で。と付け加えた。
俺はコーヒー代と一緒に部屋代を女主人に渡した。
女主人は部屋を案内した。俺も部屋を見てから決めても良かったのにと少し後悔したが、
眺めは良かった。やや騒がしい印象もあるが気にならない。
それに俺の場合は早く出発することが多い。
暖房も効くし、お湯の出もいい。こじんまりとしたベッドがあった。
まぁ当座はこれくらいでもいいだろう。
女主人は洗濯物があったら自由にランドリーを使っていいと言った。
なるほど、意外に融通が利くところもあるか。
ご飯は朝食はサービスするわと付け加えた。
へぇ・・・。結構ありがたいな。
俺はお礼をいい、世話になると言った。
女主人は階下へ降りて行った。
俺はとりあえず、トランクの中の服をクローゼットにかけた。
それから早速ランドリーにシャツや下着を入れた。
これで身軽になったな。もともと身軽だが・・。
俺は改めて思った。服少ないな。いや俺の場合は捨てる場合が多いからだ。
俺は苦笑いした。街に行って買い出しにでも行ってくるか。
俺は宿の心配がなくなったのでとりあえず、街をぶらつくことにした。
扉に細工をして部屋の鍵をかけた。
階下に降りて行き、女主人に出かけてくると言った。
女主人は俺に名刺を渡した。店の名前、女の名前、電話番号が書いてあった。
なんかあったら連絡して。
女の名前はマリーと言った。
気が利くな。フランスの女はみんなこうなのか・・。
まぁ商売がら色んなヤツを見てきているからなのだろうが・・。
俺は名刺をポケットにしまった。
外に出ると、冷たい風が吹いてきた。
街を歩く。それだけでとりあえず今夜はいい。
この地域は坂が多い。なんとなくそう感じた。
古い映画館があった。この映画館は古い映画を安い金額で上映している。
映画館に俺は入った。
支配人と見える主人が立っていた。かなり高齢の夫婦でやっているようだ。
ご主人の方はスーツを着てピシッとした姿勢で立っていた。
立派だな。
俺はそう思った。
主人は俺を見るとにこやかに笑った。
日本の映画もありますよ・・。日本の映画では北野武のHANABIが上映されていた。
ほほう・・・。気難しいフランス人でも日本の文化に寛容なところもあるんだ。
あとキッズリターンもやっていた。タケシのファンなのか?
俺はキッズリターンを見ることにした。
久しぶりの映画にわくわくした。それもフランスで観ることになるなんて想像もつかなかったが。
館内には意外に人が多かった。結構日本びいきなのかもしれない。
彼らはフランス語の字幕を見るのだろうが、俺はネイティブだ。結構な優越感だな・・。
映画が始まった。
マナーが良い・・。これも少し意外だった。ポップコーンを食べるわけでもなく、真剣に観てる。
特に期待はしていなかったが、いい作品だった。
なんだろうか。少なからず俺は感動していた。こんな状態の俺でも感動することができた。
特に、俺たちこれで終わっちゃったのかな・・と自転車に乗ってるシーンがあった。
バカヤローまだ始まっちゃいねぇよ!
この言葉に俺は少なからず感動した。そうか。
そう考えることもできる・・。俺の場合は終わりに近いが・・・。新たな始まりだと思えばいいのか。
あたりが明るくなった。俺は少し涙ぐんでいたので、若干恥ずかしかった。
俺が下を向いていると、後ろの席の男が通り過がりに、肩にポンと
手を置いた。男は俺に親指を立て、いい映画だったな・・と言って去って行った。
俺はその男にああと言い。同じように親指を立てた。
男は俺に近づいてきた。あ、忘れていた。結構そっちの人が多いんだっけ・・。
俺は身構えたが、向こうはフレンドリーに飲みに行かないかと誘ってきた。
俺たちはそこから近くのバーに入った。
店内は暗くカウンターの周りが明るくなっていた。
ジャズの生演奏か俺はビールを注文した。
男の方もビールを注文した。男は俺の顔をジッと見た。
俺の顔のヤケドの傷を見てソレどうしたのと聞いた。
まさか、爆発でヤケドともいえないので適当に笑ってごまかした。
男はアンタ仕事しているのかと聞いてきた。
なるほど、俺は学生には見えない。かと言って旅行者にも思えなかったのだろう。
外国に行っても人の興味と言うものはさほど変わらない。
人の質問もまた似たようなもんだ。
俺はこの前までパイロットやっていたと言った。
実際俺はパイロットだった。あのパスポートもちろん俺ではないが、俺に良く似た男の物だ。
まぁ同僚だったが、ある日仕事を突然辞めたのだった。
そのまま、失踪したのかどうかは分からない。それほど親しくもなかったが、ある日俺にパスポートをくれたのだった。
あいつは死ぬ気だったのかどうかは分からない。
俺の周りには、何等かの暗い悩みを持つ人間がよく集まってきた。
そして大抵姿を消した。
ということでパスポートを持っている。しかしなぁ・・・。
相手の男はスゴイと言った。
飛行機は持っているのかと聞いた。
飛行機は借り物が多いと言うと相手は大笑いした。
俺たちは意外に話が合った。
帰りに相手の男は名刺を俺に渡した。
ジョン・フランク
名前だけ書いてあった。
不思議な名刺だな・・電話番号もメルアドもない。
ジョンは連絡先が特に決まっていないようだった。
住所不定か・・。ある意味俺と同じだが、現地では珍しいんじゃないか・・。てか怪しいが。
ジョンは笑った。
俺は文屋なんだ。だからあちこち行くから特定した所に住まないんだ。
だからと言っておかしい。コイツ。何かあるぞ。
俺は気にせず、ありがとうといい、店を出ようとした。
ジョンは後姿の俺に向かい
明日もこの時間にこの店にいる。良かったら来てくれと言った。
俺は後ろを見ずに手を振った。通りすがりの相手だ。お互い。
しかし文屋という言葉が気になった。ライターならあの事件をどう思うだろうか?
俺は質問を投げたい衝動に駆られたが、その話をするには俺の情報もある程度ジョンに話さなければならない。
もっとも俺を信じるのならの話だが。しかし、俺は人を殺している。当然文屋ならある程度情報分析するだろう。
俺は色々と話したい所はあったが、この男とはもう会わないでおこうと思った。
俺は、借りているカフェの2Fの部屋に帰ることにした。霧雨のような雨が降っている。石畳が濡れ街の明かりに反射している。すっかり遅くなってしまった。俺は霧雨の中、走った。そういえばまだメシ食べていないな。
突然の出来事ですっかり胃袋が麻痺してしまったようで腹は減っていないが体力が落ちてきたような気がする。
カフェの前に来た。カフェはまだ明かりがついている。
深夜もやるんだ。
俺は店のドアを開いた。女主人は帰ったのかいない。変わりに若い男が店番をしていた。
やぁ。。アンタはえーとヤノさん?
そんな事を言った。俺はそうだと言った。
男はニコっと笑って宜しくと手を差し出した。
宜しく。俺は無愛想に言った。
なんだろう。この国は男が優しいと思った。もしかしてコイツ。
俺はさり気なくこの男を見た。
男は少し赤くなった。
ほほう・・・そうなんだ。俺は素早く手を放した。
モテるんだ俺・・・。まぁ・・・いいか。
俺は席に座った。男は自分の前の席に座った。
「なんか飲む?」
「いや。なんか飯あるか?なんでもいい。色々あって食べていないんだ」
「OK。なんか作るよ」
男は冷蔵庫の中からムール貝を出した。軽く洗い髭を取った
手早くニンニク、エシャロットをみじん切りにしていく。鍋にバターを入れ
ニンニク・エシャロットを炒めた。いい匂いがしてきた。その後ムール貝を入れ白ワインをかけて蓋をした。
その間フランスパンを薄く切り、軽くトーストした。
程よくしたところで皿にムール貝を取り出しパセリを散らした。
付け合せにパンの薄切りを添えて俺の所み持ってきた。
「どうぞ。飲み物はどうする?」
「ありがとう・・白ワインがいいかな」
「OK」
男はグラスを2つ持ってきた。
俺の前に座るとワインを開け、俺と自分の分についだ。
「ヤノさん。俺はショーンって言うんだ。宜しく」
「ショーン。ありがとう。宜しく」
俺はこの好青年にグラスを向い合せ互いに上げた。
ショーンは一杯だけワインを飲むとすぐ持ち場に行った。
まじめなヤツなんだな。手早く料理をし、片づけ、必要に応じて客の談話にも対応する。
フランス人は議論好きとかいうし、それなりにこの仕事も大変な部分もあるだろう。
年齢は20代学生だろうか。まぁ詮索はしない。俺も詮索されても困るし。
ムール貝を食べる。この形は今一つ好きになれないが、味は旨い。
特に料理しなくてもこの貝は旨いが。アサリに酒蒸しのムール貝バージョンといったところか。
上手いな。アイツ。メニューを見た。メニューにこの料理はなかった。
ということはアイツオリジナルと言うことか。
俺は白ワインを飲んだ。赤ワインと違い、何とも儚く感じる。
その味が、今日の一日に合うような気がした。
窓辺を見た。霧雨はまだ止まない。
俺は料理の皿とグラスをショーンの方に持っていた。
ショーンはありがとうといい、皿を受け取った。
俺はサイフを出し、金を払おうとした。
ショーンは、マリーに頼まれていたからいいと言った。
俺はショーンの胸ポケットに金を入れた。
「ショーン。美味かった。ありがとう。」
「ヤノさん。ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
中々の好青年ではないか。
俺は白ワインにやられたのか少し酔っぱらったようだ。珍しい・・・年をとったのかな。
俺は階段を上がっていった。
俺はドアを開けようとした。
鍵はしまっていたが、誰かがドアを開けた痕跡があった。
あの女主人だろうか。俺は身構えてドアを開けた。
別段変わった風はない。カメラ・盗聴などもとりあえず調べたが変わった様子もない。
洗面所・シャワーの排水溝・トイレのタンクなどを調べた。
お湯が継続的に出るかチェックした。
問題ない・・。
俺は裸になりシャワーを浴びた。シャワーを浴びながら今日あったことを整理した。
一日が目まぐるしく過ぎた。
ただエルザの死がよく分からない。本当に彼女は死んだのか。
あの飛行機に乗っていたとしたなら、間違いなく死んでいる。
乗っていたなら。アイツは乗ったのか・・。
一度調べてみるか。ほぼ絶望に近い情報のなさから調べるのは妻に続いて2回目だ。
どうも俺は女運がないらしい。
タオルで体を拭いた。背中が痛い。痛み止めを飲むか。俺はトランクの中から痛み止めを出した。
タクシーの運転手今頃どうしているだろうか。
俺は痛み止めを飲んだ。一度医者に診てもらった方がいいかもしれないかな。
場所が場所だけに少し不安になった。海外の医療は少し面倒なところがある。
俺は髪をタオルで拭いた。下着をつけ顔の状態を見た。
顔のヤケドは少し薄くなった。顎の部分に少し残っている。
俺は顔に薬を塗った。髪をドライヤーで乾かした。髪が伸びたようだな・・。明日床屋にでも行ってくるか。
トランクから歯ブラシを出し歯を磨いた。芸能人は歯が命・・・。芸能人でもないがね。
ナントの夜は更けていく。階下の音も静まった。
俺は明かりを消し目を閉じた。