第八十五話 少しだけ見せた本気
「ゼェゼェ……」
仰向けになり両手を広げながら、俺には指先一つ動かす力も残ってはいなかった。
呼吸するのも辛く、過呼吸を起こすんじゃないかってぐらいギレッドの模擬戦闘は激しかった。
俺とブリュットはギレッドに、半強制的に観客席から闘技場へと連れ出されたはずなだが……
命の危険を感じたブリュットは早々に俺を置いて、逃げ出してしまったのだ。
ずるい奴だ……
セルビアが裸足で逃げ出したい気持ちが今にしてよくわかった。
先生と生徒の間の時……
ギレッドは、こんなにも厳しくはなかった。
ある程度、像が蟻を踏み潰さないように優しく触れる感じに手加減と言うものをしてくれていた。
だが、今は違う……
手加減なしの待ったなし。
これは一度体験してしまえば、確かに裸足で逃げ出したくなるのも頷ける。
最も逃げられる確率はかなり低そうなんだけどね……
「おい、ルーク情けない……もうおしまいか?」
そんな俺に対して、見下ろしながらギレッドは話しかけてきた。
「はぁはぁ」
黙って呼吸を整えるのに専念していると、ギレッドの拳が顔面に振り下ろされてきた。
地面に減り込む拳を、間一髪避ける。
「なんじゃ? まだ動けるじゃないか?」
「……」
“かっ勘弁してくれ…”
「所でのぉ〜ルーク。儂は新しい技発明したのじゃが、試し撃ちしても良いか?」
「!!」
俺の答えを聞く前にギレッドは、既にその新しい技という奴の構えをし始めているギレッド。
それに対し、俺は逃げた……
“そんなの、命がいくつあっても足りないよぉぉぉぉぉぉ!!”
「……ったく情けないのぉ」
ギレッドは逃げ出す俺の背中を見つめながら、そう呟いていた。
俺はマーシャルのいる司令官室へと逃げ込んだ。
「はぁはぁ……」
「あらあら、ルーク坊ゃじゃない? どうかしまして?」
「はぁはぁ……ふぅ……」
呼吸を整えた後、俺は愚痴った。
「マーシャルさん、ギレッド先生どうにかして下さいよ!?」
「……と言いますと?」
「あんなの命が、幾らあっても足りませんよ」
「あらあら……ルーク坊ゃもセルビアと同じ事を言えるようになったの」
マーシャルは笑顔で俺にそう言ってきた。
「そう思えるようになったと言う事は、それだけルーク坊ゃが成長したと言う証よ」
「はぁはぁ……納得出来ませんよ。そんな理屈……」
「あらあら、それは困ったわ」
「でも、ギレッド殿模擬戦闘を逃げ出さずに耐え切った者は、今まで以上の力を引き出せる事が出来るわよ」
「そりゃそうでしょうね。はぁはぁ……命がけですもの」
「セルビアを超えてみせなさい、ルーク坊ゃ」
「えっ!?」
それ以降マーシャルは何も語る事はなかった。
「みぃ〜つぅ〜けぇたぁ〜!」
「!?」
後ろを振り返るとそこには、ギレッドがいた。
「どっどっどっ……どうしてここに!?」
「ふわっははははははっ!! お前の行く所なんぞ、大体想像出来るわ!!」
ギレッドの手は容赦なく俺の襟首を掴み取り、抵抗は無意味だった。
「ひっひぃっ!!」
「ルーク、まだ終わってはおらんぞ!」
再び俺はギレッドに連れられるがまま、闘技場でみっちり二時間模擬戦闘を堪能するはめになった……
そして、それは連日続いた。
毎日のようにギレッドは楽しそうに俺を叩きのめし、満足していく。
まるで、いじめっ子が弱い者をいじめて優越感に浸る。
……そんな感覚だった。
“シクシク……ロールライトに帰りたい”
何て事を思いながら、更に日にちは過ぎ去って行くのであった。
「所で、マーシャルさん」
ギレッドの模擬戦闘から何とか逃げ出した俺は見つかるとわかっていながらも、再び司令官室へと赴いていた。
「何かしら?」
「ラッセルにいた奴隷の人たちどうなったんですか? 俺、何も知らされていないんですけど……」
「あっ……」
説明するの忘れていた。と言わんばかりのマーシャルは、気まずそうな顔になった。
「忘れていたんですか?」
「そっそっそ……そんな事はないわよ。今説明しようかと思っていた所よ」
慌てふためきながらも、マーシャルは教えてくれた。
ラッセル解放後の事を……
「ーーと言う事よ」
一通りの説明を聞き終え、俺は良かったと思った。
風の街サイクロンは奴隷たちを受け入れてくれる。
ここで再会を果たしたヴェイグ・ノルン。
あれから一度も出会う事はなかったが、彼もまた風の街サイクロンに旅立ったんだと思う。
でも、一応聞いてみようと思った。
「マーシャルさん、ヴェイグ・ノルンって言う人物、風の街サイクロンに行ったかどうかわかりますか?」
「ん〜ちょっと待ってね」
マーシャルはリストを取り出し、調べだしてくれた。
会ってどうするとか? そういう事は考えてはいないが、ヴェイグは俺が奴隷の時からずっとここにいた。
だから、責めて今からでも幸せな生活を送ってほしい。
そう思ってマーシャルに聞いてみたのだが……
「ん〜ルーク坊ゃ、奴隷リストにヴェイグ・ノルンって名前ないわよ?」
「えっ!?」
“どっどう言う事だ……”
「知り合いなのかしら?」
「俺が奴隷時代の時に、知り合った者で……最近ラッセルの酒場で再会したんですけど……」
「ん〜リスト漏れしているかも知れないから、調べておくわね」
「はい、よろしくお願いします」
マーシャルは調べてくれると言った。
だが、結局ヴェイグの足取りを掴む事は出来なかった。
“どこに行ったのだろうか? 無事だといいのだけど……”
◆◇◆◇◆
今日はブリュットが、ガーゼベルトに出発する日だった。
アーツハンターになるべく手続きが、終了したのである。
「マーシャルさん、色々とお世話になりました」
「いえいえ、立派なアーツハンターになってラッセルに戻って来て下さいね」
「はい、必ず……」
奴隷たちの中に、ラッセルに留まりたいと言う者がいる以上、無理矢理彼らを風の街サイクロンに連れて行く事をマーシャルはしなかった。
考えに考え抜いた結果、マーシャルは決めたのだ。
ラッセルも、風の街サイクロンと同じような街にしたいと。
だが、それには条件があって……
ラッセルは、アーツハンターの訓練施設として使う事。
責任者はアーツハンターである。
とか……
まぁ、俺には難しい話しだったのであまり覚えてはいない。
そして責任者にブリュットを……とマーシャルは推薦したのであった。
ブリュットはその話をマーシャルから聞いた時、暫く沈黙したのちに了承したと話していた。
“奴隷の気持ちが、一番わかるアーツハンターか……”
「ガーゼベルトについたら先ず私の家に行って下さい。ルーク坊ゃの幼馴染に話ししてありますので……」
「はい、わかりました」
“あぁ……そういやヴァルディアはAランクアーツハンターだもんな……”
「では……」
そう言いブリュットは、馬車に乗りガーゼベルトへと出発したのであった。
馬車が見えなくなるまで見送った俺は、ギレッドに捕まる前に逃げたそうと思った。
だがその考え自体が甘かった……
マーシャルの後をついて行くと、そこにはギレッドがいて……
無理矢理、闘技場に連れて行かれるのであった。
「さて、ルーク」
「はい……?」
「結論は出たか?」
「何がですか?」
「決まっておる、メシュガロスに行くか行かないかじゃ」
「……」
ギレッドに聞かれなくとも答えは、既に出ていた。
確かにメシュガロスは、嫌な思い出がある場所……
それは、変わらない。
ラッセルだって俺は来たくはなかったが、自分の意思で来る事を決意した。
その結果、ブリュットと言うアーツ使いにも会えた。
不死鳥と言う置土産ももらった。
“裏切らないか、ドキドキだけどな”
更には、ずっと会いたく報告したかった男、ギレッドにも俺は会えた。
これはロールライトに居れば出来なかった事。
ラッセルに来たから出来た事なのだ。
ならば、メシュガロスにも何かが俺を待っている筈だ。
何が起こるのかは俺にはわからない。
でも、ギレッドはドランゴと戦うと言った。
ドランゴとギレッド……
どちらも俺には歯が立たない者たちが、真剣にまさに命を掛けて戦うのだ。
それだけで俺は、メシュガロスに行く価値はあると思う。
勝者なぞ俺にはわからないし、想像も出来ない。
でも、その戦いだけはこの目に焼き付けておきたい。
ただそれだけだった。
動機が不順と言って却下されるかもしれないけど、それでも俺は行きたいと思った。
「……で? どうするんじゃ?」
「俺はメシュガロスに行こうと思います」
「ほぉ〜」
「ルーク坊ゃ?」
マーシャルは俺は行かないと言うと思っていたのだろう。
そりゃそうだよな、俺はあそこで死ぬ直前まで追い詰められていたんだからな。
「理由は?」
全てを見透かしているかのようにギレッドは俺に理由を聞いてきた。
「ドランゴとギレッド先生の戦いを間近で、そしてこの目で……見たいからです」
「……不順だな」
“俺もそう思う。でもこれは俺も本心なのだ”
「ダメですか?」
「……儂とドランゴの戦いを見るには、それなりの覚悟がいるじゃろ」
「と言いますと?」
「本気で戦えばそれだけ、当然余波と言うものも生まれるじゃろうて。ルークお前にその余波を耐え切り見守り続けるだけの力は備わっておるのか?」
「……」
確かにギレッドの言うとおりだ。
目の前で二人の戦いを見る以上、俺にも激しい衝突の余波は容赦なく襲いかかって来る。
ゾクゾクッ……
想像しただけで背筋が凍ってしまった。
「備わっていなくとも、俺は見たいです!!」
「それじゃ儂が本気をだせんではないか」
“あっそっか……”
「お前が死なないように儂が気を使わんといけなくなるではないか。ドランゴの力……身を持って知っている筈じゃ」
「くっ……」
“確かにドランゴは強い。ギレッド先生の言う通り、本気でやらなければ勝つ事など……”
「どうするのですか?」
「そうじゃのぉ〜」
マーシャルの問いにギレッドは、俺を見つめながら試そうとして来た。
「取り敢えず、お前の本気を見てから判断するかの……」
「えっ!?」
「まだ、一度も儂はお前の本気と戦ってはおらんからのぉ」
そう言ってギレッドは衝撃のアーツを発動し始めた。
「むんっ!!」
“まっまじですか!?”
「儂がお前に気を使わなくと大丈夫と言う証。見せてみろ」
待ったなしの気合と共に、ギレッドから放たれる衝撃波は俺に襲いかかる。
それを、黒のアーツで展開する事で衝撃波を消し去る。
消し去ったと言うのに、衝撃が全身を駆け巡った。
「いってぇ〜」
だが、黒のアーツでなんとか防ぐ事が出来た。
黒のアーツを見つめながら、なんとかなりそうだの思っていると、不死鳥が……
そう、黒のアーツの一部となっている不死鳥が自分を使えと言っているように見えた。
「……」
“本当に信頼してもいいのかな?”
疑問に思いながらも、不死鳥に意識を向けるながら発動してみると、左手に黒炎が出来上がっていく……
“なっ……何これ!!”
わからなかったがとりあえずギレッドなら、なんとかするだろうと思って放ってみた。
すると……
黒炎は、ギレッドが展開していた衝撃波を突き抜け蛇のようにギレッドの足元に纏わり付き始めている。
「……」
“……消し去らないで、取り敢えず焼き尽くせ?”
これまた適当に念じてみた。
念じると黒炎はそれに従うように、ギレッドの身体を燃やし始める。
「うぉっ、あちっ!!」
堪らず燃えていた服を、ギレッドは投げ捨てたのであった。
投げ捨てられた服は、綺麗に燃えカスになって行く……
「ふむ、ルークよ。今何をしたのじゃ?」
「ブリュットの置土産を使って見ました……」
「ほぉぉ〜それは面白い力だが、要検討のようだな」
「見たいですね……」
「儂を本気にさせてみよ!」
ギレッドは、再び衝撃波を纏った拳を力任せに振り回し俺を殴り倒そうとしてくる。
空気を切り裂くようなギレッドの拳は、俺には当たらず空振りして行く。
ここ連日ずっとギレッドと、模擬戦闘をしていたお陰なのだろうか?
最初は怖いと思い竦んでいた足も、今は全く竦む事もなくギレッドの拳を楽々と避ける事が出来るていた。
そして、隙をついて反撃……
そう、手を出す事が出来たのだ。
すごい進歩だと思う!!
だが俺はギレッドに、ギロリと睨まれてしまった。
“こっ……怖いってば!!”
「おいっ、なんじゃそのへなこちょパンチは!! 儂はそんなパンチ教えた覚えはないぞ!!」
「……だって、本気で殴ったら黒のアーツがーー」
「儂が黒のアーツで消え去るとでも思っておるのか!?」
ギレッドは最後まで俺の言葉を聞かずに、ぶち切れた。
“こっこれはヤバイかも!?”
「……ひぃぃ」
鬼の形相に睨まれて、俺の顔は引きつり思わず後退りしてしまった。
穴があったら、隠れたい気分だ。
「仮にここで、儂が消え去るぐらいまでに黒のアーツを高める事が出来るのなら、ドランゴも消し去る事だろうて!」
「そんな無理ですよ? あいつには、竜の闘気って言う奴で全く効かなかったんですから!?」
「知っておるわい。だから儂も闘気を手に入れた」
「えっ!?」
「だから、儂を消滅させる事が出来れば、闘気を超える力を手に入れたと言えるじゃろうな」
「……」
その言葉に、俺の迷いは消え失せた。
全力でギレッドを消し去ろうと思った。
ギレッドから繰り出す拳を幾度も避け続け、俺も何度も攻撃を加えた。
だが、ギレッドが消え去る事はなかった……
まだ、俺は闘気を超える力を手に入れる事は出来ていないようだ……
「……ふむ、強くなったなルーク」
「えっ!?」
“ギレッド先生が俺の事を褒めた!?”
それだけで緊張の糸が切れるには、十分な理由だったと思う。
「これが、儂がお前に教えてやれる最後の模擬戦闘かもしれん。ちゃんと目に焼き付けておけ」
「!?」
ギレッドの姿が一瞬ブレた。
そう思った次の瞬間、俺の視界を捉えていたのはギレッドの姿ではなく地面だった。
“あれっ? なんで地面が目の前にあるの?”
ピキピキと全身の骨が砕けるのではなく、割れるような音がしてきた。
「ぁっ……」
呻き声にも近い声を上げてしまったが、俺の骨は割れなかった。
「はぁ……全く、無茶しすぎですわ」
マーシャルは、ギレッドの顔を見ながら俺に月光のアーツを発動しながら窘めてくれていた。
「なんじゃ? 儂はちょっとだけ本気出しただけじゃぞ」
「……っ」
マーシャルの月光のアーツのお陰で全身複雑骨折の再起不能に陥るのを間一髪免れはしたが、今だに声も出せない程の衝撃が俺を襲っていた。
更に俺はどうやって倒されたのか? それすらもわからなかった。
ギレッドは痛みに耐えている俺を見降ろし、月光のアーツを発動中のマーシャルへと目線を移し話しかけていた。
「マーシャル殿……」
「はい?」
「ここを出発するのはいつじゃ?」
「十日後を予定しております」
「ふむ、ギリギリじゃな。ルーク、出発するまでの間に儂がお前に闘気を叩き込んでやる!」
「……っぁ!?」
俺の意識が朦朧とする中、ギレッドは叫んだ。
「会得出来なければ、メシュガロスには連れて行かん!!」
“闘気……? 俺も闘気を覚える事が出来るの……?”
ギレッドの去り行く後ろ姿を見ながら、力を振り絞るかのように言った。
「よ……よろしく……お願いします」
と……




