第七十二話 ラッセルへ
一人馬車に揺られながら、俺は空を見上げていた。
実際の所、ラッセルには嫌な記憶しか残ってはいない。
奴隷として強制労働の日々……
狭い空間に入れられ、粗末だった食事……
同じ人間なのに人間として扱わられない待遇……
メシュガロスもそうだが、あんな場所二度と足を踏み入れたくないと思っていた。
でも、俺は今……アーツハンターとしてラッセルに向かっている。
◆◇◆◇◆
話は少し遡るのだが、俺がラッセルに向かう事になった事の発端は、『未読破の本を読め』とアルディスに言われ、読み続ける事……五日。
ようやくアルディスのお許しが出た時だった。
セルビアにマーシャルが呼んでいるから後から、支部長室まで来てと言われたのであった。
マーシャルならここ数日、家で何度も顔を合わせていた。
日常的な会話から、最近の世界情勢……
アーツバスターの動向……
秘密にされていない部分だけ、引きこもり期間中の俺にマーシャルは話ししてくれた。
そして、その中で一番驚いたのはヴァルディアの話しだった。
『ヴァルディアがAランクアーツハンターになった』
と聞いた時は、流石ヴァルディア!! と思う一方……
俺を置いてどんどん先に進んで行く、ヴァルディアに羨ましいとさえ思ってしまっていた。
後悔はしていないが、俺もヴァルディアと同様にガーゼベルトに残り最前線で戦っていれば今頃俺も……
と思ってしまう自分がいた。
最前線に行けばそれだけで、Cランクアーツハンターになれるだが、俺はその道を拒んだ。
そして、そう思う度に自分に言い聞かせていた。
『何の為に、俺はロールライトで生活をしたいと言った?
俺はセルビアに少しでも恩返しをしたい……ただそれだけだろう』
と、自分の気持ちを再認識させていた。
話を戻そう……
マーシャルが呼んでいるから支部長室までと言われた時、家でもいいのでは? とも思った。
だが、家ではなくアーツハンター支部と聞いた時、すぐにこれはアーツハンターとしてだな。というのがわかった。
執事のパトレルのアーツハンター支部に行くことを告げ、俺は青く澄み切った空を見上げていた。
「いいなぁ……ヴァルディア」
ボソリ……と本音がこぼれる。
“俺も負けないぞ!!”
と思いながら気を取り直しアーツハンター支部へと向かう事にしたのであった。
アーツハンター支部に着くと、まず先に俺はダークに出会った。
「よぉ〜お仕置期間は終わったのか?」
「あっあの……その……」
ダークは、貴族でもあるフォンの称号を自ら捨てる事により、暗黒湿原を封印した事について責任を取る。
詮索はしないように、とそう言って他の貴族たちをダークは黙らせたのだ。
俺のせいでダークは、ウォルト卿と言う盟主の一族にはいられなくなってしまった。
なぜ、そんな事で……
アルディスにダークの事を聞いた時、俺は反論した。
だが、そうしなければならない大人の事情っというのが働いたらしい。
大人の事情って……
俺には益々納得出来なかった。
それでも俺はアルディスに、食ってかかったのだがめっちゃ怒られた。
「お前に何か出来るのか!? 何も出来ないのなら口を出すな!
悔しかったら、力をつけろ! もうこれは決定事項だ、受け入れろ!!」
とアルディスに有無を言わさぬ物入りに何も言えず、自分の非力さに泣きそうになっていた。
ダークとは、ほんの数時間の付き合いだった。
なのになぜ、ダークが俺の為にそこまでする必要がある?
しかし、それを聞いた所でアルディスの言うとおり、何を言っても聞いても無駄な事……
もう全て終わった事を蒸し返す事は俺には出来なかった。
謝って済むのなら、俺は幾らでも謝りたい。だが、謝って済む問題ではない。と言う事も理解していた。
だから、俺は……
ダークと再会した時、何も言えなかった。頭を下げる事しか出来なかった……
すると……
俺の肩をポンっと叩き『気にするな』と言い何処かへ行ってしまったのだ。
“ごめんなさい……”
ダークの後ろ姿を見ながら心の中で謝っていた。
ふぅ〜と深呼吸を整え、踵を返し支部長室へと向かう事にしたのである。
支部長室に入ると、セルビア、アルディス、そしてマーシャルが俺を待っていた。
「セルビア支部長、マーシャル殿……ルークが来ました」
アルディスがこのような他人行儀気味に会話をする事は、家では絶対行わない事だ。
幾らセルビアと一緒に住んでいるとは言え、支部長とFランクアーツハンターとの間の礼儀は弁えなければならないらしい。
まぁ、俺がこうして堂々と支部長室に来ること事態、例外だとは思うが……
「ルーク坊ゃ、ラッセルに行って……」
マーシャルは、これだけ俺に告げた。
「ラッセルって……あのラッセルですか?」
「えぇ……」
短く答えるマーシャルに、ラッセルでの嫌な記憶が再び俺を襲いかかる。
忘れていたと思っていた。
思い出さないようにしていたのかもしれない。
だが、マーシャルの言葉に今はもう別なものになっているはずなのに、背中の奥の方が無性にムズムズとしてきたのだ。
「……」
あそこは、俺にとっていい思い出はない場所だ……
うつ向きながら俺は、黙ってしまったのだ。
「やはり、無理よ。マーシャル……」
俺の顔を見ながらセルビアは、マーシャルに話しかけていた。
「ルーク坊ゃにとってラッセルは嫌なものだと言うのはわかっているわ。でもねセルビア、何度も言うようだけど『ラッセル』解放作戦はもう決まった事なの。中止も延期もないわ」
「……」
マーシャルの言葉にセルビアは言葉を紡ぎ、今度は俺が顔を上げていた。
「……『ラッセル』解放作戦?」
「えぇ」
「ラッセルに赴いて俺は一体何をすれば……??」
「具体的な内容は、ルーク坊ゃが行くと決めてもらわない限り話す事は出来ないわ」
「俺は……」
「ルークちゃんの思いのままに決めなさい」
「……思いのまま」
セルビアの言う通り思いのままに言えば、行きたくない……
でも解放作戦という事は、あそこにいる奴隷の皆を救い出す事が出来る可能性も……
今も尚過酷な労働を強いられているのだとしたら皆、逃げ出したい筈だ……
しかし、その後皆に行く宛はあるのだろうか……?
「マーシャルさん、解放作戦の終了後に奴隷の人たちはどうなるのですか?」
「それには、心配いらないわ。我々幹部は解放された人々に対して生活する場所を提供するわ」
「……それは、何処ですか?」
「『風の街サイクロン』よ」
「……」
懐かしい名前だった。『風の街サイクロン』は、確かにドランゴが一時期侵略していたお陰で貴族社会ではなくなった。
そしてアーツハンターたちの手に戻った今も尚、貴族社会がない自由な街だ。
俺の背中の烙印が今もあったとしたら、俺はロールライトにはいない。
きっと『風の街サイクロン』にいたと思う。
「『風の街サイクロン』……懐かしいですね。今もあの時と変わっていないのですね?」
「ええっ貴族たちはいないし、誰も虐げる者はしない、いい街よ」
「……」
ラッセルが解放された時、奴隷たちの事をきちんと考えてくれているのならば俺があれでもない、これでもないっと言ってマーシャルを困らせる必要はないのかもしれない。
マーシャルは俺を支部長室に呼び、この話をしてくれている。
家ではないのだ。
一人のアーツハンターとして、俺はマーシャルの要請に受けるべき事なのだと思う……
それに、アーツハンターになった時、今でも鮮明に覚えているアルディスの長い説明の中に『我々アーツハンターは緊急招集がかかった場合、いかなる理由を持ってしてもその要請に我々は従わなければならない』とあった。
マーシャルは、俺が断ればこれを切り札に使う事だろう。
ならば、俺の導き出す答えは当然一つしかなかった。
「マーシャルさん、俺……」
「……」
「ラッセルに行きます」
その言葉に、マーシャルは面目なさそうに頷いていた。
「ありがとう、ルーク坊ゃ」
「……」
マーシャルは俺の決意を受け止め、出発の手続きをしてくると言いセルビアに頭を下げた後に、支部長室を出て行った。
残された俺とセルビア、そしてアルディスの中に沈黙が流れる……
セルビアやアルディスも何も言わなかった。
いつもなら断るごとに口やかましく言ってくるというのに……
それが返って二人を、怒らせたのかな? と決めた後にして、不安に思ってしまう自分がいたのである。
しかし、ラッセルに行くと決まれば大急ぎで出発の準備を、しなければならなかった。
なんでも俺の役目は、アーツハンターの本隊が到着する前にラッセルに侵入しなければならないらしい。
その本隊が到着するのは、後二週間後との事だ。
今からロールライトを出発して、ラッセルに到着するまでに約十二日かかる。
……となれば、今すぐにでも出発しなければならないのであった。
俺が五日間、本を読みふけっていなければもっとゆとりを持って出発出来たというのに……
まぁ、こればかりは自業自得である。
「セルビアさん……ごめんなさい」
支部長室を出る前に俺はセルビアに謝った。
セルビアは最後まで俺が、ラッセルに行く事に対して反対していた。
声には出さなくとも……
血は繋がった親子じゃなくとも……
セルビアの顔を見ればすぐにわかった。
常に俺の事を、第一に考えてくれているのはセルビアだけだから……
セルビアは俺と目を合わせてはくれなかった。
だが、冷たく支部長セルビアとしての答えが返って来た。
「……別にルークちゃんがアーツハンターとして決めたのなら、反対する権利は元々私にはないわ。勝手に行きなさい。見送りもするつもりはないわ」
「……」
“うわっ……激怒?”
「でも……」
セルビアはチラッとアルディスの顔を上げていた。
それを察したのか、アルディスは眉をしかめながらも両耳を塞ぎ支部長室にの端にある窓に立ち外を見始めていた。
セルビアはニコリと笑い、今度は俺と目を合わせて来た。
それは、俺だけに向けてくれている、何時もの優しい目だった。
「無事に帰ってきてね。ルークちゃん、私はそれだけを祈っているわ」
「……はいっ!! 行ってきます、セルビアさん!!」
目頭が熱くなるのをグッと耐えて俺は、支部長室を後にした。
セルビアの言葉には二つ意味があった。
前半は支部長セルビアとして……
後半は母として……
二つの顔をセルビアは俺に見せてくれた。
“しかし、アルディスさん耳を塞ぐって……聞かなかった事にするのだろうか??”
公私混同は厳禁……
これはアルディスの口癖である。
そんな事を思い出すとセルビアの母としての言葉に、一粒の涙を流しちょっとだけ嬉しく思える自分がいた。
アーツハンター支部を大急ぎで出て家に帰り、早速出発の準備を一時間以内に済ませ出口へと向かうとマーシャルは馬車を手配してくれていた。
「マーシャルさん……?」
マーシャルは、俺に一通の封筒を渡してきた。
「これは?」
「この中に、ルーク坊がラッセルでやる事を記載されているわ」
「はい」
封筒を受け取り、懐にしまい込む。
「これはアーツハンターとして……最初の大きな任務になるわね」
「はい」
「普段の依頼とは大きく違ってくるわ、ルーク坊ゃの働き次第で成功の可否が決まるわ。だから気を引き締めて……」
マーシャルはそこで一度言葉を遮った。
そして、自分の頭をクシャクシャと掻き回した後に、俺の両肩に触れてきた。
「本来、これはセルビアの言うセリフだと思うんだけど……」
「??」
「気をつけて」
「はい!!」
「後……私は、戦闘隊総司令官として本隊を引き連れてラッセルに向かいます」
「はい……?」
「それまでの数日間任せましたわ」
「はいっ!!」
俺はマーシャルに別れを告げ、馬車へと乗り込む。
馬車は俺を乗せ、ラッセルへと出発したのであった。
馬車の見送りに見つからないようにセルビアとアルディスは木陰で隠れている姿があった。
「……アルディスちゃん」
「はい?」
「私の本心を言えば、今でもラッセルに赴く事は反対よ。
ルークちゃんにはコツコツと地道にアーツハンターランクを上げて欲しかったわ」
「俺もです」
「でもルークちゃんは、自分で考え自分の道を進もうとしているのよね?」
「はい」
「ルークちゃんがアーツハンターになった時、私は一人前の男として見ようと思いましたわ」
「えぇ、俺が口酸っぱく言いましたからね」
「……」
「でも、私には出来なかった……」
「アーツハンター支部長としては、ルークちゃんに対する態度は失敗なのかもしれません。
ですが、私はどこにいてもルークちゃんの母としていたかった……」
「要するに、一緒に行きたかったのですね?」
「えぇ……本当っマーシャルが羨ましいわ!!」
◆◇◆◇◆
馬車に揺られながら、先程マーシャルから受け取った封筒から中身を取り出す。
すると二通の紙が入っていた。
そこには、今回の作戦についての概要が事細かく書かれていた。
まず、一枚目には……
アーツバスター主導の元奴隷たちによって建設中だった、ラッセルは遂に完成され正式名称『闘技場ラッセル』は近々正式に始まる。
初日から十日間程限定で行わられる式典には、アーツバスター候補も多数参加すると思われる。
更に最終日に、アーツバスター総帥が現れるとの情報を掴む事が出来た。
ローラ協会長と幹部たちは協議による協議を重ねた結果、アーツバスター襲撃事件よりも更なる大きな事件が起こる可能性が危惧された。
ヴィンランド領は、我々の領地である。
これ以上、アーツバスターたちにヴィンランド領を侵略され続ける事は、アーツを持たない一般人を危険に晒す事になる。
よって、我々は最終目標である『ガーゼベルト侵攻作戦』を正式に決定させた。
最初の目標として、『メシュガロス奪還作戦』である。
メシュガロスを取り戻し、ガーゼベルト侵攻への足がかりとする。
その為にも、闘技場ラッセルは避けては通れない作戦の一つである。
我々は『ラッセル解放作戦』を決定した。
『作戦名【ラッセル解放作戦】』
総司令官、戦闘隊総司令官マーシャル・フォン・フライム【月光のアーツ】の使い手。
長々と知らないアーツハンターの名前がズラリと書き記されていた。
総動員数、50人。
この数が多いのか少ないのか俺にはわからない。
最終目標が、ガーゼベルト侵攻と書かれていた事に俺は少なからず鳥肌が立っていた。
二枚目……
二枚目には、ラッセル解放作戦の内容が書かれていた。
総司令官マーシャルと共にラッセルに進行。(詳細は総司令官マーシャルより口頭で指示あり)
奴隷たちの解放。
総帥の確認。
のみだった。
「……」
“これだけじゃ俺が、先に行って何をやればいいのか、わっかんねぇょ!!”
空になった封筒を投げつけ、はぁ〜とため息交じりに息を吐き出していた。
暫く、呆然と座り尽くしてした。
「一体、何をやれって言うのさ……」
ふとっ視界の端に投げつけた封筒が目に入った。
「後悔しても始まらないな……」
独り言のように呟き投げ捨てた封筒を拾い上げ、握り締めクシャクシャになった二通の紙を中に入れようとしたのだが、封筒の中で何かが引っかかりうまく入らなかった。
「??」
封筒の中を見てみると、奥の方に小さなメモ紙が四つ折りにされて入っていたのを発見する事が出来た。
「なんだろう、これ?」
四つ折りにされた小さなメモを広げると、マーシャルの字で書かれていた。
『ルーク坊ゃがラッセルに行きやる事はたった一つ……式典最終日の日、闘技場参加権利を確保しておく事』
のみだった。
「??」
“どういう事!?”
俺にはマーシャルの意図が、さっぱりわからなかった。
後悔するつもりは毛頭なかったのだが、もし願いが叶うのだとしたら……
俺は引き返したい。
そんな気分で一杯だった……




