96_やめられないとまらない。
スナックのキャッチフレーズでしたか。なんとなく中毒にも似た、感覚で、同じことを続けてしまうという感覚は、結構多くの人が体験したことがあるのではないでしょうか、と予想してみます。
ちょっと話題が変わりますが、慣性の法則というものがありまして、動いているものは動き続けようとして、止まっているものは止まり続けようとするように観察できる、という法則です。運動の第一法則とも言われるそうで、基本法則として整理した方は、ニュートロンさんという方で、リンゴの落ちるのを見て中性子を発見した物理学者です。
最後の下りは冗談です、既出で結構有名な駄洒落系統のジョークですが、引用元を知っている方は、こっそりと、ああ、ここにもあの連邦の記憶をもつものがまだいたんだなぁ、とか感慨にふけっていただいてもよろしいかと思います。
ニュートンさんですね。サー・アイザック・ニュートンさん、webで調べたら、サー持ちだったんですね。17世紀中頃から18世紀初めごろの人です。
似てませんかね?他からかの刺激を受けなければ、同じ運動を続けてしまうというくだりですが、他に何か明確な動機が与えられていなければ、今までしていたことをあえて止めようとせず、続けてしまう、という習慣とか、生き方とか、癖とかの見た目にです。
物理現象と人間の精神の働きでは、かなり違いますよ?とかいう意見も多そうですが、ちょっと考えてみると、人間の思考も物理現象としてもいいのでは、とか発想できどそうなのです。ニューロンがどうのとか、脳の伝達物質とかそのようなミクロな例を提示するまでもなくて、人の知性とか、感情とかを形作る、整えてなんとなく形にしているのは、主に、頭の中にある脳味噌であり、脳味噌というのは、これはもう、まごう事なき物理的存在なわけです。
であればですね、思考とか、習慣とか、感情とか、発想とか、それらは、この物理学第一法則であるところの、慣性の法則に従っているのですよ、と言っても過言ではないのです。
と、断言すると、信じる方も数パーセントくらいは存在しそうですね。
同じような発想をしている方も、おそらく多いような気がしますが、ニュートン力学は、量子の振る舞いに言及していないので、違うのではないでしょうか?という反論も合わせて上がってきそうですね。真実は未だ闇の中、とか、なんとか言って、ごまかしてしまってよろしいでしょうか?
しかしですね、人の生活習慣とか、ついつい疑問思わず繰り返してしまう習性とか、この慣性の法則に当てはめると、すっきりと、納得してしまうくらいの説得力があるわけなのですよね、そもそも惰性で続けてしまうとか、成り行きで、勢いで、慣習で、とかの表現は、前に加えられたエネルギーのまま、事態が動いてしまっている、行動してしまっている概念の表記ですよね。それは、そのまま、物理学の範疇で考えられるような気がするのですが、いかがなものか?
であるなら、それから思考を推し進めると、物理学とかの法則やら、計算式やら、数字による現象の抽象化やらが、人の思考やら、精神の動きやらに応用できる可能性があるのではないかな?というふうに、連想できてしまうわけですね。
おそらく、同じような発想を持っている方は、ゴブリンよりも早い時代に存在して、いろいろ調べて、まとめて、発表したり、研究したりしていると、想像できるのです。
そのうちに、精神物理学とか銘打って、センセーショナルに世に放たれる、かもしれないし、こっそりひっそり、知る人ぞ知るカルトな分野として、心の隙間に染み渡るように、いつの間にか市民権を得ている発想になっているかもしれません。
そのように想像すると、少し楽しくて、クスリと笑ってしまうのです。このような事をたまに考えてしまうのは、新しい外からのエネルギーを欲しているせいかもしれないとか、分析してみるのですが、どうなのでしょうかね。外からの刺激は自分の意思で得ることができるのでしょうかね?そもそも自分は本当に存在するのでしょうかね。とか畳み掛けてごまかしてみて、今日はおしまいです。
「そろそろ彼を観察し始めて1年くらい過ぎた気がします」
「熱意が下がらないですね。どこから来るのでしょうかそのエネルギー?」




