95_黒い箱の中身。
感情とか思考とか、頭の中で何が起こっているのかは、やはりよく分からない、直接観察できないので、入力したデータに対する、出力を観察することによって、中身を類推しよう、とする実験とかあるようです。中身が見えない、まるで黒く塗りつぶされた箱のようですね、ということでブラックボックスとか呼ぶようです。
似たような例を昔どこかで見たことがあるような気がします。容器に何か飲料が入っています。その容器の中身はそれ単独で取り出すことができなくて、何か混ぜ物をした結果、出力されるそうです。その容器に、そうですね、オレンジジュースを混ぜると、何と混ざったのかはわかりませんが、果物系列のミックスジュースができました。なので、果物かな?と当たりをつけて、いろいろな果物をジュースにして混ぜて、取り出してみると、リンゴを混ぜた時に、同じリンゴのジュースが出てきました。
なので、中身が分からなかった容器には、リンゴのジュースが入っていたことが判明するわけです。
これを数字とかで抽象化して、表したら、どうなるでしょうかね?オレンジジュースの成分をパラメータで表して、中身は分からないけれど、それに掛け合わせて、結果の数値がパラメータで表記されていくのですね。そのパラメータの各数字の比率が同じになるように、いろいろと計算すれば、良さそうですね。総量は入れた分だけ増えるのですから、仮に容器と同じ量のジュースを入れれば、各パラメータの比率は同じで、量だけ2倍になっている、関係性を作ることができるでしょうね。
で、結果として容器の中身がわかる。のでしたっけかね?うろ覚えなのではっきりとは結論できませんが、確か、量子力学について記事を読んでいた時に見かけた例えだったように思います。
量子というのは、とてもとても小さな粒々のことです。私たちはこのとても小さな粒々が集まってできているということです。私たちの肉体に及ばず、ありとあらゆる物質が、その小さな粒々の集合体なのだそうです。原子とか聞いたことがある人も多いかもしれません。
その原子を作るさらに小さな粒々とかがあるそうです。目に見えないというくらいでは表現しきれないほどに小さな粒々です。
それほどに小さな粒々だと、私たちが直感的に理解しているものとは、かなり違う振る舞いをしてしまうそうです。
そして、特徴の一つに直接観測できないということがあるのだそうです。なんでも、観測しようとして感覚器とか、センサーを向けると、それだけで状況が変化してしまうので、表現を正確に思い出そうとするなら、観測することで振る舞いが決定してしまう、ので、正確に今どうなっているのかを見ることができないのだそうです。
全体として集合している物質なら、観測できるのに、それを形作っているとされる、粒々一つ一つが観測できないというのは、なんとも奇妙な感覚であると思うのです。
この量子学とか量子力学とか呼ばれている、分類の学問は、中身が直接観測できない、という点でを持つ、各種事象と、発送を共通させることができるんじゃないでしょうか?と、思った人は多いようです。
わかりやすく、説明を関連づけているものも多いかもしれませんが、量子力学そのものも、結局よくわかっていない、ようですので、関連づけている他の発送も、なんだかよく分からないものになっている印象がありますね。
もっとも、そうなることはわかっているけれど、それがなぜそうなるのかがわからい、という状況は、世間で、極めて多いそうですので、焦らず、思考とか試行とかを重ねていくべきなんでしょうね、と、話を着地させる、ゴブリンでありました。
「彼は私を愛しているにちがいない」
「いや、それはどうしてそうなったんですか?”ご主人様”」




