65_ブロック遊び。
どんなものでもよろしいのですが、あるひと続きのものの要素を抽出して分解いたします。そして、細工しやすい細かさまで分解できたならば、今度は別のものをまた同じように分解していきます、おそらく、組み合わせることができるんじゃないでしょうか?と予想できる所から、心もちちょっと細かく分解していくと、味か出てくるように見受けられますが、最初のうちは、目立つパーツのみで、試みてみるといいかもしれません。
複数の何らかのコンテンツやらを十分に分解してみたならば、それらを色々な組み合わせで、合体させてみましょう。ちょっと目新しい何かが出来てきませんでしょうか?
このように、要素に分解して、混ぜ合わせて、組み立て直すことを、創造というようです。
いいえ少し待ってください、私のデザインはオリジナルですよ?という反論もあるでしょう。ごもっともです。そのデザインは誰の真似でもなくて、何も参考にせずに作り上げた貴方自身の、独自のものです。
ただ、人の目で見て、人の五感で感じて、人の処理領域で考察して、人の手で作り出したものは、結局人の領域を超えないものであり、独自のコンテンツも同じようなものが、同時期か、その前後にどこかに存在していると、考えた方が、精神的に楽になると思います。
そこまでいかなくとも、今までに見てきた、体験してきた他の、同じカテゴリの作品の影響は、やはり受けるわけでありまして、完全オリジナルな作品というものは、実のところ狭い意味では存在しないのではないでしょうか?と疑問を投げかけてみる、今日のゴブリンでした。
終わってしまいましたね。疑問を投げっぱなしにしてしまうのも、行儀が悪いような気がいたしますので、考察を続けてみましょう。もっともこの手の考察もまた、市尽くされた感があるわけでございますが。
オリジナルのコピーはこれは、独自のデザインではありませんね。では、それに何かを付け加えたら、どうなりますかね?逆に何かを差し引いてみたらどうでしょう。その情報量の変化の過多によって、オリジナルであるかどうかを判断するのでしょうね。では、どのくらい足し引きすればよろしいのでしょうか?画像なら線画量の差ですかね、色の変化ですかね、パーツの過多ですかね?機械的に何%の差異があれば、独自のものですと言えるのでしょうか?
文章はどうでしょうかね?昔話の配役を現代に置き換えて、しかし落ちは同じという物語は、独自のものなのでしょうか?大筋は同じなのだけれども、切り取る視点が違うというのはどうなんでしょうかね?
元になる物語の著作権が切れていなければどうなるのでしょうか?大筋が同じで、ネタがばれてしまうような創作物はやはりよろしくないというか、独自性がうんぬんという以前の問題でしょうね。キャラクターが同じで、勝手に物語を紡いでいくというのはどうなのでしょうか?世界観も同じであるなら、これは独自性が薄いですね。作者公認で、アンソロジーということなら、オリジナリティがなくとも良いですね。むしろ独自性がなくて、公式設定に沿っていないと、逆にお叱りと受けるパターンでしょうか?
本編よりも面白くなってしまったら、それは、独自性が感じらるとか、言ってもよろしいのでしょうかね?パロディの文化というのは、そう考えると奥が深いような気がいたします。
組み合わせすぎて元がわからなくくらいの、キメラ的な構成なら、問題はなさそうですね。詰め込みすぎて、混沌とした物語になりそうですが。逆に大きな要素を引いてしまうのもありなのかもしれません。
異世界に転生したとか、転移したとか、紛れ込んだとか、そういう要素をざっくり抜き去って、物語を構築し直すとか、結構、面白い物語になりそうな気がします。
「彼の写真をコラージュしてみました、ちょっと自慢してもいいですかね?」
「肖像権ってご存知でございますか?”ご主人様”」




