542_杉樽はおよよよん。
特定のアレルギーで脳みそが溶けているような会話をしているという描写があるように見受けられるわけでございますが、フィクションではなかろうかとか予想していましたのですが、実際にそうであるようなものを観察いたしましたので、なるほど、多幸感の無い酩酊状態であると想像すると、これは苦しい状態であるのでございましょうね、と、珍しくも同情をしてしまうところから始まる今日のゴブリンでございます。
人間の持つ免疫というものが、本来は阻害する必要の無い物質に過激に反応してしまうのがアレルギーというようでございます。重度のものは直接命に関わるということでございますので、いささかアレルギーとか可愛らしい単語にふさわしいように感じられ無い、という意見もございますが、そもそもアレルギーという響きに可憐さや可愛らしさを連想いたしますか、という反論もあるようでございます。
過去にはそれはなかったということはなさそうでございますが、あまり目立ってなかった、話題に上らなかったという現象は観察されるわけでございまして、そのような原因が何かわからなかったから、その概念自体がなかったから、大きく広まらなかった、多数の人に共通の認識として広まらなかったのではなかろうかという予想もございます。
事実としてアレルギーの患者さまが、最近増えてきたという計測結果もあるようでございまして、現代病のひとつではなかろうかという論もあるようでございます。どうにも、ある一定の量以上アレルギーを引き起こす物質を体内に取り込むと発症するのでは、という予想がなされているようでございます。長く生きるようになったので発症率が上がったというロジックは、これはまあ当たり前の話ではあるでしょうと予想するわけでございます。
単純に母集団が増えていくわけでありますし、老化による不具合もこれもまた寿命が伸びていったと申しますか、老人が死亡しにくくなったしまった、弱い個体のまま長く存在するようになっているわけでございますから、比例して、罹患している層も数が増えるわけでございます、それを差し引いいても増えている病が現代病と呼ばれるのではなかろうかとか想像するわけでございます。
実際にはそのような自然に増えている病気やら病人やらを考えずに印象だけでこれは現代病であるというようにコメントしている事例も観察されるようでございますが、翻って思考してみるに、長寿というものはある意味現代の病であるとも言えるわけでございまして、この場合は不健康な寿命の伸長という意味合いになるのではとか想像するわけでございます。
ちょっとしたコストをかければ長生きが可能になってくるわけでございまして、そして長く生かされる、生きることで得られる利益はこれは社会全体にあるわけでございます。このコストがリターンを上回っている可能性は、これは確かにあるわけでございまして、そもそも老いた存在にメリットを求めるということは多分に感情に起因している現象であるように観察されるわけでございまして、理性によるなら、その存在は大多数が無駄であるという結論が出かねないわけでございます。
何しろすでに結果が出ているわけでございまして、それまでの行動において評価されない、有益でない人生であったと、第三者から証拠らしきものを突きつけられて、不要であると言われかねない存在が、長く生きてきた者、老人であるわけでございまして、本質的に存在を脅かされる可能性が高いのではとか想像するわけでございます。
一方、必ずそのようなカテゴリに入ってしまうわけでございますから、そのような立場にならないように立ち回るわけでございまして、それが敬老精神を育てよう運動とかになっていっているのではなかろうかとか、ただ、昨今自分が老いるという想像ができなくなっている方々が増えている可能性が見られてきまして、これはもううまく自分の首を絞めておいて、社会に貢献しているのではなかろうかとか、見て取ると面白くて笑えてきますのでおしまいです。
「有益であるから生きていられるという社会は危ういのですよ」
「障害を持つ人たちを否定することにもなりかねませんしねー」
「判断の基準がそもそも間違っている可能性すらありましょうしですな”旦那様”
一般人という障害者がいることを忘れてはいけないと思うのですよ”奥様”」




