2157_芥と言うと川と応える、入水して行水。
特定の言葉に必ず想起させるようなものが続くとなればそれは汚染ではないかと言う話もありそうではあり、連想が固定化されていることの弊害ではないかとか、自由な発想を阻害してしまうのでは、いやそれがわかっているのであるならば、それを避けようとするので実は良い刺激になるのでは、いやいやそのように思考が誘導されてしまうことがよろしくないのでは、いやいやいやそれを踏まえての連想ではないのか、計算のうちであり計画通りである、とか無駄話をして見ているわけであります、このまま話題を膨らませていこうと思います、すぐに萎みそうではありますな、こんにちはゴブリンです。
知らないからなんでも言えるのか、知らないから連想が止まるのか、幼児をみているとどちらかなとたまに疑問に思いますな。今日も元気可愛いですな。
一旦知ってしまったらそれ以前には戻れないと言う話でもあるのかなと、忘れたようにも見えるのであるけれども確実に影響は残るということではなかろうかとか、予想するわけではございますが、では純粋に情報を取り扱うと言うことは隔離されるということなのであろうかというと、何かおかしい感触を得られるわけではございまして。
そもそも相互に干渉し合うものが情報であるわけであり、全く何もないのであるならば、それは存在すら危うくなってしまうのではなかろうかなとか予想できるわけであり、つまりは観察されていないものは存在しないのではなかろうかと言う、言葉遊びに近いものが出てきてしまう、かもしれず。
正確には観察されないものはないものとして扱っても不具合が生じないと言う感じでありましょうか、いやまあ、伝播していくとどこかでつながるのであるならばそれはいずれ観察されるものであり、この命題には背くことになるわけでございまして、金輪際未来永劫、久遠の過去でも関わらない何かは、全くないものと同じであると言う話ではあります。
がしかし、そのようなものが存在するのであろうかなとなると、かなり怪しくなってしまうわけでございまして、なんとなれば、空間が有限で時間が無限であるならばいつかは何かが伝わることになる、のではなかろうかなとか、いやまあ、時間が有限である可能性もあるわけでございますが、それはそれで、空間の終わりにはまた一緒になるのではと言う予想もできるわけであり。
断絶している情報というものが存在しているのかという話にはなるわけではありますが、限りなく0に近い関わりというものは当然存在しているのであろうかな、と、もう0と判断しても良いというぐらいには低い確率は存在しうるわけであり、現実的には観測されない現象が存在すると言っても良いのかもしれず。
ただそれは観測できる機器やら感覚器の性能やらのおかげというか、やらかしの可能性も高く、それが十分に進化したならば、今まで0と等しいとしてきた情報が周囲に与える力が見えてくる、可能性もあるわけであり、思考上では0にするわけにはいかない場面も出てくるのであろうかなとか。
どのように扱うのか良いのかすら確率でしか語られないものであるという可能性はありそうであり、そもそも思考の流れ直感は、流れというか可能性でしか語れない、制御がほぼほぼ不可能なものであるという捉え方がおそらく正しく、つまりは正確に客観的に観測することが難しいというかやはり不可能に近い、ものなのではなかろうかなという予想が出てくるわけであり。
要素が多すぎるのであるかなと、どこかを固定して観察して見なければその変化やら、色合いやら濃淡が見えてこないという性質を持っているのではないかと予想するわけであり、であるならばどこで固定するのかというと、時間が一つに指針になっているのであろうかなと、常に一定方向に進んでいるという因果を固定値にして観測することになるという、空想科学小説かな?
本来情報というものは因果を遡ることがあるという認識が正しいのではなかろうかなという発想もあったりするわけであり、であるけれども、実践的な観測可能なそれを範囲に止めるならば、時間の流れを一定にしておくという条件が必要になる、のであろうかなとか。いやまあ、妄想でしかないですな、無駄話ですから。おしまいです。
「神様の領域というと神様を過信している感じがしますね」
「科学はね、突き詰めると神様を解体してしまうからね、それもまた驕りですけども」
「実は大したことがない神様とは人間が作ったからでしょうな”旦那様”
わかった気になってはいけないという戒めではありますか?”奥様”」




