1956_珠のようなタマポチタロハナ。
動物の名称というか愛称というものは音ふたつということであるのであろうかなとか、それを繰り返すと可愛らしさがます、のでありましょうか、あまり人物名に使わないようにも思えるわけでございますが、跳ね回るような響きが落ち着きを感じさせないのであろうかなとか、いやまあ、文化的には、それもあるような国や地域も存在するような予想はあるわけでございますが、あまりにもふざけているように思える音の組み合わせというものもあるのであろうかなとか、ぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
幼児言葉に近くなるので敬遠しているのかもしれませんね、はい、それはわんわんです、にゃんにゃん、にゃーにゃー?ぴょんぴょん、はこれですね。今日も元気可愛いですね。
ひらがな四文字で表せる名称はかわいいので印象に残りやすいということがあるようでありますので、2音二つが重なることが名称に使われることが多いのでありましょうか、これが三音とか五音とかになりますと、やぼったいのか少ないのか、ただ、濁音とか撥音とかが絡むと簡単に文字数の法則が崩れるのではなかろうかなとか、あくまでも音の響きが大事であるのであろうかとか。
逆に長ければ長いほど良いということでもあるのではという話もありそうではあるのではなかろうかなとか、こう、寿限無という例もありますが、題名が長いと目につきやすいということであるのであろうかなとか、また、逆にそれが飽きられるほど蔓延してしまったので、勘弁な題名がまた流行るようになる、ようになっているという感じではあるのではなかろうか、いやまあ、それほど不思議な循環ではないわけでございますが。
極端から極端に走る間に、ちょうど良い場所が結構長く続くかもしれないという話であろうかとか、今それがちょうど良いとされていても、簡単にその長さが変わるということはあるのであろうかなとか、現状この長さ、音の響きが良い、好まれるということになっていても、いずれは変わることが確定している、可能性もありそうではありますが、長くそれが続くと伝統という形で、強制力が働くようになる、のかもしれないとか、意識して変えようとしないと、そのままではなかろうかという、焦りとか恐れとかが原因で、突飛な発想へとたどり着くような流れも、ありそうではあり。
ただ、狙ってそれをやってみると、大体は失敗することが多いように観察できるわけでございますが、これは、不自然すぎるからであり、実のところ、変化していると看破された時点で、目論みからずれてしまっているということではなかろうかなとか、違和感を無意識に感じさせて引っかかりをつけると、成功しやすいのではなかろうかとか、適当に想像してみるわけでございまして。
それを調べるために極端な事例を放り投げてみて反応を見つつ調整するというやり口もあるのであろうかなとか、ただ、それが、非難中傷であるとか、攻撃的であると、続きをすることができなくなる、可能性も高くあり、この辺りの調査やら、試験にも経験と技術が必要になってくるのではなかろうかなという予想ができるわけであり、ではそこはどうやって学んでいくのかという話になるのであろうかなとか。
基本は数値化であるのではなかろうかなとか、反応数を視覚化することで、どのような音の組み合わせが今、受け入れいられているのか、耳に残るのか、興味を引くのか、を評価する必要があるのであろうかなとか、実験室的な条件を揃える必要があるのかどうかとか、そうすると実践ではどう変質しているのかを計算する必要があるのではなかろうかとか、むしろ現実世界、一般社会での反応を、抽出する時に歪みを消すことができないかどうかとか、の発想が必要になるのであろうかなとか。
統計学とかに近くなるのであろうかとか、いやまあ、そのまま統計学なのであるのではなかろうかなとか、数字をうまく読み解くことができるようにしたり、観測方法を改善したりする必要があるのであろうかなとか、むしろ、実践している方々がすでに数多くいるのであろうかなとか、色々と連想が進むわけであり、おそらくは調べれば、具体的な事例が出てきそうではありますね、とか。
役に立つ必要はないと言い切り、そこを深く調べてしまうような方にとっては、ここり良い四文字すら感情を動かさない可能性があるとか、いやまあ、そこは客観的に評価できるような仕組みを作るべきなのであろうかとか、連想を発散させておしまいです。
「かしこみ、とか、アーメン、とかも4音ですね」
「感情を数値化させる話ですね、結構研究が進んでいる気がします」
「なむさん、とかもそうですな”旦那様”
即応性が必要になる場合もありそうですな”奥様”」




