188_誰が作ったのでありましょうか。
状況とか現状とか今の社会とか身の回りの環境とか、少なくとも自分が主体となって作り上げたのではないと断言できる方が、結構、幸せそうに見えたりするのです、と、ぼやく方を横目で見つつ、結局は全体で作られているのでありましょうな、とつぶやく今日のゴブリンでございます。
おそらく世界で一番の発行部数をマークして、さらにその記録を伸ばしつつある書物によりますと、光を灯して世界を作り上げた存在がおられるようであります。通読とかむしろ斜め読みすらしたことがない書物ではありますが、二次的な情報から世界は7日で作られたとかいう逸話はよく耳にします。この場合、主観的には7日であったのでしょうが、宇宙を形作る物質が光速に近い速さで移動していたとするなら、その速度に比例して、もしくは速度の2乗に比例して時間の流れがゆっくりになっているようでありますので、外から、客観的に見ると、かなり長い時間が経過しているのかもしれませんし、実は、まだ7日経っていないのかもしれないとか、想像するとちょっと面白くて、ニヤリと笑ってしまいます。
7日間で世界創造というジャンルには、結構ジョークがありまして、クライアントからの依頼を受けた施工業者が、その子会社へと仕事を丸投げして、その子会社はさらに、その子会社つまりは孫請けをさせて、さらにその下へと、報酬を中抜きしつつ依頼を下げていった結果、納期ギリギリで、作業を始めて、7日目に他の皆様が休みととっている間に、最終的に引き受けた末端の作業員が、突貫工事で世界を仕上げたために、世界は休みを定期的に取れる方々と、そうではなくて、いつも忙しなく働き続けている方々のような人が誕生しました、とかいう感じのものを、チラリと聞いたことがあったりします。
光の速さで作業しているので、実は、客観的に見てまだ作業を続けている可能性もあります、終わらない休日出勤とか、とかく世界創造という現象は、ブラックな側面があるのでありますので、その結果作られた世界もまた黒く染まっていくのでありましょう、とかおっしゃられると、なんだか含蓄が深い物言いな感じがいたしますが、おそらく錯覚でございましょう。
現実的に今の環境を作ってしまったのは、大なり小なり自身の嗜好の結果でもあるのですよという意見もございます。選択してきた結果このようになったのです、という言葉はなるほど少し冷酷に聞こえるようにも思えますが、まだ、選択の余地があったのですよ、という事実は救いがあるような気もいたします。すべてが終わってから、したり顔で言われても腹立たしい限りなのですが、とこぼすような方も想像できそうです。
選択の余地がないような方も、これはまず存在するわけでありまして、その場合どこに救いを求めるかというと、基本は妄想でありましょうか。状況は選択できないまでも、それから得られる感情やら、刺激を、快楽の方向へと振り分けでしまうわけでありましょう。自分を騙してしまうわけでありますね、絶対にこれは幸せとは言えないでしょう、と第三者から見た状況の中で、少しでも前向きになるような箇所を見つけて、そこを喜び、嚙みしめるようにして、幸せだと感じるようにするわけであります。
一種の思考停止ではありますが、そうでもしなければ潰れてしまう方というのも、また多いのではないかと想像はします。
それが、幸せかどうかはまあ、どうでもいいと言っては語弊がありますが、どうしようもなかったのでありましょうね、と諦める人が多いような予想はできそうです。そこに反発して、どうにかしようとしてきたのが、人権とかの発想を生み出してきたのでしょう。思考を停止せずに、客観的に幸せを追求しようとしてきた方々の苦労やら、働きはこれはもう賞賛に値する、という方は多いと思うのです。
ただ、どうしようもなくて、思考を停止している方々も確かにいるのが現状であることも、そしてその状態であるからこそ、生きていくことができている人が存在することもまた事実ではありそうです。それらを潰して、理想を実現することが幸せにつながるかと言うと、少なくとも側で見ているゴブリンにとっては見世物として愉快でありますな、と悪い笑みを浮かべて今日はおしまいです。
「恋愛は見ているよりしている方が楽しいですよ」
「そういう感情は種族特性的にあまりないのでございますよ”ご主人様”」




