184_完璧なのは自画自賛。
他からの評価で完璧ですといわれたならば、それは多分におべっかが入っている可能性があるのではありませんかね、とかいきなり水を差すような言葉で始まる今日のゴブリンでございます。
精度をどれだけ見るかで、完璧かどうかという表現が正しくなるという考えもありますので、世の中に完璧なものなどないという意見もまたなさそうな気がいたしますが、完璧な存在というものはどういう感じなのでありましょうか、存在することはまあ、否定できないものは数多くあるわけでありますから、ただ存在することで満足するような物に対しては完璧と表現してもいいかもしれないですねとか、皮肉げに中折れ帽をクイっと、右手であげていつもは隠されている目を相手に見せてニヤリと笑う批評家とかを想像する訳であります。
完璧なものは嘘っぽいように感じる、という側面もありますね。品行方正、容姿端麗、清廉潔白、純情無垢の完璧なお嬢様とかお坊ちゃんとか。お嬢様というと、こう品性がよろしい感じですが、お坊ちゃんというと、これはなんだか幼稚な感じがしてしまうわけすが、これは紳士とか表現すればよろしかってでしょうか。紳士淑女の皆様という呼びかけもありますので、この場合はお嬢様ではなくて、淑女さんとかいうべきなのでしょうか。紳士さんとか紳士のお方、というのはまだ表現としては違和感が薄いですが、淑女さん、とか淑女の方というと、違和感があるような気がいたします。
理由としては、一個の人格として女性が見られていなかった時代の表現であるからでしょうか。貞淑の淑でありますから、こう、見守っているとか、一歩引いているような表現とか、男性目線での表現でありますから、単独での使用にいささか違和感があるのでありましょう。
そんな完璧な人間はいませんよ、と無意識にせよ、意識的にせよ前提として知っているのでありますから、ついそのような方を見かけると、ああ、これはどこかにごまかしがあるにちがいないという、色眼鏡で見るようになるのかもしれません、たまに本当に完璧な人間が目の前にあると錯覚してしまって、こう、とてつもなく深く傾倒してしまう展開もありそうではあります。欠点も欠点に見えないとか全肯定してしまっているので、完璧なという以外の形容詞を思いつかなくなっているという感じでしょうか、この場合、完璧という言葉を用いることができるのは他者のみということになるのでありましょうね。本人も自分は完璧であります、とか思っているかどうかはわかりませんし、完璧ですと言ってしまうと、大言壮語で偉そうに聞かれるので、その瞬間に、完璧と見られなくなるという論理にとらわれてしまうかもしれません。
極端な表現として完璧という言葉を使うのは、これはよく観察されるものでありますが、多数の方々がおっしゃられている通り、昨今、表現のインフレが進んでいるようでありまして、些細な状態でも完璧であります、とかいう表現が見られるようになってはきたように見えます。なので、完璧です、という言葉に対して、はいはいと、軽く流すような様式美が生まれてきているのでありましょう、さらには、完璧に、完璧です、とかさらに強調するような表現を作り出したりしたりして対応していくわけですが、これはもう、おっしゃる通りにキリがないような感じであります。
驚異的なまでの完璧さとか、空前絶後の完璧とか、史上最大の完璧とか、比類なき完璧さ加減に、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁとか、最後のはちょっとニュアンスがちがいますけれども、完璧とう言葉に更に何かを付け足して、表現してみたくなってきているのかもしれません、ごろは悪そうですが。この場合は完成度の高さとか、と言い換えるのでありましょうか。
みてくださいこの完成度の高さ、完璧です!とか言っているアナウンサーを見かけたような気もいたしますが、少々大げさであるように見えます。この辺り控え目の表現の方が、注意を引くような気もいたします。ここ数日の中では完璧、とか、幼児が弾きこなす程には完璧とか。
見事に打ち消しておりますが、皮肉とかいう部類なら結構面白いかもしれません。彼の政策は完璧だ、それが自国民に受け入れられるのであるなら。とかいうジョークにも使用されそうでございますね、という皮肉っぽい表現を試して見つつ今日はおしまいです。
「この愛は完璧に限りなく近づいて行っているのです」
「1を無限大で割っているようなイメージが浮かんでまいりました”ご主人様”」




