183_自社製品を買う価値がある?
タコという生物がおられまして、お腹が減ってくると自分の足を食べてしまうという伝説があるようでありますが、自社製品をそこで働く労働者が購入するという事象を想像すると、なんとも同じような気分にさせられるわけであります。
必要であるなら購入すればよろしいとは思いますが、別になくても生活に困らない製品に対価を払うのかと言われると、これはもう首をひねらざるをえないわけでありまして、そこの所どうなのでありましょうか。
労働者の給料を十分に上げておけば、自社製品を買ってくれて市場が広がるので、労働者を手厚く保護いたしましょう、という発想はこれはまあ、有りでありましょう。この人件費を圧縮したせいで、自社製品でさえ買うことができない、難しくなってしまった社員とか関係者に、有形無形の圧力をかけて、どうにか商品を売りつけるとなると、これはもう、状況が歪んでいるというか、美しくありませんですね、という経済界からのコメントが飛んできそうではあります。あえてライバル会社の製品を買って嫌がらせをするとかされるレベルではありますが、そもそもそのような行動に出る、財力すら削られているわけでありまして、どうにもこれは不健康な状態でありましょう。
自社製品を自信を持って購入出来るというそのような品質に保たれているのかどうかという問題もありそうです。作っている方の側がしっかり見えているので、恐ろしくて自社製品を買うことができませんとかいう、笑い話にしてもブラックよりな展開が、現実的に見えてきていて、これはもう、かわいた笑した出てきませんのよ、とか飲み屋でくだをまいている方々もいるような気がいたします。
本当のところはどうかはわかりませんが、分業制にして作業を効率化して行って、自分の作業が全体の数割とか数パーセントとかの関わりしか持てない商品に、愛着がわきにくいということもあるかもしれません。最初から最後まで、つきっきりで調整した商品であれば、むしろ商売品として扱うのが勿体無いとかいうレベルになってしまうので、愛着もひとしおであろうかと予想はできますが、オートメーションが主体の大量生産社会であるからして、ここの商品に愛情というか、誇りのようなものを持っている方々は少なくなっているのでは無いかと予想できるわけです。
さらには、自分の趣味に合致しているものを作成しているとは限らないわけでありまして、いろいろな理由から自分の興味が無い職種とかについている方々もいるわけでありまして。さらには体質的にその手の製作物やら商品に対して需要が無い方もおられそうでありまして、例えば、下戸であるのに酒精に関わる製造業とか、販売業とかでありますが、そういう方々に、自社製品の購入を勧めるのはむしろ犯罪レベルの行為では無いかと、と強く言われる方々も多そうではあります。
どこまでは強要であるのかが難しという面は確かにありそうではありますが、流行り廃りはありますので、その波を見極め損ねて、大損をするという展開はどうしてもあると思いますので、こう、大失敗した時のフォローを先に考えてから行動するのがよろしいのかもしれません。
流行を作ることができるという、観念もありそうではありますし、外部からの嗜好の誘導はこれはまあ、ある程度は可能でありましょう。むしろ、外部からの情報で人格が形成されていくのでありますから、きちんと仕組みを理解したり、方程式を持っておられる方々にとっては、常識の範囲になるかもしれませんが、どうですかね、今現在から近い未来にかけて、社会の方向性を制御できるような方法が確立されている、というような団体やら個人というのは、皆無ではなかろうかとかは思うわけでありまして。ざっくりと観察してきた結果ではありますが、たまさか上手くいっている、例が見られるくらいに考えておいたほうが、安全度は高いような気がいたします。
必ずなになにできる、必ずこうなる、とか強い口調でいっている方々は基本的に相手を騙そうとしているか、すでに自分が騙されている方でありましょうな、とかかなり界隈では言われている表現ではありますが、そういうものにすがりたくなるくらい、追い詰められている方々が多く存在しているかもしれない構造が、そもそも問題にされるべきではありましょう、とかちょっと突き放して行ってみるゴブリンでございました。
「結婚したなら、必ず子供を供給して取得しなさいという展開にも似ていますね」
「結構きわどい発想だとは思いますな”こ主人様”」




