172_激辛ブームというのが昔あっての。
今でもあるぞ。と返してみると、スマートでありましょうか?元の歌は確か油済ましという妖怪のネタであったという記憶がありますが、定かではありません。少し調べてみると、そのような記憶であっているようでございますね。彼は今元気でやっているのでありましょうか。検索と中で出てきたすべすべまんじゅうがに、というワードは何を意味しているのか謎が謎を呼ぶのですが、そんなこととはあまり関係がない今日のゴブリンでございます。
権利を主張するならば、義務もまた果たすべきでありましょう。ごもっともなご意見でありまして、ではその義務とか権利とか具体的に記述すると何だか各方面に喧嘩を売っているのではありませんかという論調になりやすいように観察できるのは、できるだけ過激にする方が注目される、からでありましょうねと予想します。そこに問題があるということをまずはアピールしなければ、議論も始まらないわけでありまして、でもそのようにガミガミとがなりたてることで、敬遠してしまう層もまた一定数存在するので、そのさじ加減は難しそうではございます。
人権を主張するなら、人としての義務を果たせ。問いう言葉はこれはきついような言い方ではありますが、一定数の説得力はございますね。基本的には正しいように思えるのですが、その義務を果たせないような人もまた存在するように見えるわけでございまして。義務の定義にもよりますが、社会に貢献することができるのが、人間としての義務であるのならば、そのような手段を、肉体的にとか精神的にとか最初から持ち得ず生まれてきてしまった方々には義務が果たせないので権利を与えないということになりかねないのでございまして、そのようになっていないと言われる現状では、必ずしも義務を果たさなくとも権利は保証するべきであろうという意見が主流になっている、と言われる方もおられそうです。
守られる、何もできない、弱者である、ということ自体が、その存在の、価値である。という意見もまたあるわけでありまして。守らなければならないものがいる、ということが、使命感やら、責任感やらを育てたりするわけでございましょう。優越感かもしれません、私がいなければ、これらは生きていけないのである、私は彼らに必要とされているという、気持ちがわき起こるがゆえに、弱者は存在を許されている、問う悲観的な見解の方もおられそうです。
そのあたり想像できない方が、弱者は切り捨てた方が楽になるので社会的には良いのではありませんか?などという意見を言うのかもしれません。
老人とかはどうでしょうかね。子供なら弱者でも将来には社会を構成する重大な担い手となるので大事にしようというわけですが、老人はもう終わっているので、貢献できなくなれば邪魔であるとか言われたりしていた時代もあった、のかもしれません。噂ではご年配の方を廃棄するための山とかが存在したようでございますので。
しかし現在は少なくとも老人は敬う対象でありまして。これは今まで働いて社会とかに貢献してきたその行為に対する報酬として受け取られているという側面もありましょうし、年老いても安心して暮らせるからこそ若い時に熱心に働くことができる、というシステムを構築しているのでありましょう。そのあたり、きちんと年老いた場合の安心感を雰囲気として社会が作りださないと、これはもう、どうせ一生懸命働いても老後は生きていけないのだから、今刹那的に楽しんでしまおうとかいう同胞を増殖させたり、虚無的な思考に囚われてしまうのかもしれませね。
社会を構成する人としての義務というものは、誠実に生きていれば希望を持てるような社会を構築する、とか、よく考えて、相手のことを思いあって、喧嘩をしなくて仲良く生きていこうとする姿勢を保つこととか、そういうことを当たり前に考えられるような、そんな世界にしていくことではありそうではありますね。つまりは、人としての義務を果たしていれば、自然に人としての権利を手に入れられるような、そんなシステムを構築することが、まあ、人にとってはいいことなのではないかなと、端から見ているゴブリンは少し思うわけでありまして。
「恋愛をするのは権利ですし、義務ですよね?」
「そこに愛があるのかどうかと、その質の問題もありそうでございます”ご主人様”」




