171_価値価値山。
商品のお値段を設定するその方法論で喧々諤々な議論が繰り広げられているという噂を耳に致しまして、その筋の専門家、経済学者さんとかはどのような見識でありましょうかとか少し想像している今日のゴブリンでございます。
コストに見合うリターンを得るというのが、基本でございましょうと思うわけでございますが、そのリターンをどういう形で受けてるのかというのが色々分類あるように見えるわけでございまして、ストレートには金銭という、万能に近いツールというか価値という有名なものの他にも、名誉とか、文明の発展、社会平和とかこうぼんやりと直接には形にできないようなリターンを得るためにコストをかけるという場合もありそうでございます。
経済的な正しさを金銭と言いますか、直接的に次の仕事に回すための手段として、簡単に使用することができる資源との交換を目論んでの商売は、これはこれで当たり前のことでありまして、コストが多大にかかるのならばそれは値段に反映させなければ、どこかに歪みが生じるのは必定でございます。余力がありましても、採算を度外視してこれをなすというのは、酔狂と呼ばれても仕方のない趣味の部類でありましょう。ボランティア活動なども、これはまあ突き詰めてみると個人がそうすることで幸せを感じる趣味を持っているという側面も観察できそうでございます。
商品を運び込むためのコストが大量にかかるのであれば、生産地から遠いところでのその商品の値段は上がらざるをえないですし、道やらが整備されていないので、少量しか運ぶことができないのであれば、またそれは値段が上がるのは当然でございますね。
また、必要な技術を持っている方が少ないときは、その技術を提供するためのお値段がお高く設定されるわけですがこの場合は、価格によって、そこまでその技術を必要としないようなお仕事にその方を回すのを避けて、本当に優秀な技術者が必要な案件に従事させることができるという仕組みにもなっている、とのことでございます。
この辺り、技術などあまり目に見えない、優秀さが可視化できないでいるようでございますので、ついついお値段を値切ってしまわれて、そっぽを向かれる案件もありそうでございます。
商品には相場というものがあるようでございまして、これは需要と供給のバランスで決定されるそうでございます。この辺り、下手に経済的なもの以外で制御しようとすると、そのバランスを崩して崩壊する例も多々あるようでありまして、さらりとネット界隈の記事やら歴史的な事例やらを見てもそれは顕著であるようであります。計画経済というのは、結局破綻したのだそうです。
なので、この辺り、制御するならかなり微妙な繊細なさじ加減が必要な部類だとは思います。きっと日夜、研究に励んでいたり、実践している方も多いのでありましょう。
多くの人に手に取っていただきたいから、金銭的な負担は0にしましたという商売も、これは昔からある手法でございまして、直接的な儲けではなくて、そこから派生する商機やら、意識づけやら、とにかくアピールするための、そのようなものがここにあるんですよ、という宣伝やらが目的のものでございます。
どんなに良い商品でありましても、それがあるということが知られていないと、これは売れないのでありますから、とにかくも手軽に手に取っていただきたいという手法でございまして。もちろん未来的にはその業種の裾野が広がって、それら商品が生活に密着して、仕掛けた団体や個人の懐を潤すサイクルに持ち込むことが目的でありましょうから、最初の損は納得済みでの戦略でございます。
災害時に交通網が切断され、多大なコストをかけて運んできた商品の値段に、そのコストを上乗せさせるのは、これは次の商売につなげるためには必要な手段でありますが、そこであえて通常価格で抑えることで、ブランドの名を売ろうとする戦略もこれはこれでありではあります。逆に輸送のコストがかかるので、この値段になるのは仕方がないのでございますと、説明して納得して購入していただけるような、関係を築くことができている商人というのもこれはこれで、格好が良いように思えますし、未来を見ている感じも致します。
とどのつまりは、周囲の他業種の戦略やら、環境やら状況やらを見ての値段設定でございますので、一概に何が正しいとは言えないのでございましょう、とかいういつもの玉蟲色の結論で今日もおしまいです。
「若さって価値は確かに有効だと思うのですよ」
「後で振り向いて、がっくりきそうでありますな”ご主人様”」




