160_伝えたいのではなくて。
伝えたいのではなくって?とおっしゃられると貴婦人のお言葉になるのですね、奇妙な一文で始まる今日のゴブリンでございます。基本的には意味の薄いかもしれない言葉をつぶやいていくだけのエッセイもどきという立ち位置で行かせてもらっておりますので、その辺りどうぞご容赦の程よろしくお願いいたします。などと予防線を張りつつ好きに書いていくスタイルでございますが、いささか無責任な態度がけしからんと、お叱りのお言葉が多数寄せられてくるほど、有名でないということは幸せなことでありますね、とささいな幸せを噛みしてて今日も謙虚にひっそりと生息していく所存であります、ほらもう何を書いているのか分かりませんでしょう、つまりこう言う感じで進んでいきますので、初見のお方がおられましたら、そういうことでありますので、何となくモヤモヤするかもしれませんが大きな気持ちで一息に飲み込んで、咀嚼せずにのどごしを楽しんでいただければ、窒息するかもしれません、この場合、未必の故意とか呼ばれて官憲のお世話になってしまうのでありましょうか。おのれ、法治国家め、日々の安全を確保していただいてありがとうございます。
ここまで戯言を一息で書き進めてきてしまっているわけですが、何のことはなく一言目からの連想で紋切調の言葉を続けていっただけの代物でありまして、何かテーマがあるのですかと問われるならば、いいえただの無駄話でありましょうな、と答える所存でありますし、なるほどでは無駄であるなら必要ではないのですから、表記する必要がないのではございませんかという丁寧な問いに対しては、ごもっともではありますが、無駄であることが必要な状況もまたあるのですよ、それはすなわちこれを読めるくらいには余裕があるのですねという、自身の精神的な立ち位置の確認でありまして、どうでしょうか、これをご覧の諸兄諸君には余裕が存在するでありましょうか、深く考えてはいけませんが、浅く考えるとうっかり騙されてしまうかもしれません、ただ、騙されている状態は結構幸せなことが多いわけでありまして、男女の仲などは、大いなる錯覚に支えられているのでありますよという意見も古来からあるような気がいたします。どなたか有名な方がおっしゃられたありがたいお題目でありましょうか、きっとシェイクスピアあたりがおっしゃられているか、孔子か孟子に朱文字でアンダーラインを引いて、もしくは蛍光ペンで記しをつけてここが大切試験に出ますよと、ちょっと気弱ででも神経質なメガネの講師の注釈が入るような心持ちであられるのでしょう、ともっともらしく記述すると騙される素直な方もおられるかもしれません。
幸せですか、騙されたとわかった瞬間は確かに大きなため息とともに無駄になった時間を思いやって後悔しそうな気がいたしますが、確かにその騙されていた時間は幸せでありましたのですよ、と初老に入った男性とか女性とかが遠い目をして縁側で語る場面とか、なかなかしんみりとくる情景でありますが、どうにかして精神の均衡を保とうと自分を騙しているのかもしれません、悪くはありませんし、むしろどうしようもない過去を記憶ごと改変するような方法は、一般的で普遍的でであるがゆえに効果的であるわけでありましょう、という意見は多そうに思われます。別に今現在ゴブリンがだまされているわけでもないですし、そのことが発覚したばかりということではありませんが、そろそろ何か破綻するのではないかというそこはかとない不安が襲いかかる準備をその路地の影でされているような予感はいたします。社会情勢がきな臭いわけでありますから、その影響で精神に揺らぎが生まれているわけですが、無駄に騒ぐよりはどっしりと構えていた方がよろしいかというと、何も対処を考えずにぼうとしているのか、泰然自若に何がきても対応できるように万全の準備を整えて待ち構えているのか第三者には、見破ることが難しい方々もおられそうです。
オロオロしているだけではどうしようもありませんが、ものすごく動揺しているように見えていても行動が的確な人がいるパターンもありそうです、わたわたと、バタバタと、走り回っているのですが、どこに何があるのか何が足りないのか、これから何を準備すれば良いのか、来るべき不幸にどう立ち向かうすべがあるのか調べていて、どもりながらも的確に答えを返してくる、そんな青年とか女性とか、どうでしょうか、魅力的な感じがしてとても素敵だと思います。
このように、別に何かを伝える必要があってコンテンツを作成するのではない、というものに対して、意味を求めることのナンセンス、というのは一周回ると、芸術的とも言えるかもしれません。
「二人で過ごすのが大切なのであって内容は別にいらないのですよ?」
「そういう幻想が社会を維持するのでしょうね”ご主人様”」




